7. こんなことなら検視官ドラマ見ておくんだった
夕方の鐘が鳴る。
荘厳な響きが夕焼け空に消えていった。
鐘の音に合わせ、貴族も使用人も一斉に動き出す。ある者は帰路につき、ある者は会食に出て、ある者は配膳を済ませ、ある者は掃除に走り、続々と人影が減っていく。
その隙に、ナナオたちも密かに行動を開始した。
送迎の馬車に隠れて宮殿の敷地内に踏み込み、貴族たちの談笑する窓辺や使用人の使う通路を避けて庭園を横切る。
「お姉さんの言う通りでしたね」
「みな規則正しい生活をしておりますもの、ここまでは順調ですわ! さ、霊廟はこちらでしてよ」
イモートオモイーたちの案内に従って、ナナオは庭園を進む。
異世界でも花は変わらないと思っていたのは最初だけだ。つるりとした幹の百日紅かと思った枝からは赤い藤の花が垂れ下がり、低木に咲く薔薇かと思えば薔薇に擬態した小さな花の集まりで、ナナオが暮らす世界とは植生まで違うと思い知らされる。
それでも、花で庭を彩り、故人を偲ぶことは世界共通なのだろうか。
大聖堂までの道のりは、色とりどりの花が咲き誇っていた。
大聖堂も聖職者たちの夕食の時間なのか、火の弾ける音とともに談笑が聞こえてくる。
ナナオたちは彼らに気取られないように大聖堂の脇を通り抜け、裏手へ入った。
墓地の間を抜けて小道を進むと、やがて鉄扉と塀が見えてきた。
見張りの兵士たちが槍を交差させて鉄扉を塞ぐ。
「お待ちください。身分を証明できるものをお示し願います」
ナナオが侍女のベール越しにイモートオモイーを見やると、彼女は動じることなく指輪を見せた。
「アクァレージョ家の娘、イモートオモイーですわ。陛下への弔問と、妹の償いのために参りました。どうかお許しを」
兵士は少々表情を強張らせたが、指輪の紋章を確認すると一つ頷いた。
槍の交差は解かれ、彼らは鉄扉を開けて敬礼する。
「お通りください。同行は必要でしょうか?」
「ありがとう、結構よ」
つんと顎を上げたイモートオモイーの後を追うようにして、ナナオはチュウジツナジジとともに鉄扉を抜ける。
鉄扉と塀で仕切られた先は庭園とは異なり、森の中に小道を敷いただけのようだった。
十分に見張りから離れた頃を見計らって、ナナオは小声で尋ねた。
「……見張りを正面から相手して、よかったんでしょうか? 鐘守に連絡が行くのでは……」
「塀を乗り越えて侵入すると、番犬や呪いは避けられません。襲撃の恐れがあろうとも、正面から入る方が安全ですのよ」
イモートオモイーは苦笑して続けた。
「それに、宮殿に踏み込んだ時点で鐘守には連絡が入っているでしょう。今更ですわ」
「それもそっか……しかし鐘守、厄介ですね」
ナナオは思わず溜息をついた。
「現時点で、鐘守に指示を出す権限を握っているのは、国王代理である第一王子……でしたよね、ジジさん」
「さようでございます」
ナナオの視線を受けて、チュウジツナジジは一つ頷いた。
「王妃陛下と対立するような御仁ではございません。王妃陛下の許可を得ていることを知らず、ただ王の正殿に入った者を無差別に襲撃するよう指示していた……と解釈することも可能ですな」
「……それでも、警戒しないわけにはいかないです。そもそも第一王子ってどんな人ですか? 王様の事件を調べる時も指揮を執っていて、裁判でも争った相手ですよね」
ナナオが尋ねると、イモートオモイーは「そういえば説明していませんでしたわね」と謝ってから続けた。
「カオヨシオ殿下は、とても聡明なお方ですのよ。軍略にも優れ、将来を嘱望されております。国王代理として動かれるに相応しい御方ですわ」
「へえ、頭のいい人なんですね」
「あまりにも才気に満ちておられたため、どなたとご婚約されるべきか、陛下もお悩みになるほどでした。婚約者候補も多く、シーヌもその一人だったのですよ」
「えっ、そうだったんですか?」
初めて聞く事実に目を丸くすると、イモートオモイーは悲しげに微笑んだ。
「アクァレージョ家を通じて、王国の経済地盤をより固めることを意図されていたのでしょう、我が家は商家と強いつながりがありますから。シーヌは婚約者として最有力候補でしたわ。でも……」
「……違う人が選ばれた?」
「殿下は突如、どの候補とも異なる方──とある男爵家の令嬢とご婚約なさいました。それは周囲にとっても、わたくしたちにとっても驚きの決断で……特にシーヌにとっては、受け入れがたいものでした。自分こそが王子の伴侶になるのだと信じていたものですから……」
