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狭間のアンテルヴァル  作者: 小木雲 鷹結
無貌の者たち(上)
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1-1 ~前日:狭間の日常~ 男

 世界が滅びへ歩み始めたのは、今から約八十年前のことだ。

 それ以前の世界は雑種(ヒト)とその近親種――何の特徴も無い雑種(ヒト)と似た外見を持つ“半人”と呼ばれる種族の住む『人間界』と、亜人と呼ばれる種族が住み、魔王と名乗る存在が統治する『魔界』とに二分されていた。

 大陸の中央部には北から南へと続く天へと突き抜けるほどの標高を持つ山脈がそれぞれの世界からの侵入を阻み、人間界から魔界へ、魔界から人間界へと渡るためには特殊な『(ゲート)』と呼ばれる転移魔法機構を用いなければならなかった。

 二つの世界の交流は非常に困難。だがそれ故に互いの平穏は守られているという側面もあった。

 そしてそれよりもさらに以前――正確な時間は分かっていないが、御伽噺(おとぎばなし)となるような遠い過去、二つの世界が一つだった頃には、『蹂躙王』と呼ばれる古き魔王が世界の九割を手中に収めていたという。

 死の暴風のような魔王を倒したのが『八使徒』と呼ばれる存在であり、その時の契約で世界は二分され、勇者と魔王の戦いの歴史が始まったのだとか。

 そうして平和な――戦いを続ける勇者と魔王には申し訳ないが――時間が流れ、永遠とも思える安寧を人々が享受し始めた時、奴らが現れた。

 〈死屍を越えて滅ぼすもの〉。

 ただ純粋に人々にそう呼ばれた存在は突如現れ、大陸の南から徐々に全てを滅ぼしていった。

 海、森、山、時には大国すら滅ぼし、拡大する恐怖。

 彼らが通った後には、原初の姿しか残らなかった。

 当初は事態を重く見ていなかった魔王も、〈死屍を越えて滅ぼすもの〉の活動が活発化してきた頃には若干の焦燥感を感じていた。

 勇者、ひいては人間界と争っている暇ではない、と。

 そうして純血の勇者を何とか退けた魔王は勇者との休戦を申し出て、人間界と魔界による共同戦線を構築することを立案したのだ。

 既に半分以上を蝕まれ、なおかつ純血の勇者まで失った人間界はこれに縋りつき、人間界と魔界の長い睨み合いの歴史に幕を閉じたのである。

 それから約五年。〈死屍を越えて滅ぼすもの〉に対して多くの英雄が挑み、これを駆逐していった。やがて活動を鎮静化した〈死屍を越えて滅ぼすもの〉は、人々の前からその姿を消すこととなる。

 それが、今から十八年前の出来事である。


 十八年の年月を経て人間界と魔界の交流も盛んになり、そして未開拓地――〈死屍を越えて滅ぼすもの〉によって生み出された原初の姿へと足を踏み入れる者が増えてきた。

 原初の姿と思われたそこは、実際は全く別物になっていた。肉を食う植物ばかりが巣食う密林や、丈が優に二百メートルを超える木々ばかりの森林、地に開いた腐臭のする大穴、謎の遺跡。人々が生活していた跡を見つけたと思えば凶悪な魔物に遭遇し、犯され、殺される。運良く生きて帰って来れたとしても、魔物の苗床となっている危険性があれば殺処分される。

 では何故そのような危険な場所へ人々は赴くのか?

