3-4 セルジュ
◇ ◆ ◇
アンテルヴァルの地下には迷路のような空間が縦横無尽に張り巡らされている。
いわゆる地下水路というものだ。各家庭から出た廃棄物はこの水路を通り、都市の外へ流れ出て、やがて川へ流れつく。未開拓地の環境汚染に一役買っているシステムだ。
だが地下水路の顔はそれだけではない。問題は、何故迷路のような構造になっているのか、というところだ。
アンテルヴァルの地下水路は東西南北あらゆる方向へ張り巡らされ、しかも上下にも入り組んでいる。これは何故か?
簡単なことだ。都市を形作る直方体の建物が都市防衛のための壁という一面を併せ持つように、地下水路も人々が逃げるための通路という一面を併せ持っているからである。
未開拓地からの敵はなにも地上からだけ到来するというわけではない。時には空を飛んで、城壁を悠々と越えてやってくる魔物も存在するのだ。そんな敵がいるにも関わらず家々の屋根を伝って逃げるなど自殺行為も甚だしい。
そのために地下水路は作られた。水路と逃げ道、両方の役割を果たすために。
―――今でもその役割は果たしているといえよう。無論、悪い意味で、だが。
第二城壁の内側、つまり第一城壁と第二城壁の間の、貧民街からそう離れていない荒んだ地区。
そこの地下水路と壁一枚隔てた地下に、彼らは居を構えていた。
「………………」
煙草をふかしながらオイルライターの蓋を開閉させている男―――《深淵歩き》のセルジュはその場に揃った他の三人に目をやる。
一人は少女。名はユーリア。腰まで伸ばした髪の毛を遊ばせながら、向かいに座る少女にしきりに話しかけていた。
もう一人も少女。しかもユーリアと瓜二つだ。名はリーゼロッテ。違うのは髪の毛の色くらいなもので、殆ど違いの分からないか細い声音でユーリアと楽しそうに話している。
そしてもう一人。この地下空間に煙が充満している理由とも言っていい男。
「………アン? どうしたよ、そんな熱い視線を送ってきやがって」
超大柄な体躯。地下などというちっぽけな空間にはそぐわない程の長身であり、背丈に合わせたかのように幅も大きい。その身体に見合ったこれまた極太の葉巻を吸っているのだ、煙も充満するというものだろう。煙草を吸っているセルジュにとっては迷惑でしかない。
彼の名はドヴォラク。人間とは見た目も身体の構造も全く違う亜人の一種、蜥蜴人種だ。体表は硬い深緑の鱗に覆われており、さらにその上からセルジュと同じようなシャツにネクタイを着用している。そしてベストの代わりにブレストプレートを着込むといった、いかにもな重装備だ。蜥蜴人種という力のある種族でなければ軽やかに移動することなど難しいだろう。
「別に何も考えちゃいねェよ。ただ、テメェの吸う葉巻のせいで煙草の味が分からなくなるのが気に食わねェだけだ」
言うと、セルジュは灰皿に煙草を押し付けて火を消した。煙草はそれ以上の煙を吐き出さなくなる。が、やはり部屋は煙たいままだ。
胸糞の悪さを全く隠す様子も無いセルジュに、ドヴォラクは喉を鳴らすような笑い声を上げた。
「今度はもっとキツい味の煙草を持ってくるこったな。おっと、それよりもこの部屋に窓でも付けるか?」
ドヴォラクは声帯のない蜥蜴人種にしては流暢に喋る方だ。
普通ならば掠れたような声しか出せず、人間と意思疎通を図るのは難しい。しかしドヴォラクは他の蜥蜴人種とは違って流暢に、しかもジョークなどを交えながら会話することが出来る。
それがさらに気に入らず、
「うるせェ。黙りやがれ」
とセルジュは一蹴した。仮にもドヴォラクはセルジュよりも高い地位――《深淵歩き》の地方統括を任されているほどだというのに。
だがその反応が普通なのだろう、ドヴォラクは再び愉快そうに喉を鳴らした。
「―――ねぇねぇ、トカゲのオジサン。今日はどうしてユーリアたちを集めたの?」
