2-5 ナハト
そんなことよりも、とカルマは続ける。
「ナハトさんはどうしてシャノアに給料の使い道なんて訊いてたんですか? そーいうの、あまり気にするような性格じゃなかった気がしたんですけど」
サラッとナハトへの悪評価を垂れ流すカルマだが、彼女の声音には悪意のようなものは感じられなかった。純粋に、何故シャノアールにそのような質問をしていたのかが気になっただけなのだろう。
他人へ極端に興味を抱かないという自分の性格について自覚しているナハトは、カルマの疑問は尤もだと思う反面、従業員に対してはそこまで冷たい態度を取っていなかったはずだが……などと考えながらも応答する。
「シャノアにも言ったが、単純に気になっただけだ。服にも食い物にも金を使っていないシャノアは一体何に金を使っているのか、ってな。もしも借金関係なら俺がコネを使って有耶無耶に出来るかもしれないし」
ナハトの言うコネとは、ここでは裏社会のコネクションのことを指している。都市でも有数の魔具師であり、なおかつ『雑貨屋』としてあらゆる組織から目を付けられているナハトが狭間を生き抜くにはそれ相応のコネが必要になる。情報の入手、都市の状勢の把握、敵対組織への破壊工作―――それらを駆使すれば、貧民層を相手取るような矮小な高利貸しくらい潰すことは造作もないのだ。ナハトの知人には商人会を相手に高利貸しを行っているような者すらいるのだから。
当然のことながら、裏社会の力を借りるには対価が必要になる。それをナハトは魔具によって賄っているのだが、正直なところ、割に合う値段のものを要求されるとは言い難い。それでもナハトが彼らを頼るのは、有能な従業員――快活明瞭なフィアーレット、基礎的な魔法の知識を持つカルマ、魔力総量だけならば常人の比ではないシャノアール――を失うのは損失が大きすぎると考えているためだ。
表面上ではあるが心配そうに問うナハトに対してシャノアールは首を左右に振る。
「い、いえ、そういうことじゃないんです。……い、一応、ナハトさんには迷惑をおかけしないように配慮しているつもり、です………けど」
ナハトはカルマと顔を見合わせた。
今のシャノアールの態度は普段からは想像も出来ないほど強固なものだ。それほどまでに他人に話したくないことがあるのか……。
隠し事などで気分を悪くするような子供ではないが、興味がシャノアールへ向いてしまっている以上、聞き出さないとモヤモヤしたものが心の底に残りそうだ。
結局、ナハトは心にも思っていない大攻勢に出ることにした。
少し屈んで、シャノアールと目線を合わせる。
「なぁ、シャノア。迷惑とか、そんなこと考えなくていいんだぜ? お宅が俺たちのために頑張ってくれているように、俺達はお宅のために力を注ぐ。俺達はもう、家族みたいなもんだろ?」
「え…………」
返答に困った様子でシャノアールはナハトの目を見据えた。
カルマからは「わお」と小さな声が聞こえてくる。無視する。
「だからさ、俺の――いや、俺たちのために何かを隠しているなら、それは止めてくれ。俺たちはお宅の力になりたいんだよ」
笑顔を見せるとともに、シャノアールの頭を優しく撫でる。あまり手入れをしていない所為か髪の毛が手に引っかかってしまうものの、髪質自体は良質なお蔭で手櫛を入れるとするっと解けた。
シャノアールは気持ちよさそうに目を細める。相変わらず頬を赤らめているが。
カルマからは「ひゅう」と小さな口笛が聞こえてくる。やはり無視する。
「………あ、あの、ですね……」
数秒の間、気持ちよさそうに頭を撫でられていたシャノアールは、思い出したかのようにハッと目を見開いた。
「お金は、その………お薬を買うのに使っています」
「薬?」
ナハトは思わず訊き返す。今まで一度もシャノアールから持病の話など聞かされていないからだ。
従業員として彼女と親しい立場の者ならば、と思いカルマへ目を向ける。しかしカルマも知らなかったようで、顔の前で両手を左右に振っていた。
「薬って何の薬だ? 持病でもあるのか?」
確かに重い病を患っていれば口ごもったことも理解できる。雇い主からすれば、爆弾を抱えた従業員よりは健康な者を新たに雇った方が危険は少ないと判断できるためだ。