 理由は単純にして明快。金目のものを探しに行くのだ。

 本来では存在しえなかった空間がそこにある。それはつまり、本来では存在しえなかった物がそこにある、という意味でもある。そのことは今までに幾度となく証明され、彼らを未開拓地へと(いざな)った。

 そんな危険な場所へ一攫千金のチャンスを求めて赴く者たちを、ある者は羨望の意を込めて、またある者は侮蔑の意を込めて『開拓者』と呼ぶ。


 そんな開拓者が集まる都市の一つに、商業都市アンテルヴァルがある。

 アンテルヴァルは商業で成り立っている都市であり、未だどこの国にも属していない、いわば都市国家の様相を呈していた。それは周辺国から距離が離れ過ぎているためであり、アンテルヴァルへ至るには国境を出てから最低でも五日間は馬車に揺られなければならないのだ。

 以前は未開拓地への最前線という位置づけの都市であったが、今では最前線はさらに南へと場所を移し、単純な足掛かりとしての都市になっている。だが一度は最前線であったという事実がこの都市の防衛を強固なものにし、現在では二つの城壁によって守られている、未開拓地では唯一とも言える安全地帯を形成していた。

 その事実が開拓者や周辺各国との流通をさらに増加させているのは、言うまでもないことだろう。

 そしてこの都市には、他の国では目にすることはないであろう多くの特別な組織も見受けられる。開拓者組合、商人会、魔導院、騎士学校などの聞き覚えのある組織から、不死院、ユクラシア調停機構など、名前を聞いただけでは頭上に疑問符を浮かべざるを得ない組織まで多様だ。

 組織の多様さは裏社会でも同じことだ。アンテルヴァルは大国の首都にも見劣りしない巨大な都市である以上、犯罪の温床になりやすい。さらに未開拓地が近いことも起因し、この都市における命の価値は低いものとなっている。それ故、過激な犯罪組織が登場しようと、誰も関心を抱かないのだ。それが犯罪組織の巨大化を助長しているとも気付かずに。

 この都市を訪れたある開拓者は、こんな発言を残している。


『金は大事だ。しかし、俺の命よりも軽い。―――もちろん、他人の命よりも重いがね』


 この言葉に代表されるように、この都市は金に妄執した狂人が集まることでも知られている。掘り出し物があれば一夜にして大金持ちになれるかもしれないが、金を得るためには命をベットしなければならない。

 生と死。強者と弱者。富者と貧者。

 それらの狭間で生きることを強制されるこの都市を、人々はこう呼んだ。

 狭間の都市、と。


             ◇ ◆ ◇


 第二城壁の内側、つまり第一城壁と第二城壁の間には多くの商業施設が立ち並ぶ。

 生活必需品を売る商人を始め、開拓者向けの武器や防具に精通する鍛冶師、開拓を有利に進めるための道具や魔法が付与された魔法道具(マジックアイテム)を売買する者、魔法道具(マジックアイテム)よりも性能に劣るが量産が可能な道具である『魔具』を製作する魔具師など、売買を主目的とする商人でさえ多種多様であるにも関わらず、これに宿屋などの宿泊施設などとの複合施設もあるため、その種類は多すぎて全てを挙げることは非常に困難である。

 そのうえ、開拓者が露店を開く露店街道や商人会が開催する市場など、特定職業以外の人間が店を開くのだから、第二城壁の内側は常に喧騒に満ちていた。

 その喧騒は単純に(やかま)しいという意味ではなく、都市が活気だっている証拠でもあるために都市の住民からの苦情もない。ないのだが、売買を目的に都市を訪れたわけではない人間にとっては迷惑この上ないことも事実であった。

 歩きやすく整備された石畳の上を行く赤髪の男も、喧騒を迷惑がる一人だった。

 初めてこの都市を訪れたのか、キョロキョロとあたりを見回しては目的のものが見つからず、たまたま目が合ってしまった商人に五月蝿く呼び込まれては顔を(しか)める、という行為の繰り返しをしていた。明らかに道に迷っている人間の素振りであったが、商人との値切り勝負を繰り広げている客はおろか、品定めをしている客、既に買い物を終えた客でさえ相手にしてはくれない。開拓者が集うような都市では、そのような雰囲気が当たり前であった。

