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婚約破棄おめでとうございます、と周囲が泣きながら言ってきます  作者: 秋月 もみじ


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6/10

第6話 返事は短いほどいい、というのが前職での鉄則だった


翌朝、封書を開けた。


ルドルフ殿下の筆跡だった。


読んだ。


丁寧な書き出しから始まって、中頃に謝罪の言葉があって、末尾に要件があった。「婚約破棄を白紙に戻したい。戻ってきてほしい」。それだけだった。追伸に「貴女の能力を改めて評価している」とあった。


封書を折り返した。


(面倒だな)


怒りが来ると思っていたのに、来なかった。代わりに来たのは、前職で筋違いのクレーム対応をしていたときに似た、静かな疲労感だった。感情として正しいかどうかはわからないが、そういうものが来た。


机の引き出しから便せんを一枚取り出した。


返事を書く。

短く。


前職での鉄則は「返事は短いほどいい」だった。長い文章は感情を読まれる。余白を作ると解釈される。一文で終わらせれば、交渉の余地がないとわかる。


ペンを持った。


書く前に、少し止まった。


なぜ止まったのかは、よくわからなかった。文面を整理していたのだと思う。そういうことにして、書き始めた。


「戻る気はありません。研究は楽しいです。お気遣いなく。私にはまだ、設計したいものが山ほどあります。」


読み返した。

問題なかった。


折りたたんで封をした。


◇◇◇


昼前に、クロード閣下が試算表の確認で研究所に来た。


「一つお願いがあります」


「はい」


「これを、殿下へお渡しいただけますか。閣下経由で届けるのが適切かと思いまして」


封書を差し出した。閣下が受け取った。表書きに目を通した。


「……承りました」


「お手数をおかけします」


「いいえ」


それだけで終わるかと思ったが、閣下は封書を手に持ったまま、少し止まった。


「読んでも、よいですか」


「構いません。返す返さないの証人になっていただいた方が、後々楽ですので」


閣下が封を開けた。


便せんを広げた。


読んだ。


間が、あった。


「……見事です」


「ありがとうございます」


何が見事なのか、正確にはわからなかった。文面の簡潔さか、それとも別の何かか。聞こうとして、閣下がすでに試算表の方へ視線を移していたので、やめた。


業務的な評価だろうと思った。


思ったのだが、なぜか「ありがとうございます」の後に何か言いかけて、止まった。


何を言いかけたのかは、自分でもわからなかった。


◇◇◇


午後は一人で作業をした。


暖炉カバーの設計書、初稿の仕上げだ。魔力変換素子の配置を最終的に決めて、素材の仕様を書き込んで、余白の計算式を清書した。


窓の外では秋の光が傾いていた。


ペンを置いた。設計書を正面に置いて、少し眺めた。


最初の一枚だ。

婚約破棄から二十日で、研究所名義の最初の設計書が一枚できた。題名のところに「暖炉用魔力変換カバー・試作一号」と書いてある。提出先の欄は空白だ。どこかに出すためではなく、作りたいから作った設計書は、初めてかもしれなかった。


(……いい仕事だった)


自分で言うのもどうかとは思ったが、事実として、よくできていた。予算の制約がなかった分、素材の選択に余裕があった。機能の優先度を自分で決められた。修正指示が来ない。


五年間で一番、自分の設計書らしい設計書だった。


◇◇◇


**◆ 幕間 クロードの独白**


執務室に戻ってから、三度、書類を読み間違えた。


自覚があった。珍しいことだった。


引き出しから断り状を取り出して、机の上に広げた。


「戻る気はありません。研究は楽しいです。お気遣いなく。私にはまだ、設計したいものが山ほどあります。」


短い文だった。それ以上も以下もなかった。

感情の温度が、どこにもない。


見事だと思った。それは本当のことだ。


問題は別のところにあった。


ヴァレンティン嬢は、この断り状を書く前に、少し止まった。ペンを持って、紙を前にして、一拍。止まった。


なぜ止まったのか。


文面を考えていたのだとすれば、それで説明はつく。しかし、あの止まり方は、文面を考える間とは少し違った気がした。


気がした、というのは、確信がないということだ。


こういう状態は得意ではない。論拠のない推測は業務の妨げになる。わからないことは、わからないとして保留するのが正しい。


断り状を折りたたんで、引き出しに戻した。


明日、殿下に届ける。それが仕事だ。


残り六十八日。試算表の確認を続けなければならない。


それだけを、考えることにした。

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