プロローグ ~前夜~
男は部屋に入った。
蝋燭が照らすその部屋は、それでも中々に薄暗い。隅に至ってはまったく闇と言って差し支えない程の明るさであった。
しかしそれは、男が望んだことだ。
彼らは光に弱い。闇に溶け込むことが出来なくなってしまう。それ故にこの部屋は、人間の目で生活が可能なギリギリの明るさを維持してある。
「お疲れ様です、教祖。旅の最中に何か不便はありませんでしたか?」
低く太い、それでいて透き通るような聞き取りやすい声が部屋に響いた。
男は声の出処へ目を向けるも、発声主を視界に捉えることは出来なかった。
しかし男は気に留めない。彼が人前に姿を現すことは殆どないからだ。それは教祖と呼ばれた男に対しても同じこと。
「特には。道中で一度騎士らしき一団に襲われましたが、何とかなりました」
男は草臥れたような笑みを見せる。
「あっちはどうだったわけ?」
次に聞こえてきたのは女の声だ。嬌声に似た甲高い、纏わりつくような声を向けてくる。
流石に彼女は姿を隠そうとしない。それどころか肌を隠そうとしていなかった。胸部と腰部、その他関節部分などを覆うだけの鎧―――分離鎧を身に着けているだけで、首元や肩口、腹、太腿など、まるで誘っているのではないかと思えるほど露出が激しかった。
腰には一本の細剣が提げられており、武器はそれだけだ。
男は恥ずかしそうに彼女から目を逸らす。
「あっち、というのは?」
「だからあれだよ。あれ。えーっと…………」
「『雑貨屋』のことか?」
答えを口にした姿の見えない男に向かって、女は「そうそれ!」と指をさす。
「ああ、問題ありませんでしたよ。通りかかったのは偶然ですが……そして憶測でしかありませんが、あれは自分が求めてやまないものでした」
「へぇ。まぁ、これから楽しくなりそうじゃん? アタシはもううずうずして堪らないんだ!!」
「でしたら一緒に来てもらえば良かったですね。あの店からここへ向かう時、自分のことをつけていた雑種を一人、始末しました。ですがもう片方の妖翼種を逃がしてしまいまして……」
「うっわ、サイテーだわそりゃ」
「貴様は少し口を慎め。教祖の御前だぞ」
姿の見えない男の警告に、女は「へいへい」と肩を竦めた。
「それで、いつ始めんの?」
嬉々とした女の声音に、男の表情も明るくなる。
「明日から、すぐに。ようやく自分の目的が達成できそうで嬉しいですね」
恍惚とした表情で男が部屋の隅を見た。
そこには二つの赤い光点が浮かんでいた。
そしてポツポツと、その数は増えていった。
男は魅入られたように、部屋の隅をいつまでも眺め続けていた。