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8. 呪いの杯



 翌日。

 襲撃こそなかったものの、ナナオたちは念には念を入れ、使用人たちに紛れて馬車で屋敷を出発した。

 目指すは、街外れにある窯元だ。

 商会の話によれば、国王の部屋で使われていたデキャンタはそこで作られたものだという。


 ナナオは初めて乗る馬車の揺れに耐えられず、小さく縮こまりながら壁の手すりにしがみついた。

 車輪が道の凸凹を拾う度に、ガタゴトと音を立てて車体が激しく上下する。ナナオの胃まで揺れていた。


(ジェットコースターだってこんな揺れなくない? なんで? 石畳の隙間?)


 馬の蹄が石畳を叩くリズミカルな音を聞きながら、ナナオは窓の外に目をやった。

 どこまでも続く石畳に沿って、レンガ造りの家が立ち並ぶ。道行く人は、短いマントを翻す男性、コルセットを締めた女性と様々で、活気のある様子だった。すれ違う馬車の窓から、羽飾りのついた帽子をかぶった貴婦人の姿も見える。


(タイムスリップしたみたい……)


 実際には、時間どころか世界まで飛び越えてしまったわけだが。

 窓の外を見ている間も全身が跳ねるせいで、ナナオは若干の吐き気を感じていた。

 気を紛らわせようとイモートオモイーに尋ねる。


「お姉さん、呪いの杯について聞かせてもらえますか? 結局昨夜は、襲撃に備えてすぐ寝ちゃったので」

「ええ、もちろんですわ」


 イモートオモイーは微笑み、静かに語り始めた。


「かつて王室には、深い紅色をした杯がございました。北方の民から捧げられた杯で、『この杯で酒を飲んだ際、常より酒を甘く感じると、勝利の予兆である』──そんな伝承があったのです」

「へえ、北方から」

「陶器で名高い地域ですわ。『キタイワクレナイ』と呼ばれる釉薬を用いて、まるで夕焼け空から切り出したような紅色に仕上げるのが特徴でしたのよ」


 ナナオは夕焼け空を思い描きながらイモートオモイーの話に耳を傾けた。


「国王陛下とご子息、腹心の将軍たちは、大事な戦の前には必ずその杯を使って酒を酌み交わしたそうですわ。それが戦勝祈願の儀式となったと聞いています。ですが……」


 イモートオモイーの声は少し低くなった。


「その杯で儀式を終えた晩、国王陛下とご子息が亡くなられたのです。将軍たちは酔い潰れて眠っていたというのに」

「亡くなったって、どうして」

「部屋に戻ってしばらくすると、陛下とご子息だけ、自らの首を絞めるような姿勢で息絶えていたそうです」


 ナナオは思わず眉をひそめた。

 喉を押さえるような姿勢で絶命、と聞くと、どうにも窒息死を連想してしまう。


「杯はその後も、国王とその血縁者だけを次々と死に追いやりました。そのために『呪いの杯』と呼ばれるようになり、宮殿では赤色の食器を忌避するようになったのです」

「国王殺しの杯ですか……」


 ナナオは手すりにしがみつき、首を傾げた。


「例えば辰砂のように毒のある顔料を使っていたら、その杯を使った者全員が死んでいたはず。国王とその血縁者だけが死に、将軍は無事だったという辺り、重なりますね」

「ドクサツンゴ二世国王陛下と、シーヌですわね」

「二人は同じ酒を飲んだ様子だったが、死んだのは王様だけだった。……『キタイワクレナイ』に何が含まれていたのかわかれば、アレルギー源──国王一族にだけ働く毒の正体が掴めそうです」


 ナナオの言葉を聞いたイモートオモイーは難しい顔で言った。


「『キタイワクレナイ』は北方の特産品で、秘伝の赤顔料を使っていると聞きましたわ。普通の釉薬のように金属を混ぜるだけでなく、何か特別な材料を加えているのだとか……ただ、製法は門外不出で、詳しいことはわかりませんの」

