針の男
私は久方ぶりに銭湯を訪れた。そこは地元の非常に小さな銭湯で、シャワーの数がわずか10個ばかり、奥に大浴場が一つという非常にシンプルものであった。
見たところ、客は私以外にだれもいないようだった。私は、軽く体を流し風呂につかった。
「ああー」
思わず声が漏れた。全身の力が抜けていく。このままスライムにでもなってしまおうか、そんな気持ちになった。
思えば、ここのところ仕事続きでこうのんびりできる機会はそうなかった。私は壁によりかかり、目をつぶった。
上からは、換気扇がごうごうと音を立てるのが聞こえる。私は、換気扇の音をBGMに口を半開きにして、考えることをやめた。
腰の異常な痛みで私は目を開けた。どうやら寝てしまったようである。私は長時間座ったことにより痛む腰をいたわるようにゆっくりと立ち上がろうとした。その時、ちくっと右腕に痛みが走った。
なんであろうか?
私は寝ぼける目をこすって右方を見た。
「はて?」
針の山があった。どこから針が生えてるのかいまいち判然としなかったがとにかく四方八方に針が飛び出ている。その色は、なぜか肌の色をしており一本当たり、20センチ、いや、場所によってはもっと長いものもある。よくそれを見てみれば、それは非常に細い針が束なって一つ一つの太い針を形成しているようだった。
私はまじまじとその針山を見つめていた。その時である。針山がゆっくりと動き出したのだ。
「うわ!」
私は思わずたじろいだ。その拍子に足を滑らした。転んでしまうと思い、反射的に右手を湯船の底につこうとした。だが、ついぞ右手が底につくことはなかった。
左手が何やらもちもちしたもので包まれている。目をやると針山の一部が伸びてきて私の左手をつかんでいるようであった。
「大丈夫ですか」
針山の中から声が低い声が聞こえた。私は視線を左手から徐々に上にあげた。
これは、顔か?
針山の上部に何やら顔のようなものがくっついている。いや、ようなものではなくこれは顔だ。大量の針の奥に黒い瞳のようなものも見える。
私は体勢を立て直し改めて、その針山と向き合った。
2メートルはありそうか、巨大な針山。だが、山というより巨大な人のような感じだ。足や腕のようなものも見える。
「あの、大丈夫ですか」
再び声が聞こえた。私は確信した。間違いない、この男性は体中から針が無数に飛び出ているだけのただの人である。
「大丈夫です。ところで、失礼かもしれないのですが好奇心を抑えられず聞かせていただきますけど、その針はいったい何ですか」
その男は一瞬たじろいだようであった。だが、仕方ないと言った風に話し始めた。
「実は生まれつき水に触れると体中から針が飛び出てしまうんです。理由は私にもわかりませんが」
そう言って、針に包まれた手を私に突き出した。
「触ってみてもいいですよ」
「では、遠慮なく」
触った感じ、先端こそとがっていてチクリとするが、それ以外の部分は柔らかく焼きプリンほどの固さであった。私はつい夢中で触っていると
「あの、そろそろ」と彼は言った。
「あ、すいません」私は慌てて手を引っ込めた。
彼は特段気を悪くした様子はなかった。こうしたやり取りも何度となくやってきたのであろう。
「では、私はこれで」
彼はそう言って湯船から出た。
私はその後ろ姿を見つめた。ふむ、背中にも針がびっしりである。
あのあたりがお尻であろうか、私は臀部に推定される部分をついまじまじと見つめた。
すると、黒く、短く、ちぢれた針が飛び出ていた。
私は、思わず顔をしかめた。