 逆に男が声をかけようとすれば、今は時間が無いと手振りで示され一蹴されるのが落ちである。

 人通りの多い場所に行けばなんとかなるかもしれないと考えた男は自らの考えが間違っていたことを実感し、肩を落として路地へと入っていく。

 大通りから抜ければ喧騒は一段落する。それは都市に存在する建築物が上に長く伸びているためだ。最低でも三階以上ある直方体の建物は、まるで景観を考えているかのように高さが均一に揃えられており、ドアや窓が無ければ壁と見間違うほどであった。

 これはかつてこの都市が最前線にあり、魔物が都市内部へ侵入してきたときに屋根の上の移動を容易にして逃亡・防衛するための機構の名残であるが、それを知る者はこの都市にほとんどいない。この都市の住民は大半がこの都市から――死亡するか移住するかして――いなくなっていくからである。

 巨大な壁を思わせる住宅が並ぶ路地を抜けるが、それでも僅かに聞こえてくる彼らの怒声罵声は、都市全体に響いているのではないかと思わせられる。

 先程までとは打って変わって小さくなった喧騒を聞き流しながら男は狭い道を進む。この道は大通りと比較してしまうと遥かに荒れており、馬車などでの通行は出来ないほどの狭さであった。それでも多くの店が立ち並んでおり、人の数も少なくない。

 ここならば道を尋ねても大丈夫だろう、そう判断した男は一つの家屋の前で立ち止まる。

 看板には『狭間亭』と書かれていた。

 宿屋ならば人当たりの良い受付がいるはずだ。

 男は緑がかったガラスから中を覗き込んでみる。

 窓から見えるのは男の腹部当たりの高さまであるL字型で木製の台。その内側に人が立っていることからカウンターであると判断できる。カウンターの前には薬草や魔法陣が描かれたお札など、雑多な道具が所狭しと並べられており、カウンターの側部には木の杖や鉄の剣と見られる武器などが置いてある。

 そこまでならここが開拓者向けの宿屋であると即断出来たのだが、壁には鍋などが掛けられており、結局どの客層を狙っている宿屋なのかよく分からなかった。

 中にいる人影は一名で、それはカウンターの中にいる少女一人だ。いわゆる受付嬢というやつだろう。

 頭に山羊のような角が生えていることから、彼女が山羊角種(ゴト)であると推測できる。山羊角種(ゴト)というのは半人の一種で、人間によく似た性質の極めて温厚な種族だ。人間のように国を造り、様々な道具を用いる。そして何より、人間と同じく、英雄と呼ばれる個体が生まれやすい種族なのだ。

 世界は均衡が保たれるように出来ているらしく、亜人のように種族全体として強い傾向にある場合は突出した個体が出来にくく、雑種(ヒト)山羊角種(ゴト)のように種族全体として弱い傾向にある場合は非常に突出した個体が生まれやすい。

 人間界と魔界の垣根がなくなったとき、最弱の一角である雑種(ヒト)と最強の種族である鬼種(オーガ)ではどちらが強いのか、という論争が一時期流行った。結論は十八年前に出ており、〈死屍を越えて滅ぼすもの〉との戦いの際に前線を維持したのは鬼種(オーガ)の方が多かったが、〈死屍を越えて滅ぼすもの〉を殺した数では雑種(ヒト)の方が多かった、それ故両者はどちらも強い、ということになったのだ。そういう意味ではどちらが優れているということは一概には言えないのである。

 つまり男は、雑種(ヒト)にほど近い山羊角種(ゴト)の受付は優しく対応してくれる可能性が高いと認識したのだ。

 しかしそれは種族的に雑種(ヒト)と似通ったところがあるだけの話であり、彼女が個人として他人を好くような性格にあるかどうかはまた別問題である。

 故に男は彼女を注視する。狭間亭の前を通りがかる人々の奇異な視線が背中に突き刺さっていることも知らずに。

 まず男が目を付けたのは、頭から生える二本の角。乳白色のそれらは特有の溝こそあれど傷一つ見当たらない綺麗なものだ。喧嘩とかそういうことはしないのだろう。喧騒の多いこの街で喧嘩をしないということは、冷静な精神の持ち主である可能性は非常に高い。