「地元では普通に使われている顔料なんですか?」

「ええ。健康被害の話は、少なくとも商会には届いていませんわね」


 ナナオは思わず「うーん」とうなった。


「窯元の人に聞いて何かわかればいいんですけど……この街でキタイワクレナイを使ってる窯元はないんですか?」

「宮殿で忌避されるものを手に取ろうという民はいませんわ。少なくとも都周辺で扱っている窯元はないでしょうね」

「なるほど……釉薬が鍵だと思うんですけど」


 車内に沈黙が満ちる。

 ナナオはじっと窓の外を睨み、手すりとクッションにしがみついた。


 この世界の植物や言葉の違いを考えると、どうにも不安が膨らむ。

 ナナオの知識で戦えると、イテマウド神が判断したからナナオが呼ばれたのだとは思うが。


(……それでも、やるしかないよなぁ。じゃなきゃ帰れないんだもん……)


 やがて、馬のいななきとともに馬車は停まった。

 チュウジツナジジが馬を労り、扉を開けて微笑む。


「到着いたしました。イテマウド神、揺れは大丈夫でしたかな」

「……ちょっと乗り物酔いしました……」

「それはそれは。どうぞ、お手を」


 チュウジツナジジに支えられて馬車から降りると、軽い浮遊感を伴う眩暈に襲われた。地面に足をつけてもまだ上下に揺れている気がする。吐き気の漂う胸元を手でさすり、顔を上げた。


 そこは、石と木で造られた、なんとも素朴な建物だった。藁ぶき屋根からは太い木の梁が覗き、古いランタンと錆びた鎖が風に揺れて軋んだ音を立てる。

 延長された屋根の先には、大きな窯があった。傾斜した上り坂の形をした窯で、背の高い煙突の先からは煙が立ち上っている。


 焦げた土や灰の匂いが漂い、薪が燃える音が聞こえる。

 水の流れる音も微かに聞こえることから、小川が近くにあるのだろう。


 ふと分厚い木の扉が開いたかと思うと、厳めしい顔つきの老人が姿を見せた。

 じろじろと無遠慮にこちらを見る目にナナオが怯む一方、イモートオモイーが一歩進み出る。


「突然の訪問、失礼いたします。昨日商会からご連絡いたしました、イモートオモイーでございます。ムカシ・カターギ様でお間違いございませんでしょうか」


 ぜーったい昔気質な人だこれ。

 ナナオはきゅっと唇を結んだ。でないと余計なことを言いそうだった。


 老人──カターギは顔をしかめたが、帽子を外して軽く頭を下げた。


「……ムカシ・カターギは儂だが。なんの用だい」

「ぜひ、あなた様にお伺いしたいことがございますの。……ジジ」


 チュウジツナジジが馬車のトランクに乗せていた陶器のデキャンタを見せると、カターギは目を見張った。


「そいつは……儂の供酒器じゃねえか」

「商会から、あなた様の作品と伺いましたわ。こちらは国王陛下がお使いになられた品ですの」

「何? 陛下が?」


 カターギは訝しげに太い眉を跳ね上げた。


「そんなはずはねぇ、そいつは庶民用の安物だ。国王陛下の手に渡るわけねえだろうが。吹っ掛けるならよそを当たりな」


 カターギは不愉快そうに吐き捨て、扉を閉めようとした。

 呆気に取られるイモートオモイーの後ろからナナオは叫ぶ。


「ま、待ってください! この器、王様が殺された現場にあったんです!」

「────っ」


 扉が止まる。

 再び顔を出したカターギは目を見開いていた。


「……本当か?」

「ええ、そうなのです」


 愕然とするカターギに向かって、イモートオモイーは気を取り直した様子で言った。


「ですからぜひ、この品についてお話を聞かせてくださいませんか? 陛下の部屋にあるはずのない物であればなおさらです」

「……なぜ探る? 犯人の女は処刑されたんだろう」

「犯人に協力した者がいたかもしれないのです。陛下の命を奪った者がまだ野放しになっているとしたら、王室の脅威に違いありません。わたくしは、王室を守るためにこうして調べておりますの」


 カターギはしわの刻まれた口元を手で覆い、悩んでいる様子だった。

 ナナオたちが固唾を飲んで返答を待っていると、やがて彼は顔を上げる。


「……いいだろう。あがっていけ」

「ありがとうございます」


 イモートオモイーがほっと肩の力を抜いた。ナナオも胸を撫で下ろす。

 まともな調査機関ではないから、話を聞くのはどうしても相手の善意任せだ。


(……これで、何かヒントが得られるかもしれない)


 ナナオは拳を握りしめ、イモートオモイーたちと一緒にカターギの家に入った。




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