人殺しには秘密がある
「私はね、人を殺したことがあるんだよ」
夕暮れ。下校時刻も間近に迫ったがらんどうの教室で、彼女は淡々と私に告げた。
「ええと⋯それは偶発的な事故だったり、比喩的表現で⋯?」
「いいや?極めて明確な殺意を持ってして物理的にキルしたね。比喩的表現でも何でもない。対象の生命体を、ホモ・サピエンスの生命活動を終わらせたよ」
庇えない。思わず頭を抱えた。いや、そもそも何で今こんなことを言うのだ。私たちの間に接点などないだろうに。
おまけに、今は夏休み期間だ。忘れ物を取りに来た私を待ってたかのように話し始める彼女のペースに、私は飲み込まれていた。
とにかく自分を平静に保とう、と私は目の前のクラスメイト⋯村山を見つめる。
彼女の印象はクラスの中でもずば抜けた『大人しい人』だった。特に意見を言うこともなく、それなりの成績を収め、教師に反抗することもない。
服だって着崩しなどされてないし、髪なんか一度も染めたのを見た事がない。艶めく黒髪は、染めたことがない証拠だろう。
同じくらい黒い瞳はいつもは重っ苦しい前髪に隠されて見えてなかったのだけど。この夏休み期間中に髪を切ったらしい。少しばかり垂れ目というのが分かった。
何が言いたいか。いわゆる「教師にとって扱いやすい」人間だ、ということだ。少なくとも、今までの私の認識は。
けれど、改める必要がありそうだ。
「じゃ何でそれを私に話したの?」
少し震える声を抑えながら、村山に問う。村山は少し目を伏せて、考える仕草を取る。
「何故⋯か。実はよく分からないんだ。ただ、ずっと隠してもいられないだろう」
「それ、は」
「まあ、日本の警察は素晴らしい。こと殺人事件においては殆どが数日で犯人を検挙するそうだ。私の伝聞に間違いがなければ、ね」
誰かの机に腰を乗せてバチン、とウインクを決める村山に呆れが勝る。だいぶ話が掴めてきた。つまり、自身の犯したその罪を私に聞いて欲しいわけだ──あれ?
「待って、その殺人って最近の話なわけ?」
「いいや?今からおよそ七年前、私が九歳だった頃の話だ」
にんまりと笑って此方を見つめる村山に、しまったと思う。聞く姿勢をとってしまった。
「それを話すには今一度、私の生い立ちも話さなければならないね。どこから話したら良いかな。私の家庭がもともと父子家庭であったことは知ってるかい?」
おい、始まるのかよ。そんな突っ込みを飲み込んで、彼女の話を一度切る。
「ちょっ⋯と待ってくれない?いや、確かに家庭事情は噂に聞いてはいるけど⋯」
「なら良いね。続けようか」
おいおいおい。
──これを話すには、私の過去も聞いてもらおう。何故、私がそんなことをしたのか。覚えていないこともあるけれど、できる限り伝えるよ。
改めて、私の家は物心ついた時から父と私だけの父子家庭でね。仕事と家事を両立する父は子供ながらにして自慢の人だった。私が父に似てることもあって、私は父のことが大好きだったよ。
もちろん家事を私が手伝わないなんて選択肢はなかったから、少しばかり手伝ったさ。料理中に火を見たり、ゴミ袋を捨てたり、洗濯物を畳んだりってね。
父親の仕事場も父によくしてくれたらしい。無理のない範囲の仕事量で嬉しいと言っていたのを覚えているよ。
そうだね、その生活が終わったのは私が小学二年生に上がる頃だった。学校から帰った時に、玄関に見慣れない女性物の靴があったんだ。