だが、シャノアールはまたも否定を示した。
「違うんです。私のおばあちゃんが病気で………。く、薬っていうのはトネリコ薬のことです」
彼女の返答に、ナハトはシャノアールの態度の理由をすぐさま理解する。
つまりシャノアールは、薬を買い続けているにも関わらず狭間亭で購入していないことをナハトに知られるのは不味い、と考えていたのだ。
狭間亭は一口に雑貨屋と言ってもあらゆる種類の品物を網羅しているため、当然ながら薬の取り扱いもある。それなのに狭間亭以外の店舗で購入しているということは、即ち狭間亭に信用を置いていないことを意味する――とナハトに思われることをシャノアールは危惧していたに違いない。
ナハトは苦笑交じりにため息を吐いた。
「そういう時は俺に相談してくれよ。トネリコ薬なんて高価な薬を買うのは大変だろ? それに……悪く言うつもりはないが、お宅みたいな外見の客を受け入れてくれるような薬師がトネリコ薬を売っているとも思えない」
トネリコ薬は大変高価な薬だ。その効果は絶大なもので、一説によれば全ての病気を治すほどの効力を有していると言われるほどである。逆に言えば、トネリコ薬を使わなければ生きていけない患者はもう死んでいると思った方がいいのかもしれない。
死に追いやられているはずの人間を延命することが出来るほどの効果を発揮する薬なのだ、一般層向けの薬師が作成できるような代物ではない。貧民層の客を相手取る薬師となれば以ての外だ。
薬師から直接買い付けることが出来ないということは、その分価格が上がっていくということを意味する。ただでさえ高価な薬に仲介料などの無駄な金を払うことになってしまってはシャノアールの給料では生活が立ち行かなくなることは明らかだった。
「今度からはここでまとめて仕入れておいてやるよ。もちろん、お宅に売る時の金額には仲介料は挟まないでおくさ。で、どれくらいの頻度で使うんだ?」
何の気なしにシャノアールへ問う。
しかし、思いがけない答えが返って来た。
「えっと………ひ、一月に一回くらい、です」
「…………は?」
あまりに想定外すぎて開いた口が塞がらない。カルマもトネリコ薬の価値を知っているのか、驚愕に表情を染めていた。
「え? え? ど、どうしたんですか………?」
何が起こっているのか分からないシャノアールはナハトとカルマを交互に見やる。
「シャノア……トネリコ薬を一月に一回って、相当な大金が必要になるよ? あたしたちの給料じゃ、とてもじゃないけど無理だと思うんだけどねー……?」
カルマの言葉に小さく声を上げるシャノアール。
「で、でも、家ではおばあちゃんに毎月一回トネリコ薬を―――」
「偽物だな、それは」
シャノアールの言葉を遮るようにナハトが断言する。
「どんなルートで仕入れたのかは知らないが、明らかに安価すぎる。きっとお宅を騙して薬草の粉末か………もしかすると薬効なんて全くない、ただの雑草の粉末を売っていたのかもしれないぞ」
「そ、そんな………それじゃ、おばあちゃんは………」
自らが騙されていたことに対しての怒りよりも自身の祖母の容態が気になるようで、シャノアールは目に見えて肩を落とした。彼女の瞳には悲壮感と涙が浮かんでいる。
「だ、大丈夫だよ、シャノア! 偽物でも今まで生きてこれたってことは、シャノアのおばーちゃんはそんなに深刻な病気じゃないってことだし!」
「……ほ、本当ですか………?」
「本当だよ! ね、ナハトさん!?」
唐突に話を振られたナハトは、容態の確認もしていないのに適当なことは言えない、と反論しようとした。のだが、カルマの視線はそれを許さない。嘘でも頷け、と無言の圧力をかけてきた。
仕方なしにナハトは「ああ」と小さくうなずく。
「……ま、カルマの言うことも一理ある。今度、一度医者に連れて行ってやれ。金は貸してやるから」
この都市では――いや、世界的に魔法を使って治療を行う治療院に診察をお願いするには大金を要求される。そういった人々が頼る相手として、長年の経験から患者の状態の良し悪しを測る医者が存在するのだ。
