1-4 ユルセラ
「それで、だけど。ユルセラはどうしてここに? クレルヴォ先輩の手伝いはもう終わっちゃった?」
レファリアは隣のテーブルに突っ伏したままの全身鎧の男を一瞥しながら近くの椅子を引いた。同じく、背中の大剣が邪魔にならないようにしてユルセラも椅子に座る。
彼の言う“クレルヴォ先輩の手伝い”とは、ユクラシア調停機構に協力して《深淵歩き》を撲滅する件だろう。ユルセラがこうして一人で勝手に狭間亭まで来ているのを見て、レファリアはその一件が終わったと結論付けたようだった。
だがユルセラは首を振る。
「違う。今日は無断欠席」
欠席と断ずるよりはするつもりだと言う方が正しいのだが、どちらにせよ喜ばれるような行為をしていないのは変わらないので訂正するつもりもなかった。
ユルセラの求める人物―――クロと名乗ったあのローブの恩人を見つけることが出来れば、今日はユクラシア調停機構に顔を出すつもりはない。その人物に一日かけてお礼をするつもりだからである。午前中に狭間亭へやって来たのもそれが理由だ。
ユルセラの言に、レファリアはまるで奇怪なオブジェを目にしたかのような奇異の視線をぶつけてきた。
「珍しいこともあったものだね。ユルセラがクレルヴォ先輩との約束を欠席だなんて。それも無断で」
「そういう日も、ある」
「そういうものかな?」
「男の子には、分からない」
若干ながら口を尖らせて発言したユルセラだが、逡巡の後に首を小さく横に振る。
「レファリアになら、分かるかも?」
「……ぼ、僕は男の子だよ?」
彼は戸惑ったように可愛らしく笑った。
「ま、まあ、そんなことは置いておこうよ! それで、無断欠席までしてここに来た理由って?」
「人捜し」
「人捜し? ナハト……じゃないだろうし、誰を? もしかして僕?」
自分の顔を指し示すレファリアに、ユルセラは「違う」と返答した。
「クロ。前に話した、私を救ってくれた人」
尊敬の念を込めながら――無論、本人がそう思っているだけで周囲が感じ取れるほどではない――彼の名を呼ぶ。
騎士学校で最高ランクを取得し、あまつさえその中でトップの実力と言われるユルセラには、知り合いに頼れる人間などいなかった。当てはまると言えば同じチームを組んでいたクレルヴォか現在進行形でチームを組んでいる目の前のレファリアくらいなものだが、彼らにはそれぞれ使命がある。《深淵歩き》の戦士に敗北した時も、彼らが駆けつけてくれることはなかった。
本当の意味でユルセラの心的支えとなってくれる―――俗に言う『王子様』的存在と彼女が認識しているのは、現時点ではクロただ一人だけなのである。
だからこそユルセラはこうして、与えられた使命をも蹴ってクロと名乗った人物を探しに来たのだ。
「え!? ……あ、いや、あー、そうなんだ」
びくりと肩を震わせて驚いたレファリアは、誤魔化すように左手で頭を掻いた。
過敏に反応しすぎた彼に違和を感じ、ユルセラは半眼で彼をじっと見つめる。
「…………」
「は、はは……」
「……何か、知ってる?」
「いや、その……」
ははは、と笑って誤魔化そうとし続けるレファリアにユルセラが身を乗り出した。二人は顔を突き合わせる形となるが、ユルセラは恥ずかしさを感じていないのか半眼でレファリアに視線を送り続けるだけだ。
しかしレファリアの方は平常心ではいられないようで、紅潮したかと思うと顔を思い切り引いて後退した。
「……その、クロって人のことは知らないけど」
頬の赤みが抜けきらないうちに彼は口を開く。
「驚いたのは、珍しいなって思ったからなんだ。ユルセラがクレルヴォ先輩の頼みを無視してまで捜しに行くなんて―――どこの誰かも分からない、生きているのかも、それどころか存在しているかすら定かじゃない人のことを、ね」
「存在は、してる。私は見た」
レファリアの言葉に、ユルセラはすぐさま反論した。そしてすぐに言葉を続ける。
「その人は、私の憧れの人。助けてくれた救世主。一度会って、お礼を言いたい。それから話がしたい。よければ、友達になりたい」
そこまで、ユルセラの中ではクロという存在が膨れ上がっていた。
自分を救ってくれた人物。強く、そして正義感のある人物。そのことは《深淵歩き》の戦士と戦って生き残った事実や、魔導院防衛戦へ参加して上位存在を斃しに行ったことからも窺える。
真剣な眼差しで彼を語るユルセラから、レファリアは目を逸らした。
「……本当に憧れるべき人なのかな、その人って」
物憂げな瞳で床へ視線を向けている彼は、小さく声を零す。まるでユルセラには聞いてほしくない、あるいはその耳に届かなくてもよいと言わんばかりの小さな音。
その行為に数日前のレファリアを幻視した。
「他人の目を避けるように生きている人間が、ユルセラのような騎士に尊敬されるに値する存在なのかな? 闇に生きることを生業とする人間が、光に魅入られるべきなのかな?」
(あの時と、同じ)
クレルヴォが学生騎士チームに協力を要請したあの日。《深淵歩き》が悪魔を使役している可能性を完全に否定したあの日と、同じだ。
まるで何かを知っているかのような、そんな発言。
「僕には……そうは思えないよ」
「どうして、そんなことを?」
「え?」