『結婚を前提にお付き合いさせて貰っている人だよ』と父は教えてくれたけれど、私にはよく分からなくて⋯。暮らしを楽にするための人だ、と言われて何となく合点がいったんだ。
その女性は幼い私から見ても美しかった。そして、顔にはその自信が前面に押し出されていた。けれど、苦手な気がしていた。
今思うと、子供の前とはいえけばけばしい化粧をしている彼女のことなどハナから信じない方が良かった、と思うけど。当時、私はまだそんな分別などなかったからね。
⋯ん、名前?もう忘れたよ。あの女の名前なんて覚える価値もないだろう。
とにかく、その顔合わせから数ヶ月で彼女は此方へ引っ越してきたから結婚したんだろうと思った。
彼女は金持ちだと父が言っていた。それに嘘はなかったよ。
掃除機も、料理器具も、洗濯機も、新しいものに取り替えて、おまけに水道代も払ってくれた。彼女はよく言っていた、『お金はこの世で最も必要なものなのよ』ってね。
楽しかったよ。友人と遊ぶ時間も増えた。勉強に割り振ることができた。父を、楽にさせてあげられることができて嬉しかった。
⋯でも、自由になればなるほど、生活が楽になればなるほど、何故か父の顔は疲弊していった。それに気付かないほど私は馬鹿じゃない。
聞いても父ははぐらかすだけ⋯。嫌な予感が満ちるだろう?女は何も言わず、いつものように私を甘やかしているし。
何かある、と踏んでね。ある日学校をこっそり休んで家の中を盗み見たんだ。⋯サボりって顔だね。許せないかい?はは、冗談さ。話を戻すよ。
あの女は父を家政婦のように扱っていたんだよ。物のように、ね。疲れるはずさ、いくら仕事が少ないからと言えど、専業主婦の業務と両立するのは難しい。睡眠時間も削っていたんだろう。
ようやくそこで理解したよ。女にとって父は替えの効く化粧品。自分を更に高めるためだけの付属品だって。
私の前で良い夫婦を演じたのは、私がクラスメイトに言って、そこから探られるのを嫌ったからだろう。
あの女は確かに金を払っていたよ。──あの女の夫の金でね。
⋯はは、その顔が見たかったんだ。分かるだろ、不倫だよ。ああ、勘違いしないでくれよ、私と父は被害者だ。加害者のように仕立て上げられただけのね。
どうせヤッた後にでもネタバラシしたんだろ。夫婦の営みは普通のこと⋯父でもそう思っていたんだから。
結婚詐欺だよ。詐欺に遭ったんだ、父は。
その後を何気ないふうに装うのは苦労した⋯!あの女に気取られないような会話も、父への心配が過剰にならないようにするのも、不倫現場を家の外の人に見られないようにするのも。
⋯ん?どうしたんだい?
あぁ、何で隠したのかを知りたいの?そんなの簡単じゃないか。
父を助けたかった。あの女を苦しめたかった。それを同時に行うには隠した方がいいと踏んだんだ。
何か言いたいかい?⋯確かに、小二が考えることじゃないね。でも、実際に私はやり遂げた。あの女を殺して、今に至るわけなんだから。
まあ、もう少し付き合ってくれよ。本当に話したいことはこれじゃないんだから。
父が騙されてると分かってから、私は日に日にあの女への憎悪を募らせていったんだ。でも、流石に年の功だね。ある日突然首を絞められたよ。
こう、ギュッと。ここを重点的に絞められた。まだ跡が残ってるはずだよ、見る?
