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9. 証言:昔気質の職人



 窯元の老人──カターギの家に入ると、木と土の匂いが鼻腔を満たした。

 部屋の中央には、一枚板で作られた重厚なテーブルと長いベンチが据えられていた。壁には大きな黒板が掛けられ、依頼書らしき羊皮紙が無造作に貼り出されている。チョークで書き連ねられている数字と単語は、きっと釉薬のレシピだろう。土や釉薬の入ったツボが山のように積まれ、片隅に追いやられたベッドは粗末な寝具で覆われていた。

 まさに、陶芸に人生を捧げた職人の家だ。


 無愛想にすすめられるままナナオとイモートオモイーはベンチに腰かけた。カターギはその向かいにどかりと腰を下ろし、溜息をつく。


「……本当に、陛下の部屋に儂の供酒器が?」

「はい。そもそもこちらの供酒器はどなたが購入されたのですか?」

「名乗りもしねえ、ふざけた貴族の男だよ。あんたのような指輪をしていたからすぐわかった」


 カターギはそう言って、イモートオモイーの指にある印章指輪を顎で示した。


「『おたくの青い器は我が家の居間を飾るにふさわしい』だのなんだの、ごちゃごちゃ抜かしていやがったよ。庶民が使うもんでお貴族様が使うもんじゃねえと散々言ったが、聞きゃしなかった」

「では贈答用などではなく、自宅用に?」

「儂が聞いた話じゃ、そうだな。くだらねえ話で、ほとんど聞き流しちまったが」


 イモートオモイーはそこまで聞くと、チュウジツナジジに目配せをして言った。


「では、こちらをご覧になって気付いたことを教えてくださいませんか? 作った時からどれぐらい変わっていますでしょうか」


 傍らに控えていたチュウジツナジジは、手にしていたデキャンタを静かにテーブルに置いた。

 その瞬間、カターギは顔をしかめた。


「……ひでえ色してやがる。何を飲んだんだ?」


 彼の声に含まれる棘の鋭さに、ナナオは思わず背筋を伸ばした。

 イモートオモイーはその場を取りなすように穏やかに応じる。


「就寝前にムラサキカジツ酒を召し上がったようです」

「何?」


 それを聞いたカターギの表情は一層険しくなった。

 彼の低い声のあまりの尖りように、ナナオは息を詰まらせる。


「ムラサキカジツ酒を、この供酒器で? 本当か?」

「そうですが……何か問題があるのですか?」


 カターギはすぐには答えなかった。彼はしばらく黙ったままデキャンタを持ち上げ、内側をじっと覗き込む。かと思うと指で内側を叩いたり、こすったりして何かを確かめているようだった。

 やがて、カターギは深く溜息をつくと、デキャンタをテーブルに置いて、低い声で尋ねてきた。


「これに入っていた酒を、陛下は召し上がったんだな?」

「そのようです」

「ってなると、あれしかねえ……こいつはとんでもねえことになっちまったな……」


 ぶつぶつと独り言をこぼすカターギにナナオが不安を覚えたのと同時に、イモートオモイーも眉をひそめた。


「あの、カターギ様……?」


 カターギは何も言わずに立ち上がると、棚の奥から乾燥した赤い枝を取り出して戻ってきた。シナモンに似たスパイスの香りがする。


「これはベニキシズメって植物でな。こいつを砕いて染料にすると、陶器を鮮やかな赤に染められる。樹液には気分を落ち着かせる効果があってな、寝酒に混ぜるやつも多い。供酒器を赤く染めたのはこいつの仕業だろう」


 そう言いながら、カターギは枝を一本、軽く折って見せた。すると、折れた断面から血よりも濃い赤色の樹液がにじみ出てくる。

 樹液を見ていると、カターギは鼻で笑ってナナオに枝を示した。


「舐めてみるか?」

「い、いいですいいです、歯が真っ赤になりそうですし……」

「賢明なお嬢ちゃんだ。ま、強い染色性はあるが、歯ぐらいなら口をすすげば大丈夫だ。でなきゃ寝酒に入れねえだろ」

「それはそっか……」


 ナナオが枝を押しやって戻すと、イモートオモイーが首を傾げた。


「では供酒器が赤紫色になったのはムラサキカジツ酒とベニキシズメの樹液による影響だとして……寝酒として定番の組み合わせであれば、問題はなさそうですわね?」


 ナナオも同感だった。だがカターギは険しい表情で、はっきりと首を横に振った。


「いいや。この供酒器から飲んだってのが問題だ」


 そう言ったカターギの声には、深い後悔がにじんでいた。

 ナナオとイモートオモイーは思わず顔を見合わせ、ナナオは尋ねる。


「どういう意味ですか?」

「……この青が悪さするんだよ」


 カターギは一瞬目を閉じると、再びデキャンタを睨みつけた。


「この星空みてえな青を作る釉薬は『ミナミイワアオイ』っつってな、南方産の青い鉱石を混ぜた安い釉薬だ。この国じゃ赤い食器ってのは流行らねえからな、その分青い奴がよく売れる」

「『呪いの杯』伝承の影響ですわね」


 イモートオモイーが言うと、カターギは「ああ」とうめくように相槌を打った。


「だがこの釉薬とムラサキカジツ酒の相性が、最悪なんだ」


 そう言って、カターギは白髪まみれの頭をぐしゃぐしゃと掻いた。


「仕組みは知らねえ、儂は単なる職人だからな。だがこの釉薬で焼いた杯でムラサキカジツ酒を飲むと、酒の回りが異常に早くなるのは間違いねえ。頭にガツンと効いて、どんな酒飲みの大男も目回してひっくり返っちまう」

