第2話 書棚を開けたら、五年分の仕事が出てきた
実家の書斎は、出て行ったときのままだった。
窓際に父の古い机。棚三列分の技術書と魔道具関連の法令集。それから、一番上の段に。
積んであった。
ぎっしり積んであった。
「……重い」
設計書の写しを最初の一束抜いた瞬間に、棚全体がわずかに揺れた。紙の重さが手のひらに伝わった。日付を確かめる。五年前、婚約初年度の分だ。
前の職場でシステムの仕様書を管理していたとき、バックアップを取るのは当然だった。誰も取れとは言わなかったが、取らない選択肢が思い浮かばなかった。
転生して、異世界の設計書になっても、習慣は変わらなかった。
一束、二束、三束。
積み上げていくと、机の上がすぐに埋まった。
(これ全部……私が書いたのか)
わかっていたことだ。当然わかっていた。でも、こうして実物として手元に並べると、なんというか。量として認識が追いつかない感覚があった。五年間、週に一回以上書き続けた設計書。全部がここにある。
全部が、ここにある。
改めて確かめても、気持ちにうまく名前がつかなかったので、とりあえず束を日付順に並べ直した。実務から入る方が早い。
◇◇◇
整理を続けながら、束の一つに挟まっていた一枚を引き抜いた。
覚えていた。三年前、省エネ型街灯の設計書を提出したときの最終ページだ。当時、参照した法令集の該当条文を末尾に転記する習慣がついていて。
「魔道具法第七条。設計者と魔道具の間に存在する縁は、設計者の婚姻・離縁・死亡・追放等により解消される。縁の解消から九十日をもって、当該設計者が製作に関与した魔道具は機能を停止する」
昨日の話とは、関係ない。
正確に言えば、関係なくなった話だ。宮廷魔道師の正式登録者に適用される条文だから、令嬢の身分で設計業務をしていた私には、そもそも縁の切れようがない。設計者として正式に登録されていないのだから。
紙を戻した。
次の束に移った。
(しかし九十日か。ちょうど三ヶ月だな)
どうでもいいことを考えながら、手を動かした。
◇◇◇
食卓に封書が来ていたのは、昼食のあとだった。
使用人が「ご令嬢宛のお手紙です」と持ってきて、差出人を見た瞬間に手が止まった。
ヴォルハルト王国。国立魔道具研究院。
隣国だ。差出人の肩書きを確認する。院長、とある。組織の頭だ。
封を開けた。丁寧な文面が続いた後、要件はシンプルだった。「ご令嬢の設計に関する噂を耳にしており、ぜひ当院の客員研究員として迎えたい。待遇についてはご相談のうえ決定したい」。
……噂、というのが少し引っかかった。
私の設計が私のものだという話は、少なくとも公式には存在しない。王家の設計として発表されてきた。
なのに、どこから。
考えかけて、やめた。理由を探すより先に、「面白そう」と「でも……」が同時に来て、その「でも」の後ろに何が続くのかよくわからなかったので、一旦封書を机の脇に置いた。
隣国の研究院。悪くない選択肢ではある。
ただ、自分の中でまだ何かが整理されていなかった。
昨日のことを、もう少し考えてみる必要があるのかもしれない。
◇◇◇
夕方、書斎の窓から外を見ながら、申請書の下書きを始めた。
「ヴァレンティン私設研究所」の設立申請書。実家の敷地に一室を借り、個人の研究施設として登録する。費用は婚約破棄の違約金で賄える。
何を作ろうか、ということは、もうほとんど決まっていた。省エネ型の暖炉カバー。浄水路の改良。それから魔力変換素子の小型化。どれも、婚約中はずっと後回しにしてきた課題だ。
正確に言えば、後回しにさせられてきた、が正しい。
窓の外の街灯が、夕暮れに灯り始めた。
(……あの人の顔色が、今でも少し気になっている)
昨日の話だ。
退出するとき、壁際に立っていた宰相閣下。無表情で、手を後ろで組んでいた。顔色が悪かったとは思わなかったが。「試算を出せ」と耳打ちするのが聞こえた。何の試算か。大臣の顔が変わっていた。
業務上の何かだろう、と思う。
私には関係ない話のはずだ。
のはずなのに、手が一瞬だけ止まった。
(なんでだろう)
わからなかったので、申請書の続きに戻った。