⋯はは、見せないでくれって?優しすぎやしないかい、君。
多分あの女はどこかのタイミングで私が探っているのに気がついたんだろう。自分の敵は自分の手で始末する⋯良い判断だ、その方が確実だし。
まあ、流石に父に止められたよ。引っ剥がされてちら、と見えた顔!あれは驚いたね。
化粧の崩れた女の顔などもう見たくもない。アイツがチラつくんだ。煩い顔だよ。
それからだよ、アイツが私にも父と同じような態度を取ったのは。証拠?全部破り捨てられたさ、当たり前だろう。
蹴る殴るが無いだけマシかな、とも思うけど⋯。まあ私に取っての地獄はあれだね。キャンキャン喚く犬より酷い。
家庭は一気に冷え切ってしまった。もしかするとこれを恐れて父は私に話そうとしなかったのかもね。
⋯アイツ、暴かれたらもういいやって思ったのかな。朝帰りをする事が多くなった。それでも、離婚はできないんだ。家電を買い替えて水道代と電気代が高くなったからね。それは私たちだけじゃ払えないし。というかそもそも結婚すらしていないのに、離婚ができる訳ないだろ。
───
そこで、村山は一度言葉を切った。此方を見てにこりと笑う。
「松浦くん、そろそろ下校時間になるけれど、どうだい?」
外を見れば、いつの間にか暗くなっていた。来た時と比べると、大分長い事ここにいるらしい。村山は相変わらずこちらを見つめる。動くつもりなどなさそうだ⋯誰かにそれを指摘されるまで。
「⋯はあ。最寄りはどこ?」
「南小磯。路線でいうところの相蔵線かな」
え、と驚き彼女の顔を見る。村山は私の顔を見返して、ああと納得したように言った。
「同じなのかい?方向。なら一緒に帰ろうか」
「それで、続きは?」
靴箱での沈黙に耐えられず、ゆっくりと履き替える彼女にそう催促する。
「待ってくれよ、松浦くん。そんなだから彼氏にフラれるんだよ」
どきり、と胸が鳴る。そのせいで、返答が一拍遅れた。
「⋯、知ってんの」
「知らずとも噂は聞くさ。でも、珍しいね。君はなんでもそつなくこなす印象なのに」
「嵌められたの、誰かに。私がどうとかじゃない。あれは他人の噂に踊らされたんだよ。今思えば本人に確認もせずに、勝手に振ってくる身勝手な男なんてどうでも良かったけど」
「そうかい?彼は復縁を申し出ていると聞いたよ」
「どうだっていいわー、あんな奴。惚れてたのが何かの間違いでしょ」
そう言えば何故か沈黙する村山。違和感を感じて彼女の表情を見ると、にっこり笑って返される。
──掴みどころがないな。
今までの印象で言えば、彼女は大人しくて滅多に笑わないタイプだった。
この十数分で塗り替えられたそれに、やっぱり慣れない自分がいる。
「⋯まあ、松浦くんにとっては踏み込まれたくないものだろう。それより聞きたいことがあるんだろう?続きを話すよ。さ、一緒に帰ろうか」
ナチュラルに差し伸べてきた手を無視して村山の隣を歩く。目を丸くしてきょとんとした彼女は、しかし何を思ったか少し笑って歩きながらまた話を始めた。
「ええと、どこまで話した?そうだ、アイツが豹変したところからだね」
───さて、そういう訳で私の家は一時期崩壊してたんだ。⋯ん、その顔は何?ああ、『一時期どころじゃないだろ』って?大丈夫さ、ちゃんと『一時期』だから。
暴力はもちろん受けたさ。学校でバレないように、腹が多かった。今でも青あざは残ってるよ。⋯そんな顔しないでくれよ、流石にもう見せない。
父は会社で様子を訊かれることが多くなったらしい。当たり前のことだね、あからさまに疲弊しているんだから。でも本当のことは言えないだろ?だからどんどん精神的に孤立していった。
私が、あの女に対して『殺そう』と思ったのはその時だよ。ほら、よく二時間ドラマであるだろ、殺人事件。その話を小耳に挟んでね、「殺せばいいんだ」って思ったんだ。
後先は考えるはずないだろ、まだ小二、三だ。それに、後先を考えていれば自分たちの生活はいよいよもって後の祭りになるって思ったんだ。
実行したのは父がちょうど仕事に出かける日。学校を途中で早退して⋯そ、仮病使ったよ。その少し前から保健室の世話になっていたし。父から『無理しないで』とも言われていたし。
それで家に帰ったら⋯ははは!笑えてきちゃうよ。アイツ、何処かで引っ掛けた男を連れ込んでた!ふざけんな、不倫に浮気に⋯ああ、きりがないって思って。そっと聞き耳立てたらもう帰るだの言っていたから、こっそり台所に隠れたんだ。
もう、分かってくれるよね。そうだよ、包丁で刺したんだ。アイツが男を玄関で見送った直後、鍵を閉めてすぐにね。
あの時のアイツの顔と言ったら!はは、ざまあ見やがれって感じだったね。刺しどころがよかったらしくって、一撃で死んだ。
でも、恨みはずっと持っててね。死んだ後もグサグサ刺したから酷くなって⋯何だい、聞きたくないのかい?しょうがない、じゃその後でも話す?