医者に掛かるのならば一月分の給料だけでも十分に返せるし、お釣りも来るだろう。それを考慮しての発言だった。
「それと、さっきも言った通り、今後は俺が薬の手配してやるから」
「そんな!! わ、悪いですよ。ナハトさんに迷惑をかけてしまいます………」
「どうせ他の薬と一緒に買い付けるんだ、それほど苦労はかかりやしない。……迷惑だったら迷惑だって言うさ」
軽く笑いかけてやると、シャノアールは目をさらに潤ませる。胸の前で両手を組み、上目遣いでナハトを見上げる。
まるで修道女のようだ――などとナハトは考える。違うのは、シャノアールが世俗に塗れていることと、信仰する対象が実在することだけだ。
出来るだけ近日中に手配をしてやろう。シャノアールの目を見てそう心に決めたナハトは、次に商人的視点で彼女へ尋ねた。
「その偽トネリコ薬の売人と次に会うのはいつ頃だ? 一応、商人会に知らせておかないととばっちりを受けるのは俺なんでな」
商人会とは、この都市の商人を管理する組織である。アンテルヴァルには何百という行商が訪れるが、定住して店を構える商人も多い。そういった商人たちが不正をしたり、悪質な品物を流通させたり、他の店とは比べ物にならないほどの安値で物品を売るようなことがないように監視することが商人会の役目なのだ。
商人会に登録していない定住商人は社会的粛清の対象になる。商人会に不利益をもたらす行為をする者、その行為を助長する者、そしてその行為を看過する者までもがペナルティを受ける羽目になるのだ。そんな風に権力を行使するにも関わらず、領主とはいがみ合う関係にないところは賞賛すべき点だろう。
この件を商人会に黙っていても「知らない」の一点張りでナハトは免罪されるだろうが、出来ることなら悪質な商人を商人会に売って少しでも借りを作っておきたかった。
ナハトの質問にシャノアールは目を伏せる。
「あ、あの人は毎月の初めに家に来ます。おばあちゃんの容態を確認した後、トネリコ薬を………トネリコ薬の偽物を渡してくれて………」
「月初めだな? 分かった。そしたら次の月初めに、俺と窮鼠騎士団の騎士がお宅の家に行くだろうから、お宅の家族にもそう伝えておいてくれ」
「わ、分かりました……!!」
騎士団が家を訪れるのは怖いのだろう、シャノアールは身を強張らせる。しかし決心したように強く頷いた。
話が終わった途端、ナハトはパンパンと手を二回叩いた。
「よし。そうと決まれば二人とも仕事に戻れ。シャノアは客室の清掃をしてくれ」
「え? で、でも、さっきの魔具の試用がまだ………」
「あれで一応完成形なんだ。少し改良する必要があるが……まあ、それは後々ということで」
「は、はい。分かりました」
言って、シャノアールは清掃道具を取りに部屋を出ていく。
「カルマ、お宅は新しく《人形創造》の魔法の札を作ってくれ。数は……そうだな、十くらいでいい」
《人形創造》魔法の札は、ナハトが開発した新たな魔具の一つ。創造魔法の各種魔法人形生成魔法――《土人形創造》を始め、《石人形創造》など――の魔法陣に共通する部分を抜き出し、魔法人形の種類を定義する部分を取り除くことで、札に込められた魔法を発動した後に魔法陣が触れた部分の素材に応じて様々な魔法人形を創造することが出来るようにした魔具だ。
これによって場所による魔力の消費量増減が少なくなり、土が露出している場所では土人形を、石畳の上ならば石人形を召喚することが可能になったのである。
他にも魔法陣の欠落は幾つかしているのだが、それらは魔法としての調整をしている部分が大半だ。逆に言えばそういった部分を少しでも間違えてしまうと商品として成り立たなくなるので、陣書きであるカルマの神経を磨り減らすには持って来いの仕事なのである。
「ええー!? ちょっと多すぎないですかー!?」
カルマの非難の声にも耳を貸さず、ナハトもシャノアールの後を追うようにして部屋を出ようとする。
「あれ、ナハトさんはどこ行くんですか?」
「少し下調べをしてくる」
それだけ言い残すと、背後で不満を漏らし続けるカルマを無視して、ナハトは狭間亭を後にした。