楽しそうな―――本人たちにとってはどうであったか知らないが―――会話を耳にした二人が、いつの間にやらドヴォラクを挟むように隣に座っている。
「そうだそうだ! ユーリアとリーゼロッテだけならまだしも、セルジュも呼んだってことは何かあるんでしょ? でしょ?」
ユーリアとリーゼロッテは基本的に拠点待機を命じられている。それが何故かはセルジュも理解に苦しむところだが、単純に組織を拡大していくだけの能力に欠けているのだろうと思うことにしていた。代わりにセルジュは都市で傘下組織へ指示を出したり勢力を拡大したりと、多くの仕事をこなしている。
ドヴォラクに訊くリーゼロッテの顔には嬉々としたものが浮かんでいた。
ユーリアとリーゼロッテは狂人の類だ。少なくともセルジュはそう評価している。そうでもなければこの状況を楽しむことなど出来ないだろう。
「ああそうだ。今日は面白れぇ話を持ってきてやったぜ」
葉巻を銜えながらニヤリと笑みを広げるドヴォラク。
……まさかこの男も狂人だったとは。
「どんなどんな!? ユーリアたち、最近退屈で死にそうだったんだよ!!」
「退屈で死ぬ野郎なんざこの世に存在するわけねェだろ」
「むぅ! 何さ、セルジュの馬鹿! いつも外で遊んでばっかりでズルいし!」
咄嗟に振り向いて罵声と反論を浴びせかけてくるユーリアに、セルジュは応対するのが面倒になって舌打ち一つを投げかけた。
「まぁまぁ、落ち着けよ。セルジュも仕事でやってることだ。楽しくピクニックに行ってるってわけじゃねぇ」
「うー………まぁ、トカゲのオジサンがそう言うなら」
渋々といった様子でユーリアは引き下がる。
「で、話を続けさせてもらうけどよ」
そこで区切り、ドヴォラクはようやく葉巻を灰皿の上へ置いた。
「まずはセルジュ、お前さんが始末した売人についてのことだ」
「……何か問題があったのかよ?」
自分の名前が真っ先に上がり、セルジュは突っかかるように身を乗り出した。
鋭い眼光がドヴォラクの双眸へと注がれるが、彼はその程度では動じない。
「問題ありありだ。あの一件から、ユクラシア調停機構の連中が俺たちのことを嗅ぎまわり始めやがった」
「奴らが………!?」
セルジュも噂は聞いている。ユクラシア調停機構はこの都市でも一二を争う武力を保有している機関であり、今の段階でそことかち合うのは得策ではない。
「……チッ。鼻の良い連中だ」
セルジュは悪態を吐く。
騎士学校の人間にばれることは想定内であった。零細組織を潰しまわる依頼ばかりをこなす学生騎士とはいつかかち合うことになるだろうとドヴォラクも言っていたし、実際そうなった。
だが彼らは敵ではなかった。少なくとも、最高ランクと調子づいている学生騎士を交えたパーティでさえセルジュ一人で潰せるほどだ。
(なのにどうして忌々しい調停機構の連中が―――)
舌打ちをしかけて、しかしすぐに心に慄然とするものを感じた。
まさか、自分のミスでばれたのではないか、と……。
セルジュの表情を読み取ったドヴォラクは、心配するな、と声を掛ける。
「確かにお前さんの煙草が現場に残っていたらしいが、それが直接の原因じゃねぇことは分かってる」
「じゃあ何が―――」
「『雑貨屋』さ。奴はあの下っ端から、しかも一日だけで《深淵歩き》のことまで調べ上げやがった。そこに奴さんたちが接触したってわけだ。まだ騎士団の連中は騙せちゃいるが、そっちも時間の問題だろうよ」
ドヴォラクは未だ煙を吐き出している葉巻を眺める。
その視線はセルジュが今まで見たことのないような焦燥に彩られていた。
「俺たちはあの男の掌の上でダンスを踊らされちまっているのかも………いや、これから狂騒曲を奏でねぇといけなくなるかも知れねぇ」
婉曲な表現だ。しかし意味するところは何となく理解できる。
今までは『雑貨屋』の掌の上で踊らされていた。悪魔を使って売人を殺したことも意味の無い行為だったわけだ。