その後はだいぶ頭が冷えたから、警察に連絡したんだ。「人を殺しました」って。警察も驚いてたよ。でも、ちゃんと説得した。「この住所にいます。お父さんは今仕事中です」って。他はどうだったかな⋯ちょっとよく覚えてないんだよね、あの時の興奮しか刻まれてなくて。
でもまあ、どちらにしろ児童相談所に送られたよ。それで何か色々話受けたけど、それもよく覚えてないんだよね。
だって、その後すぐお父さんが精神病んじゃったから。これは私がどうこうじゃなくて、今までの心労がたたったらしい。そ、うつ病だよ。⋯え、今お父さんが何してるか?
今は⋯寝込んでる。病院にいた時に自殺未遂起こしてから、ずっと寝てる。
そんな顔しないでよ。まだ先があるんだから。
───
にこり、と笑ってそう言う村山に、私は眉をひそめる。
「だって、もう終わったはずじゃ⋯?」
「そうじゃない。いや、そうではあるんだけど。松浦くん、君に言いたいことがまだ終わってないんだ」
そう言えばそうだ。というか、彼女は始め私に話す理由を教えてくれなかった。それっぽい理由で誤魔化して、何だかモヤッとしていたんだ。
「でも、今までの話と随分変わるからね、一度切るのも重要かなって」
「そんじゃ、今までの話に意味あんの?」
「それはもちろん君のためさ、松浦祈里くん」
「⋯なんで、急にフルネーム?」
「別に?松浦くんも私のことを名前で呼んでいいよ」
そう言われて、彼女の名前を知らないことに気付く。日誌で見たことあるから、名前は分かるけれど⋯読みが難しかった記憶があるから、普通の読み方はしないはずだ。
ええと、確か三文字だったはずだ。テストで書きにくそうって思ったから、ちょっと画数が多くて⋯
「ら、らり⋯」
「そうそう、いいよ」
「らり⋯、ひ、?」
「惜しいかな。楽しいの楽、麒麟の麟、惹かれるの惹で楽麟惹だ」
分かる訳ないだろ。呆れて彼女の顔を見返す。
「お父さんが付けてくれた名前だからね。どれだけ読みにくかろうと画数が多かろうと、一生使うつもりだよ」
村山楽麟惹はそう言って再び笑う。その笑みは先ほどと変わらないようでいて、なぜか哀愁のあるものだった。
父親が、好きだったのだろう。ファザコンと言われようが構わないくらいには。
「そうだ、私はこの路線から稲田駅で乗り換えるけど、どうだい?松浦くんはどこで降りる?」
「相蔵線まで同じで、最寄りは平宿。南小磯の二駅前」
「ふむ、それではクラスの中ではご近所さん、と言う訳だ」
それきり何故か黙ってしまった村山楽麟惹は、話を続ける気を失ったらしい。足を速めて、私の一歩先を歩く。そのせいで表情が見えなくなった。
「村や⋯楽麟惹はさ」
「ああ」
「そのー、後悔とかしてる?殺人に」「後悔?何だってそう思うんだ?」
ほとんど被せられた言葉に、楽懍惹を見つめる。見えはしないが、楽麟惹が鼻で笑ったのが分かった。
「後悔なんかしてないさ。ああ、してないね。私はあの女に然るべき罰を下した⋯それだけのことだ。世間に何と言われようと、何と詰められようと、私は私の幸せを守ろうとあの行動を取った。後悔なんて一分たりともない」
断定するその言葉に、思わず足を止める。楽麟惹もつられて足を止め、振り向いた。
「それ、は⋯嘘、なんじゃない?」
楽麟惹は答えず、目を細める。吸い込まれそうな漆黒の瞳に見つめられると、どうも居心地が悪い。
「⋯どうして、そう思うのかな」
「私に言ったって事。その罪の重さに耐えられなくて言ったんじゃないの?」
パチ、と彼女が一つ瞬く。目が丸く見開かれて、そして⋯笑い出した。
「あはははっ、何を言うかと思えば⋯見当違いも甚だしい」
低く呟かれた言葉の冷たさに、身が震える。夏の夜はいつも蒸し暑いというのに、何故か今は涼しさを覚えるほどだった。