「そ、そんなに?」

「ある時、ベニキシズメの樹液を垂らして飲んだ陶芸仲間がいた。奴はいつもそうやって寝酒として飲んでたんだろう。そしたら、そいつも他の連中と同じようにひっくり返って──そのまま一晩中動けなかったよ」


 一瞬、誰も声を出せなかった。

 ナナオは、自身の浅い呼吸をやけに大きく感じながら尋ねた。


「それまでとは明らかに様子が違ったんですか?」

「ああ。ぶっ倒れてもしばらく休めばみんな回復するんだ。でもベニキシズメを垂らして飲んだ奴は、倒れたっきり、いくら揺らしても叩いても起きやしなかった。酒の甘さが増すせいで飲み過ぎたのかもしれねえが、そこまで酔い潰れるほどの量じゃなかったはずだ」


 カターギの言葉に、イモートオモイーが息を飲んだ。


「……甘さが増す……?」


 ナナオは思わず身を乗り出した。


「ミナミイワアオイの釉薬とムラサキカジツ酒、ベニキシズメ。この三つが揃った時だけ、お酒の甘さが増したように感じて、意識を失うんですか?」

「おうよ。だから儂は依頼主に『ムラサキカジツ酒にだけは使うな』って口酸っぱく言ったんだがな……」


 カターギは苦々しい顔で溜息をつき、パイプに火を点けた。

 煙草の苦いにおいが漂う。


「……胸糞わりぃ話だ。儂の供酒器が、まさか陛下を死に追いやる手助けをしちまっただなんて」


 カターギはそう呟き、パイプをくわえた。

 ナナオは気になって尋ねる。


「一晩中動けなくなる、というのは、ずっと眠っているんですか?」

「そうさ」


 カターギはぷかりと煙を吐き出し、嫌そうな顔をした。


「どうにか起こそうとするんだが、痛みも何も感じねえみたいにぴくりともしねえんだ。ぶっ倒れたっきり朝まで眠って、朝が来たってぼんやりしてやがる。おまけに、自分がどうしてそんな状態なのか覚えていねえんだ」

「記憶を失うんですか?」

「おそらくな。酒を飲んでそうなったんだと言って聞かせても、まともに取り合わねえ。で、同じ組み合わせを試してまた気絶する。おかげでこの辺りの酒場じゃ、ムラサキカジツ酒を出す時は絶対に青い器は使わねえって決まりなのさ。色移りの目立たない、便利な器なんだがな。ま、仕方ねえだろ」


 カターギの話を聞きながら、イモートオモイーの顔色はどんどん悪くなっていく。

 無理もない。ナナオは彼女の背中を支えながら眉根を寄せた。


 酒を飲めば気絶したように朝まで眠り、その酒を飲んだ時のことが思い出せない。

 国王とゼッタイシーヌも同じ目に遭ったのだとしたら。


(……覚えていないなら、ゼッタイシーヌ嬢が自分の証言できないわけだ。だって部屋に入って王様と二人で話していたかと思ったら、次に目が覚めたら返り血まみれの服で、国王殺しの犯人として捕まっているんだから)


 ナナオは、せめてイモートオモイーが持ち直すまでの時間を稼ごうとさらに尋ねた。


「ミナミイワアオイの釉薬とムラサキカジツ酒とベニキシズメが混ざったことで、キタイワクレナイの釉薬に成分が近付いた可能性はありますか?」

「『呪いの杯』の釉薬に? どうだかなぁ……気になるなら、商会に行って試してみりゃいい。キタイワクレナイを弾くための試薬があるはずだ」

「えっそうなんですか?!」

「おう。国内外問わず、国王暗殺を企てる奴ってのは昔からいてな。どうにかしてキタイワクレナイ釉薬の食器を使わせようと躍起になるもんだから、商会が本気で対策したんだよ。儂らのような陶芸家は、焼き物を商会に持っていった時にみーんなこの検査を受ける」


 ナナオは思わずチュウジツナジジに目をやった。

 察しのいい彼は微笑み「すぐにご連絡いたします」と小声で応じる。


 科学捜査の見込みが薄い国だと思ってたけど、あるじゃないか試薬!

 なーんだ、これで確かめられるじゃん!


 思わぬ収穫を喜んでいると、イモートオモイーが顔を上げたことに気付いた。

 彼女はナナオに「ありがとう」と微笑むと、常の冷静さを取り戻してカターギと向き合う。


「カターギ様。釉薬とお酒の関係や試薬の存在を知っている者は、どれぐらいいるでしょうか」

「酒場に出入りすりゃあ耳に入るだろうな。この辺りの酒飲みはみーんな知ってる」

「では現状、一番怪しいのはやはり依頼主の貴族ですわね。身分を示す物は何かございませんか?」

「何も……いや待てよ。あんたも同じ貴族ならわかるかもしれねえな」


 カターギはそう言って立ち上がり、棚に詰め込まれた羊皮紙を探り始めた。


「儂が金を受け取った時、署名の代わりに印章を押していったはずだ」


 やがて、目当ての羊皮紙を見つけたカターギは、それをテーブルに広げて見せてくれた。

 イモートオモイーは端に押された赤い印章を見て、ひゅっと鋭く息を飲む。


「お姉さん? 知ってるんですか?」

「……モーヴ子爵家の紋章ですわ」


 ナナオの背筋に寒気が走った。


「……モーヴって、王家の霊廟ですれ違った、あの……?」


 偶然だと思い込んでいた。

 たまたま弔問のために霊廟を訪れただけの貴族なのだと。


 もし彼が、花瓶の割れる音を立てた時点で計画を変更し、襲撃を取りやめただけだったとしたら。


 陰謀の気配が濃く漂う。

 ナナオはぞくりと震え、二の腕をさすった。




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