このまま踊り狂っているだけではいずれ敵対組織――騎士団の連中やユクラシア調停機構、魔導院や騎士学校もそうだ――に潰される危険性がある。
だから狂騒曲を―――大勝負に打って出る必要があるかもしれない。
「ダンス? カプリチオ? えっと…………リーゼロッテ、意味分かる?」
「全然分かんない………。だからトカゲのオジサンは嫌いだー!!」
ドヴォラク特有の婉曲表現の意図を掴み損ねたようで、ユーリアとリーゼロッテはドヴォラクに殴りかかっている。しかし硬い鱗は全ての打撃を跳ね除けていた。
「そういうこった。こうなった以上仕方ねぇ、腹くくれよ、お前さんたち」
「待てよ。じゃあ奴らも動き出すのか?」
「奴ら? ………ああ、《大地信仰》の連中か」
悪魔と一人の女剣士を《深淵歩き》に貸し与えた連中。戦力的に心許ないのは確かだったが、悪魔なんてけったいな武器を渡されて士気が上がったかというと、そんなわけはなかった。セルジュの部下が悪魔を恐れるようになってしまったのだ。そのため、《深淵歩き》の構成員と悪魔連中とは待機場所を別にしてある。
セルジュは《大地信仰》を良く思っていなかった。いや、今も思っていない。奴らは近い将来、何かを仕出かすつもりだ。そんな予感が脳裏を掠めて仕方ない。
「連中は出てこねぇ。俺たちだけで一発ぶちかましてやるさ」
「チッ。……そんなこと無理に決まってんだろうが。敵が多すぎる。もっと内部からじわじわとなぶり殺しにしねェと、こっちの損害がデカすぎるぞ」
「仕方がねぇだろう? 連中は灰狼騎士団に睨まれて動けねぇとか泣き言を言ってやがるんだ。子供をあやすのが大人の役目じゃねぇか」
灰狼騎士団も要注意事項の一つとして数え上げられていた。
独立した行動権を持ち、ユクラシア調停機構ほどではないが多くの事象へ介入する権限を有している秘匿組織。構成員などの情報は一切開示されておらず、団長と力のある上層部の顔が知られている程度の組織である。どこに潜んでいるのか分からない以上、この都市で下手な真似は出来ない。
そして何より危険なのは、団長のフェインだ。
奴は十八年前、人の身ながらあの〈死屍を越えて滅ぼすもの〉の一柱をたったの一人で殺している。
これは他の国で活動中の《深淵歩き》から教えられたことだが、アンテルヴァルの構成員で知っているのはここにいる四人だけだ。徒に部下の戦意を奪ってしまうのは良くない。
そんな灰狼騎士団に睨まれている―――いくら膨大な数の悪魔を有している《大地信仰》だからといって動けなくなるのも頷けた。
「安心しろ。連中からは第五階位悪魔を借りられる手筈になってる。それにあの女も、東の国で『桃髪鬼』と恐れられた千人長の部下を皆殺しにして本人ともやり合ったって話だ。勝てなくとも負けはねぇよ」
「あのいけ好かねェ女か………」
それで安心しろと言われても無理だった。手のつけようがない猛獣のような笑みを湛えるあの女を、首輪も無しに操ることなど出来る気がしない。
それに―――
「例のクソ餓鬼はどうすんだ?」
黒衣を纏った身元不明の襲撃者。彼に何度も煮え湯を飲まされたセルジュは、ここにいる誰よりも彼への警戒を強めていたのだ。
セルジュの問いにドヴォラクが答える―――その前に、ユーリアとリーゼロッテはくすくすと笑い始めた。
「怖いの、セルジュ? 何ならユーリアたちが相手をしてあげよっか?」
「あははっ! 久し振りに楽しそうだなぁ! ねぇねぇ、トカゲのオジサン。いいでしょ?」
「駄目に決まってんだろう? セルジュ一人で勝てねぇんだ、お前さんたちがいくら頑張っても殺せはしねぇだろうな」
ぶーぶーと口を尖らせる二人を他所に、ドヴォラクは再び葉巻を手に取った。
口に銜え、香りをゆっくりと楽しむ。そして紫煙を吐き出した。
「―――小僧は月が満ちるまでに潰す。《深淵歩き》の全てをもってな」