「思い上がっているんじゃないのか、松浦くん。だって、私は一度として『助けて』なんて言っていないんだよ。ただ、君に聞いてほしかっただけさ。同じ人殺しの君になら、冗談として流されないと思ったからね」
ざああっと風が吹く。じめっとした、蒸し暑い風が。足の底から湧き上がる衝動を抑えて、私は楽麟惹を見つめ返した。彼女は底の見えない笑顔を浮かべている。ただ、その瞳は一切笑ってはいなかった。
「──⋯なんだ。隠し通せると思ってたのに」
「君の『悪い噂』を流したの、確か別クラスの三宅くんだろう。君達が別れた直後に忌引きで休んでと聞いてね。酷く遠回りだ、怯えている。だのに手段に『殺人』を取る君と、一度話してみたかったんだよ」
「それだけで証拠になるわけないじゃん。見たんでしょ」
肩をすくめて歩き出そうとする楽懍惹の肩を掴んで、引き止める。振り向いた彼女と目が合った。彼女の瞳が思っていたより真っ黒で、ほんの少しだけ、怖いと思ってしまう。端整と言えないにしても、彼女には人を惹きつける何かがあるようにしか思えない。
暗い道にライトが点いて、私たちを照らし出す。私たちは互いに動かない。ジジ⋯と鳴く蝉の声が遠退く。
不意ににや、と笑った楽懍惹は私の手を振り解くと、私と手を繋いで歩き出した。私が抗議するより早く、彼女は愉快そうな声色で話す。
「四月二十七日。父の見舞いから帰る途中だったんだ。その日は病室に長く居過ぎてしまってね、早く帰ろうとしてたんだけど⋯ほら、相蔵線って終電が早いだろう?しかも平宿で止まるのが多いから、二駅分歩くことにしてね」
予想できた展開に、もしくはあの日の自分の計画性のなさにチッ、と思わず舌打ちが鳴る。多分私は今、とてつもなく酷い顔をしている。楽懍惹は目を丸くして、これ以上ないくらいにニコニコと笑って「そうだよ」と続けた。
「その時に見たんだ。正直ビックリしたな、祈里くんは人気者だと思っていたから余計にね。ふふ、今思い出しても良かったよ。─⋯まだ長袖を着ても違和感は感じない時期、暗い暗い山の中へ入って行く、知った顔。それは美しくって、温度がなくって⋯同類だ、と思ったんだ。瞬間的にね」
頰を桜色に染め、恍惚とした表情で此方を見つめる楽懍惹に、悪寒が走る。頰が引き攣った。
(⋯コイツは、ヤバい奴だ)
「こら、勝手に自分を除外するんじゃない。君だって『ヤバい』だろ」
顔に出ていたのか、少し困り顔でそう諭す楽懍惹。けれど、私は彼女とは違う。だから反論した。
「私はヤバくなんてない!だって、勝手に変な噂を流したんだよ?『松浦祈里は』」
「『人を解剖して兄弟に食べさせている』だっけか。確かに、現代に生きる人にとっては幻想とも言えるものだけど⋯真実だろ?」
「⋯⋯まあ、ね。でも、もっと酷い言い方だった。やめてって言っても伝わってなさそうだったから最終手段に出ただけ」
俯く。分かってる。これは自分勝手なだけだ。ただ、家族を守りたくてそうしたに過ぎない。単なる自己満足だ。
「それじゃあ、その噂の真実を教えてくれないかい?」
だから、本当は『良かった』って思ったんだ。家族を攻撃するでも、私を攻撃するでもなく、私の真実を聞いてきたから。
───他でもない、人殺しが。
「⋯別に。ただ、探してるだけ」
驚いて、もしくは安心して。わざと突き放すような口調で言った。話題を変えたかったのもある。それでも楽懍惹は笑ってくれるのだから、本当に嬉しかった。
(確かに、私たちは同類と呼べるかもね)
すると、楽麟惹が不思議そうに聞いてくる。
「探してる?一体、誰を?」
言おうとして、一瞬言葉に詰まる。今まで隠して嘘で固めてきた分、溶解するまで時間がかかったのだ。
私が何も言えないのを見て、楽麟惹はヒラリと手を振った。
「今じゃなくても構いやしないよ。私の心の準備もあるだろ」
