第9話 鑑定書の最終行に、私の名前だけが印刷されていた
王城の街灯が全て消えてから、七日が経っていた。
暗くなった街角を人々は提灯を持って歩いている。不便だとは思う。設計が止まったのだから仕方ないとも思う。その二つが同時にあって、どちらかを選べないまま、審査会の会場に向かった。
「本当に行くの?」
隣でカタリナが言った。朝から緊張した顔をしている。
「呼ばれたので」
「だって、向こうがあなたのものを勝手に」
「筆跡の比較に本人の新しい筆跡が必要だそうです。それで呼ばれました。仕事です」
カタリナが何か言おうとして、やめた。私の「仕事です」の使い方を知っているからだろう。
◇◇◇
国際魔道具技術審査会の会場は、王城の大会議室だった。
他国の使節が十名。魔道具省の官吏が十数名。専門家として招かれた筆跡鑑定士が三名。傍聴席にはクロード閣下の姿も見えた。
私の席は証人席だった。
鑑定士の一人が近づいてきた。「ご提供いただいた筆跡と照合いたします。こちらの用紙に、指定の文字列を三回ずつお書きください」。
書いた。三種類の文字列を、指示通りに。
それだけだった。あとは待つ。
傍聴席に戻って、カタリナの隣に座った。
「大丈夫?」
「何が?」
「顔色」
「普通だと思いますが」
「……そう」
カタリナは前を向いた。私も前を向いた。
◇◇◇
鑑定の作業に、二時間かかった。
三名の鑑定士が順番に、五年分の設計書を確認していった。提出者名の欄と、筆跡の実物と、今朝私が書いた比較用の文字列。それを照らし合わせて、記録していく。
会場は静かだった。
ページが繰られる音。ペンで記録する音。遠くから聞こえる城下の生活音。
私は試算表を頭の中で整理していた。機能停止から七日。重要度Aの設備は全て安全手順で停止できているはずだ。医療施設の暖房は代替の炭炉が搬入されている。浄水場は手動切り替えで対応中。
やるべきことはやった、という感触だけがあった。
やがて、首席鑑定士が立ち上がった。
「照合結果をご報告します」
会場の空気が、少し変わった。
「提出された設計書、百十七点。全点について、ヴァレンティン嬢の筆跡との一致を確認しました。三名の鑑定士の総意です。不一致は、ゼロ件です」
百十七点。
その数字を聞いたとき、こめかみの奥が、静かに鈍くなった。
五年分。全部。
知っていた。わかっていた。照合記録を閣下から受け取ったとき、ページをめくるたびに確認した。それでも、「百十七点」という数字として声に出されると、違う重さで来た。
「なお、本審査会の議事録において、上記設計書の設計者名義を正式に修正します。ヴァーゲナー王家宮廷魔道師課の名義を、ヴァレンティン・アリア嬢の名義に改定いたします」
議事録を書く音がした。
傍聴席の使節たちが、何かを囁き合っていた。
ルドルフ殿下の顔は、見なかった。見る必要がなかった。
◇◇◇
会場を出たのは昼過ぎだった。
カタリナが隣で黙って歩いていた。王城の門を出るまで、二人とも何も言わなかった。
門を出たところで、カタリナが口を開いた。
「一個、言っていい?」
「どうぞ」
「審査会、ずっと傍聴席に宰相閣下いたじゃない」
「はい」
「あなたが議事録に名前を書かれた瞬間ね、私から見えたんだけど」
少し間があった。
「閣下、笑ってた」
「……笑って」
「うん。ちゃんと。声は出てないけど、本当に笑ってた。あなたは前向いてたから気づかなかったと思うけど、私は横から見てたから、はっきり」
何か言おうとしたが、出てこなかった。
「それだけ」とカタリナは言った。「言いたかっただけ」
◇◇◇
夜、机の引き出しから招聘状を出した。
返答期限が、明日だ。
断ろうと思っていることは変わっていない。
理由を、もう一度考えた。
閣下が笑っていた、という話が、一日のうちで一番印象に残っているのは、なぜだろうか。百十七点の設計書が自分の名前で国際議事録に記載されるより、そちらの方が引っかかっているのは、なぜだろうか。
わからなかった。
正確に言えば、もうわかりかけていた気がするのだが、まだ言葉になっていなかった。
ランプの火が揺れた。
明日、書こう。
断り状を。
そして理由を、今夜中に見つけよう。




