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狭間のアンテルヴァル  作者: 小木雲 鷹結
無貌の者たち(下)
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1-10 ルーツィエ

「あー、ちっといいっすかね?」


 背後から声が聞こえてきて、ルーツィエは思考を中断して振り返る。

 相変わらずヘラヘラとした表情がそこにあった。全く考え込む素振りを見せなかったのは何も考えていないからか、それとも頭脳系の仕事はリオンに任せているのか。

 どちらにせよ、ラーニィに呼びかけられたのはルーツィエではなくシンガイだった。

 呼ばれたシンガイはというと、ルーツィエにしたように一蹴することなく不機嫌そうな顔を向ける。


「どうしたんだ、ムルクディスの傭兵副長(・・・・)?」

「げ、そんなことまでご存知とは……」

「資料を見ただけだ。で?」

「いや、そんなけったいなことじゃないんですがね」


 と、顔全体に笑みを保持しながら前置きをする。


「難しいことは置いておいて、お二人の意見が違うならいっそ別行動ってことにしてみるのはどうですかぃ?」

「ちょっと、ラーニィ!? あなた何を言って―――」

「なるほど。それはそれでありかもな」


 言いかけたルーツィエを遮り、シンガイが深く頷いた。

 彼は神妙な面持ちで何かを考えている。その様子を見れば、冗談などでラーニィの提案に頷いたわけではないということは判断できた。


「なら、俺は《大地信仰》を追う。当面はこの都市から悪魔を根こそぎにするために活動するつもりだ」

「ちょ、待ってください、シンガイさん! 僕は調停騎士として調停者と―――」

「時間が無いんだ。考えの違うお前と共に行動している暇は無い」


 調停機構に所属する騎士としてクレルヴォは調停者と共にあらねばならない。調停騎士は調停者と依頼者の仲介役であり、調停者の記憶領域であり、調停者の盾である。そういう理念を、調停騎士となった者は調停機構の機構長から文書として送られる。

 だから食い下がろうとしたのだろうが……クレルヴォはシンガイの発言に違和感を覚え、眉を顰める。


「何を焦ってるんですか……?」


 時間が無い、という発言。

 それは何かが来ることを想定していなければ出てこない言葉だろう。つまり、シンガイは何かを隠している。


「別に」


 シンガイは首を振って、しかし思い直したように「いや」と口を切る。


「……お前たちには教えておこうか。『真祖』が来る。それも近日中にな」


 ホール内がどよめいた。


「しん……そ? 嘘、あの〈死屍を越えて滅ぼすもの〉の……?」


 ルーツィエも、たとえ調停者の言葉だとしても信じられなかった。


(『真祖』は……〈死屍を越えて滅ぼすもの〉がいなくなった今、討伐されたんじゃ……?)


 ルーツィエがまだ幼かった頃の話だ。

 当時のムルクディス商会は今ほど規模は大きくなかった。それが転機を迎える。人間界と魔界が手を組むこととなり、〈死屍を越えて滅ぼすもの〉を討伐するために多くの人間が未開拓地へと向かったためだ。

 当然のことながら、戦うには武器が必要になる。薬も必要になる。戦わなくとも、人間に敵対的な未開拓地では食料が必要となるだろう。

 そのことに目を付けたルーツィエの父は商売として兵站の真似事を始めた。もちろん討伐に力を入れていた国々は国家的に兵站事業を行っていたわけだが、ムルクディス商会のように国家を越えての物資供給をなすことは出来なかった。

 そういった事情もあり、ムルクディス商会は巨大になった。

 ムルクディス商会は、特に変わった武器を仕入れることでも有名だった。清められた聖水や銀の剣―――一見すると無意味に思われたそれらは、『真祖(トゥルー・ヴァンパイア)』と呼ばれる吸血鬼を屠るために必要な道具だった。