 次に髪の毛。目にかからない長さでしっかりと切りそろえられた前髪は、彼女に快活な印象を与える。人懐っこそうな見た目と言えるだろう。

 そして最後に目―――と一人でブツブツ言っていたところで、男は少女に見られていることに気付いた。視線が合ったのだ。

 一瞬びくりと飛び跳ねてから石のように身体が固まる男であったが、対する少女がニコニコと笑顔でこちらを見ていることに気付き、ホッと胸を撫で下ろす。

 普通に考えれば接客業をしている人間が人嫌いである可能性はごく僅かしかないわけだが、この男はこの都市の気質に対して少々敏感になり過ぎていた。だから不審者紛いの行動をとってしまったわけだが、それでも少女は自分を客として認識してくれているようだ。

 ……いや、客ではないのだが。

 嬉しいのか悲しいのか分からない面持ちで男は狭間亭の敷居を跨ぐ。


「いらっしゃいませ! お泊りですか? それともお求めの品物がありますか?」


 男の予想通り、快活な笑顔を浮かべた少女は可愛い声で男を迎えてくれた。疑問を投げかけると同時に首を少し傾げる動作が彼女の可愛さにより拍車をかけている、などと男は分析していた。

 店内に入るやいなや固まる男を見て、少女は何を思ったのか少し考える素振りをしてから言葉を続ける。


「当店には基本的に何でも揃っています! 日用品から開拓者さん向けの道具、武器、防具……でも何と言っても、ウチの自慢はナハトさんの作る良質な魔具です! 他にも――」

「あ、いや、その………道具を買いに来たんじゃなくて、道を教えて欲しいんです」


 このままだと何かを買わなければ引き下がれなくなると感じた男は、少女のセールストークを半ば強引に終わらせた。少女が悲しむ顔を見せるかもしれないと考えると気持ちが沈む思いがしないでもないが、自分の利益にならないことをするよりかはマシだ、と考える程度の判断力はこの男も持ち合わせているようである。

 しかし少女は男の予想を裏切り、一瞬だけキョトンとした表情を浮かべると何かに気付いたように目を見開き、顔を若干赤らめた。そしてバタバタと両手を振る。


「あわわ……そ、そういうことですか! すみません、早とちりしちゃって!」

「いや、いいんですよ。先に言わなかったこちらが悪かったですから」

「ご、ごめんなさいでした! そ、それで、どこに行きたいんでしょうか?」


 頬に朱を差したままで少女が問いかける。


「ええと……開拓者組合ってところなんですけど」

「あ、開拓者さんですか? なるほど……。そうですね、ここからだと割と遠くなっちゃいますけど」

「まぁ、自分はそこに行くしかないんで、別に遠くても」

「で、ですよねぇ!? あはは……」


 苦笑いに続けて、少女は店の出口を指差した。

 男も彼女の指が向く方向を振り返る。


「まずはここを出て、右に曲がります。それでずーっと行くとお家が通せんぼしちゃってるので、突き当りを右に曲がります。それで曲がったすぐのところに左へ曲がる路地があるのでそこを抜けて………」

「…………えっと………」


 何も頭に入ってこない。それもそうだ。男はこの都市のことを何も知らないのである。故に口頭で道案内されたところで分かるはずもない。この都市が非常に入り組んでいることも男の理解を妨げる一因となっていることだろう。

 少女は男の様子に気付かず道案内を続けている。今は何故か壁の方を指差しており、指の先端は細かな動きを繰り返している。

 背後には新たに客が入って来た気配があったが、そんなことすら気にしていないようで。

 きっと道筋を辿っているんだな、と男は諦めつつもぼんやり考えた。


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