第3話 三日で戻ってきた申請書には、返却がなかった
魔道具省の窓口担当官は、申請書を受け取った瞬間に、ほんの少しだけ間を置いた。
気のせいかもしれない。
でも確かに、書類に目を通した瞬間に、彼の手が止まった。何か言おうとして、やめた。そう見えた。
「通常、審査に六週間ほどお時間をいただいております」
「わかりました」
「……では、お預かりいたします」
その間が何を意味しているのかよくわからなかった。忙しいのかもしれない。申請書の書式に問題があったかもしれない。帰り道に見直してみたが、記載に不備はなかった。
六週間というのは、予想の範囲内だ。
その間に設計室の準備を進めて、資材の発注をして、道具の整備をして。計算すれば十分に埋められる時間だった。
◇◇◇
三日後に、申請書が戻ってきた。
使用人が「魔道具省からお届け物です」と持ってきたとき、最初は別の書類かと思った。封筒が薄すぎた。開けると、提出した申請書がそのまま入っていた。
ただし、表紙の右上に押印があった。
返却なし。修正指示なし。
「採用。問題なし」の文字と、決裁印だけが押されていた。
三日、だ。
六週間と聞いていた。
申請書を机に置いて、しばらく立ったままでいた。
前職でも、稟議が異例の速さで通ることは稀にあった。上位者が強引に優先処理を通す場合。ただし、それは案件に何らかの緊急性があるときだ。個人の研究所の設立申請に、緊急性があるとは思えない。
決裁印の字体を、もう一度確かめた。
担当官の名前ではなかった。
クロード・エイモス、とあった。
「……」
直筆だった。
宰相の、直筆だった。
通常、この種の申請書が宰相の机まで上がることはない。魔道具省の担当者が処理して、省内の責任者が決裁して終わる。それが六週間かかる手続きだ。
なぜ、宰相閣下が直接。
考えようとしたのだが。考え始めたところで、なぜかうまく続かなかった。業務上の理由があるはずだ、と思った。魔道具省の案件として何か優先される事情があった、と思った。
それでも直筆は通常ではない。
申請書をそっと裏返して、机に置いた。
とりあえず、研究所の準備を進めよう。
◇◇◇
**◆ 幕間 ハイン大臣の独白**
王城の魔道具室を、大臣ベルント・ハインが一人で歩いていた。
夜の九つ。廊下には照明魔道具が等間隔に並んでいる。普段は均一な白光を放つそれが、今夜は端の一台が、目で測れる程度に、暗かった。
計器を取り出した。数値を読んだ。
定格光量の九十五パーセント。
五パーセントの低下。
誤差の範囲ではない。経年劣化でもない。設計書の末尾に記された保証値を下回るには早すぎるし、そもそも設計者が縁を切った場合の機能低下とは、こういう形で現れる。ゆっくりと、均一に、確実に。
三日前に試算を出した。
宰相閣下に渡した数字は、悲観的だったが正確だった。
婚約破棄の日を起点に、九十日。
今日で三日が過ぎた。
残り八十七日。
大臣は計器をしまい、廊下の奥へ歩いた。
翌朝の謁見で、ルドルフ殿下に報告した。
「替わりの設計者を手配しろ。宮廷魔道師の中から適任を見つければよい」
殿下の声は、いつも通りだった。問題を問題と思っていない声、とも言えた。
宮廷魔道師が十二人、並んでいた。
誰も、手を挙げなかった。
誰も、目を合わせなかった。
窓の外の中庭に、朝の光が差していた。ハイン大臣はその光を見ながら、何も言わなかった。
言えることが、なかった。
替わりがいるなら、最初からそうしていた。
あの令嬢の設計書を五年間、誰かが「王家の成果」として発表し続けてきた。その誰かが今、替わりを探せと言っている。
大臣は静かに、もう一度計算した。
残り、八十七日。