 年月が経ち、やがてルーツィエの父親はそれらの道具の取り扱いの規模を縮小することになる。売り上げが減少傾向にあったためだ。

 つまり、『真祖』とそれに付随する吸血鬼の集団は討伐されたのだ、とルーツィエは幼心に学習していた。

 だがしかし、その考えは間違っていたのだろう。調停者たるシンガイが言っていることの方が信憑性は湧くというもの。


「目的は知らんが、どうせいいことにはならないだろう。ま、力ある者として頑張って、悪魔と『真祖』から都市民を守るんだな」


 せせら笑うように鼻を鳴らすと、シンガイは調停機構のホールから退出した。

 唖然とする一同。その中で小さく悪態が一つ。


「最後にとんでもない情報を置いていきやがったな、調停者様は」

「調停機構が知っているということは商人会にも話が行っているだろうが……一応、主にも話をつけてくとしよう」


 ラーニィとリオンだ。二人はあくまでも冷静に、いつも通りの態度で先程の話を受け止めていた。

 ……そんな従者とは裏腹に、ルーツィエは小刻みに震えていた。


「あぁ、それがいい。お嬢、俺たちはどうす―――って、お嬢?」

「……なんなのかしらねぇ、あの態度は……!」


 恐怖ではなく、怒りに、である。


「……お嬢はお怒りのようだ」

「見りゃわかるって」


 背後の二人はやはり冷静だ。いつもながらこの対応には呆れるほど感嘆することがある。……今はシンガイへの怒りの方が上回っているが。

 再び激昂したルーツィエは豊満な胸を強調する形で腕を組み、調停機構の出口を睨みつける。まるでそこにシンガイを幻視しているかのように。


「調停者という者があれで許されるのかしら!? 都市民を蔑ろにして都市の事ばかり! まだ自分の利益を追求する大商人の方が信用できますわ!」

「いや、お嬢、落ち着いてくだせぇ」

「アタクシは十分落ち着いていますことよ!」

「そーですかい。じゃあ別にいいんですがね。ありゃ仕方のない対応だと思いますぜ?」


 素っ気ないラーニィの言葉は、今のルーツィエにとって火に油を注ぐ行為そのものだった。

 元から吊り目の双眸をさらに鋭く吊り上げ、金髪を右手で払いながらルーツィエは振り返る。


「……あなたはあの調停者の味方をするつもりなのかしら?」


 ラーニィに視線を向けたはずが、返答は彼の口からはなされなかった。


「『真祖』は強大過ぎます。この地に集った英傑が何人犠牲になっても討伐できるか分かりません。そんな状況の中、無限とも思える悪魔を相手取るよりかは、まだ犯罪組織を残しておく方が安全に思えます。犯罪者も人間です、『真祖』相手に恐怖を抱かないわけがありません」


 答えたリオンは巌のような表情を崩さずルーツィエを見ていた。真摯な彼の言動に、ルーツィエの心の業火は少し火勢を和らげる。

 先程からヘラヘラと笑いを見せていたラーニィも口元から笑みを失くした。


「そういうことです。かの魔導院襲撃事件で何が起こったかは知りやせんが、なんでも悪魔が関係したとかいう噂じゃねぇですか。……物事には順序がある。今回はたまたま、犯罪者よりも悪魔の方が脅威的だったってだけのことですぜ」

「…………」


 ……一理ある。いや、一理とかそういう次元ではない。全くもって彼らの言う通りだ。

 狭間に位置するこの都市で、学生などという社会集団に身を置くことで我を通したくなってしまうのだろうか。お嬢様であるルーツィエだけならばまだしも、騎士として第一線で戦えるほどの実力者であるクレルヴォすらもこの状況では我儘(わがまま)に見えてならないのだから。

 しかし正義感に篤いということはそれだけ都市民を守りたいという意思が強いということでもある。都市の存続が無ければ都市民を守ることが出来ないのは否定できないが、都市民が離れてしまっても都市は立ち行かなくなるはずだ。

 この血気溢れる都市にいる人々で、悪魔がいるという理由だけで逃げてしまうような軟弱者がいるか、という話もあるのだが。


「……タルヴィティエさん、これからどうするのかしら?」


 ラーニィとリオンの言で幾分か冷静さを取り戻したルーツィエはクレルヴォに一歩近寄って訊いた。シンガイが去った今、学生騎士はクレルヴォの指示で動くより他ないからだ。

 出口を悲しげに眺めていたクレルヴォは訊かれると視線を落とす。


「……僕は《深淵歩き》を追うことにするよ。たとえ『真祖』が本当に迫っていたとしても、《大地信仰》ばかりを狙ってその間に《深淵歩き》が大きくなることは看過できないからね」

「そう……。でしたら、アタクシたちも協力いたしますわ」

「ありがとう。じゃあ、当分は都市内の見回りをしてくれるかな? 昼夜に分けて、出来るだけ隈なくお願いするね」


 悪魔が潜んでいないとも限らないから―――続けた言葉はシンガイへの懺悔だったのか、それはルーツィエに分かることではない。

 沈んだ雰囲気にラーニィは朗らかな声を出す。


「タルヴィティエさんはどうするんですかぃ?」

「僕は独自に調査をしてみる。手掛かりが完全にないわけじゃないし、一人の方が動きやすいっていうのもあるから」

「でも、危険じゃ……」

「大丈夫だよ。……それにユルセラの話が本当なら、彼らは学生騎士の手に負えるような相手じゃない」


 クレルヴォは腰に提げたロングソードの柄を触った。


「―――深みに嵌まるのは僕だけで十分さ」


 その言葉に宿っていたのは正義()だけだった。ルーツィエには、そう感ぜられた。


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