表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄おめでとうございます、と周囲が泣きながら言ってきます  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 五年分の記録を、他人が持っていた


研究所の朝は、静かだった。


実家の離れを一室借りた。前の住人は物置として使っていたらしく、荷物を出したら思いのほか広くなった。窓が東向きで、午前中は光が入る。それだけで十分だった。


設計台に向かって、暖炉カバーの下書きを広げていた。


魔力変換素子の配置を三パターン試して、二パターン目の余白に計算を書き込んで。ふと気づくと、一時間が過ぎていた。前職では集中できる時間が細切れにしか取れなかった。まとまって考えられる、ということの贅沢さを、じわじわと実感していた。


(これが普通の仕事環境か)


などと思っていたところで、扉を叩く音がした。


◇◇◇


「失礼します」


入ってきたのは、黒い礼服の男だった。


クロード・エイモス。王宰相。三十二歳。昨日も一昨日も会っていないが、申請書の直筆決裁を経由して、なんとなく存在を意識していた人物だ。


「視察です」


「……視察、ですか」


「魔道具省管轄内の研究施設の設立状況を確認する義務があります」


言いながら、手に持っていた紙の束を作業台の端に置いた。


厚かった。相当の枚数がある。


「こちらは」


「照合記録です」


私が手を伸ばすより先に、クロード閣下が上から一枚めくった。日付が見えた。五年前の日付だ。その下にも日付がある。さらにその下にも。


「ヴァレンティン研究所に関係するものではありません。参考資料として、お持ちしました」


「参考、の」


「魔道具省に保管されていた設計書の、筆跡照合結果です。五年分」


束の最初のページを、閣下が正面に向けた。表に項目が並んでいる。日付。設計書の題目。提出者名。照合結果。


提出者名の欄は全て「ヴァーゲナー王家宮廷魔道師課」となっていた。

照合結果の欄は全て「ヴァレンティン嬢筆跡と一致」となっていた。


「……これは」


声が、少し間抜けな出方をした。


「五年分です」


閣下の声は平坦だった。


ページをめくった。

また同じ形式。また同じ照合結果。


一枚、二枚。十枚。三十枚。


全部、同じだった。

日付だけが変わって、設計書の名前だけが変わって、照合結果は変わらなかった。


全部が、ここにある。

五年分。全部、私の筆跡。


怒るべきだと思った。なのに怒りが来ない。

頭の中で計算が始まった。五年間、週に一回以上。提出した設計書の総数を弾き出そうとした。


待って。


これは、私が書いた。全部。


じゃあ今まで私はずっと、「補助要員だから当然だ」と処理してきた。でもこれだけの量を、補助要員が一人で? 違う。これは補助じゃない。最初から、私が——


首の付け根の内側が、じわりと熱くなった。


処理してきた、のか。

それとも、処理させられてきたのか。


答えが出る前に、閣下が静かに待っているのが視界の端に入った。何も言わなかった。急かすでもなく、説明を加えるでもなく、ただそこに立っていた。


ページをめくる手が、止まった。


「なぜ、保管していたのですか」


顔を上げずに聞いた。


「保管するのが、宰相の仕事です」


答えが返ってくるまでに、間はなかった。


短い答えだった。それ以上も以下もなかった。


閣下が宰相に就いたのは四年前だと聞いていた。就任以前の分も束に入っていた。前任者の記録を引き継いで、整理して、照合まで行っていたということになる。


「そうですか」と言おうとして、喉の手前で止まった。


「そうですか」と言うのが正しい気がしたし、なぜかそれだけで終わらせていいかどうか、よくわからなかった。


沈黙が、少し続いた。


◇◇◇


閣下は束を机の上に残したまま、室内を一周した。設計台を見た。窓を見た。棚の資材を確認した。視察、というのは言葉通りだったらしい。


「設備は足りていますか」


「今のところは」


「不足があれば申請書を」


「出します」


「三日で処理します」


それは宣言だったのか、それとも普通の業務連絡だったのか、判断できなかった。とりあえず「ありがとうございます」と答えた。


閣下が出口の方向へ向いた。


「もう一点」


振り返った。


「魔道具法第七条について、確認したいことがあります。次回、時間を取っていただけますか」


「……第七条」


設計書の末尾に転記した条文が、頭の中で浮かんだ。設計者が縁を切ると九十日で機能停止する、あの条文だ。申請作業が忙しくて、それ以上考えていなかった。


「いつでも構いませんが」


「では明日の午前に」


「はい」


「失礼しました」


扉が静かに閉まった。


◇◇◇


しばらく、扉を見ていた。


作業台に目を戻した。暖炉カバーの下書きが広がっている。その端に、紙の束が置いてある。


五年分の記録。

全て、私の筆跡と一致。


手を伸ばして、束の表紙を指先で押さえた。紙の冷たさが指に伝わった。


なぜ閣下が、これを持っていたのか。


「保管するのが仕事」という答えは聞いた。

聞いたのだが、なんというか。それが全部だとは、なぜか思えなかった。


言葉を探したが、見つからなかったので、諦めた。


代わりに、別のことが気になった。


魔道具法第七条。

次の日の午前に、何を確認されるのか。


婚約破棄の日から今日で、ちょうど十七日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