駅の明かりが見える。「⋯うん」そう頷いて、心の中で何とか話そうと言葉を選ぶ。
暖かい住宅街を抜けた駅には大分人がいた。思い返せば今は平日の十八時と、ごった返す時間帯だ。
その中を、楽懍惹と二人会話のないまま歩く。
(彼女なら、良いと思う自分がいる)
「⋯楽懍惹」
「何だい?」
「坂間吉久って知ってたりする?」
「勿論。ジャーナリストだろう。有る事も無い事も記事にするで有名な」
「そ。⋯私のお婆ちゃんとお母さん、そのせいで死んじゃったの」
返事は、ない。人が多い方とは反対のホームにあがりながら、やっとのことで会話をした。
エスカレーターに横並ぶ。楽懍惹の顔がよく見えて、彼女が目を丸くしていて、思わず笑ってしまった。
「はは、変な顔」
「そっちがそうしたんだろう。⋯しかし、坂間か」
「どうかした?」
「いや何、確か私の仲間も彼を殺したがってると言っていた」
仲間。楽懍惹のイメージとかけ離れた存在だ。余りにも印象が分からなくて、楽懍惹におうむ返しに聞く。
「仲間?」
「そう。所謂『人殺しサークル』だよ。実際の名前はもっとオブラートだけどね」
「いわゆる、って言われても⋯」
眉を寄せる。聞いたこともなければ、見たこともない。というか、むしろそんな身近に人殺しがいるなんて思いもしない。
「そこの奴らにも、一度会いに行こうか。面白い人たちばかりだよ」
「⋯なら、行ってみても良いけど」
「ははっ、決まりだ。嬉しいことに、夏休みは始まったばかりだ」
きっと楽しいことになるよ、と笑う楽麟惹は、多分とても“ノっている”のだろう。
大仰な身振りで「人殺しどもの邂逅⋯何かないなんて言えないだろう?」などと呟いている。生来想像力に長けているのだろう。けれど、私はそんな楽麟惹から目を離せなかった。恐らくすっかり楽麟惹の虜になっていたのかもしれない。
電車が来ます、と言うアナウンスも、電車の通過していく轟音も、私の耳は捉えない。ぐい、と目一杯に腕を広げる楽麟惹に、目も耳も支配されていた。
彼女は云う。まるで、この世界を心から愛しく思っているかのように。
「一生忘れられない夏休みのために、素敵なデートと洒落込もうじゃあないか!」
その言葉があまりに美しかったもので、私は電車に乗り遅れてしまった。
「楽麟惹、貴方の所為だよ」「おや、それは酷い」
*
「⋯⋯⋯⋯洒落込もうじゃあないか!」
電車の通過音に紛れて、微かに聞こえたその言葉。男は静かに液晶画面から視線を外し、線路を挟んだホームを見つめる。
夏休みだろうか、荷物の少ない少女二人がいた。閑散とした向かいのホームは、男の記憶通りであれば山のある方に続いているはずだ。
(⋯帰宅中か)
そう考え興味を失くした男は、また元の液晶に戻ろうとして、はたと止まる。仕事のメールを開いたまま、男は再び向かいのホームを見つめた。
二人いる女子高生。うち片方は真っ黒な髪にベージュのブレザーを着ている。身振りからして、先ほど聞こえた声は彼女のものだろう。
もう片方。髪を茶色に染め、巻いている方は灰色のブレザーを着ているが 、スカート丈も靴下も短い。まさしく『クラスに何人かいる、明るい人気者』という出で立ちだ。
その明るい方と同じ容姿の女が、男のメール画面に貼られていた。差出人は匿名、件名は『依頼です、どうかコイツを殺してください。』
男の仕事⋯それは、殺人代行である。今回の依頼は女子高生、松浦祈里を殺すこと。
(良いタイミングだ)
男は内心ほくそ笑む。あの二人が何をしようとしているか探ることができるし、飽きたり邪魔になれば殺せばいい。
「間もなく、三番線に急行内宿行が到着いたします」
アナウンスが響いて電車の音が近付くと、男はスマホをしまって踵を返し、反対のホームへ移動する。
直ぐに男の姿は雑踏に呑まれて、見えなくなった。




