起
各話がべらぼうに短いです。ゆるくお読みいただければ幸い。
私は犬を飼っている。
一人暮らしをする際、諸事情あって実家から連れてきた老犬だ。もう13歳になる。
小型犬ではあるがわりかしでかい図体に、散歩も楽ではなかろうと適当に理由をつけて引き取った。
若いころより動きは鈍いが、それでも餌は毎日完食、頭突きで散歩の催促をする。きらきらした目でおねだりしていた可愛いお前はどこへいった。
犬の散歩は朝晩2回。仕事の前と仕事の後、つまりは早朝と夜だ。間隔がどうしても長くなってしまうのは、会社勤めである以上どうしようもない。
散歩を必要とするペットを飼ったことの方はご存知だろうが、ペットの散歩というものは季節により天国にも地獄にもなる。春は花粉渦巻く中完全防備で出陣せねばならないし、夏はいわずもがなの灼熱地獄、冬の早朝などまだ日も昇らないうちから震える指でリードを握る。
そこに季節特有の天気も絡むわけで、この時ばかりは恵みの雨だろうが風情の雪だろうが等しく呪いの対象である。自分の性癖はノーマルだと断言できるが、その手のご趣味の方は大型犬を飼うとよいと思う。
さて、出会いは一番過ごしやすいであろう秋まで暦の上でひと月あまり、ようは残暑真っ盛りの夏である。「今年の夏の暑さは異常」という言葉を何年連続で聞いただろうかと、眠気の残る頭で早朝の散歩をしていた時だった。
ふと顔をあげると、猫がいた。
いつもそばを通る集合住宅、その生垣の側で、猫が尻尾を膨らませこちらを見て…いや睨んでいる。
視線を追えばそれは私ではなく、足元で熱心に電柱の匂いを嗅いでいる犬に向けられていた。
うちの近所に野良猫はあまり多くない。
地域柄なのかあまり想像したくないがお役所が頑張っているのか、数年前に近所でも評判の猫婆さんが天に召されたせいなのか。「人前に姿を現す猫」というのはめっきり減り、見かける野良猫は大抵決まった何匹かというのが近年のあり様だった。
まぁ時間帯もあるのかもしれないが、少なくとも目の前の猫は私の記憶にない猫だった。
茶トラ系というのか、全体的に薄茶でところどころ縞がある。顔の周りは白毛で、足もソックスをはいたように一部のみ白い。
よくいるタイプだろうそれは、徐々に太い尾を上向けながらそろりそろりと近づいてきた。
飼い犬に対する野良猫の反応は、大まかに3つに分かれる。
ひとつ、完全無視を決め込む。
ひとつ、見ると逃げる。
ひとつ、こっちくんなとばかりに威嚇する。
最後のは割と見かけるが、威嚇しつつ近寄ってくるタイプは初めてだった。
喧嘩を売りたいのだろうか。
あいにく買う手持ちも時間もないうえに、万が一引っ掻かれでもしたら面倒だ。そうなってはたまらないのでさり気に犬と猫の間に入り込む。足だけだとすり抜けられるので、ついでにしゃがみ込んで真正面から覗きこんだ。
足を止めた猫が、邪魔そうに私の方を見る。猫と目を合わせる行為は、相手に喧嘩を売っているのと同じだと聞いたことがあるが、なに、常時寝不足状態での早朝の私の頭を舐めないでいただきたい。何も考えずに猫の目を見つめ返すくらいわけはない。何故なら眠いからだ。
数分そうしていただろうか、猫がふ、と目を逸らした。そのまま体ごとUターンして去っていく。
それを見て私も立ち上がった。ああ朝っぱらからしゃがんだから膝と腰が痛い。少し伸びをすると、「なにやってんの?」とようやく電柱から顔を上げた犬がこちらを見上げていた。お前はもう少し前以外を見なさい。
帰り道、新参者の飼い猫か、野良猫かさてどちらだろうと、じわじわと上がってきた気温をごまかす為に考える。今日も暑くなりそうだ。
隣を歩いていた犬がぴたりと止まり、後ろを振り返る。
散歩途中のお仲間でも見つけたかと、反射的にリードを手首に巻きつけ目をやった。
だいぶ離れた道路のど真ん中、薄茶の塊がこちらをみていた。
…脳裏に浮かんだ薄緑の目が、カゲロウみたいで綺麗だと思った。