伏し目がちに語っていた彼は、比較的強い語調のユルセラに驚いたようだ。顔を上げて、ユルセラの顔を見やる。しかし、やはりと言うべきか、ユルセラの顔には感情を読み取れるものは乗っていなかった。
むしろ内心で疑問に思っているのはユルセラの方である。レファリアという人間に隠されたものを懸命に読み取ろうと、彼の瞳をじっと見つめる。
「最近のレファリアは、少しおかしい。《深淵歩き》のときも、悪魔の存在を否定していた。今も、クロのことを知っているかのような口振り」
「それは……」
「―――あなたは、何?」
一瞬、そしてほんの少しだけだが、レファリアの肩が跳ねた。
二人は見つめ合う。
片や友人の真の姿を垣間見ようとして。
片や友人に心の奥を覗かれないようにして。
「……あ、いや、それとかは僕の個人的な意見だから」
「……そう」
二人の間に流れていた沈黙はレファリアの言葉に後押しされ、緊張を供だって消えた。
それ以上は言及のしようもなく、ユルセラも言の刃を納める。
気まずい空気が立ち込めた。
「……そのマント、どうしたの?」
そんな空気を払拭するかのように、ユルセラは彼の右半身を指差す。
「あ、ああ、これ?」
彼は右腕を持ち上げて半身を覆い隠すマントを広げた。布の面積はかなりのもので、腕を上げても右腕どころか右半身の殆どを露出しない。
レファリアのきめ細やかな肌を隠してしまうそれは、調停騎士の片マントを真似ているようにも見えた。色と大きさが違えば調停騎士のそれと言っても過言ではない。
「えっと…………こ、これは配達に行く前にナハトに貰ったんだ。体力を徐々に回復する効果を持つ魔具だって。……効果は微量だし月に一回魔力を注入し直さなきゃいけないんだけど、普段から装備出来て結構便利なんだよ?」
「体力を、回復?」
どんな魔法を用いた魔具なのだろう。ユルセラには全く見当もつかなかった。
基本的に魔力や『気』といった消耗品は魔法や道具で回復できないとされている。それらを回復させるには、自らの自然治癒能力を頼るしかない。
同じく、体力といった経験則のみで確認される包括概念を回復する魔法は存在しない。魔導士でもないユルセラには断言することは難しいのだが、そういう話なら聞いたことがある。
世界には治癒系の魔法が存在する。例えば、緩やかに傷を治す《軽傷治癒》の魔法などだ。しかしながら、それらも体力を回復する効果などは持ち合わせていないはずだ。動死体のように疲労を感じない肉体を創り出すことは出来ない。
疲労感を軽減することならば治癒系の魔法でどうにか出来ないとも限らない―――だがそれならば、あの『雑貨屋』が魔具の説明を違えるだろうか?
“体力を回復する”と彼が言ったならば、それは体力を回復する効果なのだ。疲労感を軽減するなどといったまやかしの類でなく、肉体に対して包括的に治癒を施されるということだろう。
魔法陣の欠落を行って様々な効能を生み出す『雑貨屋』ならば、複雑に絡み合った魔法陣の中に新たな可能性を見出していても不思議ではない。むしろそう考えた方が自然だ。
つまりレファリアが身に着けているマントは、『雑貨屋』による最先端の技術の産物―――
「………………」
(…………ほ、欲しい……!!)
口にこそ出さなかったが、ユルセラの熱を持った瞳はレファリアのマントを捉えて放そうとしなかった。
手にして自分で体験してみたい。その効力を、『雑貨屋』の持つ技術の粋を味わってみたい。
当初の目的よりも勝る誘惑に手先が小さく震える感覚が生じる。あらゆる状況で無表情を維持できるように訓練していなければ、今頃ユルセラは涎を垂らしていたかもしれない。
しかし最高ランクの学生騎士相手に熱視線は隠しきれなかったようで、レファリアはいつもと様子の違う仲間に半身退いた。
「ユ、ユルセラ……?」
困惑と怪訝を混ぜ合わせた、としか表現できないような表情を浮かべつつレファリアは顔を引き攣らせる。
引いている彼に構うことなくゴクリと生唾を飲みこんだユルセラは、木製の椅子から立ち上がった。危機を察知したのか、レファリアも咄嗟の動きで椅子の後ろに回り込む。
だが、警戒している彼など眼中にない。ユルセラは高鳴る心臓の鼓動を全力で抑えながら湿り気を帯びた唇を開いた。
「……貸して?」
一歩前進する。
「え? え、ちょっと、ユルセラ?」
合わせて、レファリアは後退する。
「少しで良い。貸して?」
「だ、駄目だよ? これは僕がナハトから貰った大切なもので……」
「貸して」
壁とでレファリアを挟み込むまでににじり寄ったユルセラはほんのりと赤く染めた顔を彼に―――彼の身に着けるマントに近づけた。内心では、背部に装着している《碧金》の大剣を抜いてから強化した身体能力にかまけてレファリアのマントを奪いたい気持ちで一杯だが、そんなことをしては今まで培ってきた折角の信用を失いかねない。
冷静に、かつ興奮気味に迫るユルセラ。
オロオロと視線を彷徨わせるレファリアは山羊角種の店員、フィアーレットと目を合わせたようだが、助けてもらうには至らなかったようだ。
後は彼が折れるのを待つばかり―――身体を摺り寄せんと彼との空間を減らしてゆくユルセラの動きが止まったのは、その時だった。