ナナオは眉根を寄せた。
そんな第一王子とゼッタイシーヌは、法廷で原告と被告として対峙した。
二人の胸中はどのようなものだったのだろう。
「候補者でもない令嬢が婚約者になるって、何が決め手だったんですか?」
「彼女は、とても強い祈りの力をお持ちだったのです。この国では、神に祈り、奇跡を賜ることで多くの恩恵を受けます。殿下は、彼女の祈りはこの国の未来にとって欠かせないものだとおっしゃいました」
「はー、なるほど国防とかそういうもののために」
悪役令嬢ものとか聖女ものとかで見たことあるぞ、そういう流れ。
ナナオは頷いたが、ふと気になって首を傾げた。
「男爵のお嬢さんは、聖女とか巫女とか、そういう感じの人ですか?」
「彼女の母君が巫女の血筋なのだそうです。婚約発表の席で彼女が祈りを捧げた瞬間、雪のように花が降ってきましたの。まるで神々が祝福しているかのような、美しい光景でしたわ。……その時、わたくしも理解いたしました。この御方の祈りに、殿下は国の未来を見出したのだと」
そこまで語ると、イモートオモイーは表情を曇らせた。
「シーヌは、カオヨシオ殿下との婚約が叶わず、深く悲しんでいました。あの子にとって第一王子の妃となることは幼い頃から思い描いた夢。ひどく落ち込んで、わたくしや侍女に『修道院に入るべきかもしれない』とこぼすほどでした」
「そんなに……」
「ですが、それも思いのほか長くは続かなかったのです。建国を祝う式典の最中、シーヌは隣国の王子──ツラノカワアツシ殿下に出会い、たった一度ご挨拶しただけで心を奪われてしまったんですもの。あの子があれほど落ち込んでいたことを思えば、驚くばかりですが……人の心というのは、不思議なものですわね」
なんだか素敵な話だが、ナナオは苦笑した。
「でも既婚者だったんですよね」
「そうなのです。たとえ陛下の殺害にシーヌが関わっていなかったとしても、結局、あの子が愚かな行動に出たことは間違いないのですけれど……」
そんな話をしながら森の奥深くへ進む。
やがて、白い大理石で造られた壮麗な建物が見えてきた。風雨にさらされたまま幾年月を過ごしたのか、ところどころ苔に覆われ、ツタが生い茂っている。
入り口に並ぶ兵士の彫像は、朽ちかけてもなお王家の威厳を伝えるように、厳めしい顔でこちらを見下ろしていた。
「着きましたわ」
「ここが王家の霊廟……歴代の王様たちがここに葬られたんですか?」
「ええ。建国王クニタチーヌ一世からずっと変わらず、この霊廟で国王とその妃が眠っておられるのです」
「うーん本当にこの国の命名法則に慣れない」
彫像が並ぶ中を進み、巨大なアーチ状の扉の前に立つ。
扉には王家の紋章が刻まれ、両脇には守護神らしき石像が立っていた。何の動物だろうか、鳥と獅子が合体したように見えなくもないが、立派な角はサイを思わせる。
チュウジツナジジは扉を開け、燭台に火を灯して持ち上げた。
彼に手で示され、ナナオとイモートオモイーも中に踏み込む。
(……そうだ! 襲撃者対策!)
ナナオはチュウジツナジジに手伝ってもらい、扉の前にコーナーラックを移した。陶器の花瓶をラックの端ぎりぎりに置き、扉を押し開けたら花瓶が落ちるようにする。
霊廟には、ひんやりとした空気が漂っていた。
壁には歴代の国王らしき肖像画が並び、この国の長い歴史を感じさせる。
奥の部屋に入ると、まず大きなバラ窓が目に入った。
荘厳な、白い大理石で造られた聖堂の一室を思わせる広間だ。
天井付近にあるステンドグラスから差し込む薄明かりが、大理石の床に繊細な模様を描き出す。
その中央に設けられた祭壇に、男性が横たわっていた。透き通った氷の柱と天蓋が、てらてらと炎を反射している。
豪奢な装束に身を包んだ男性の横顔は、力なく目を閉じて動かない。
死した国王、ドクサツンゴ二世の遺体だった。
「……この氷は?」
「北風を司る神、ナンマラヒャッコ様の御慈悲ですわ。埋葬するまでご遺体を保管できるように、季節を問わずこのように氷をくださるのです」
「あー、んー、なるほど、助かりますね」
ツッコミを放棄し、ナナオはドクサツンゴ二世に歩み寄った。
遺体に向かって合掌してから顔を覗き込む。
国王の顔はやけに粉っぽく、唇がやけに赤く見えることが気になった。
チュウジツナジジに蝋燭を近づけてもらい、ナナオは国王の瞼や口を開き、喉と爪を確認した。
プロの検視官というわけではなく、ただ推理小説を書くのに必要だから知っているというだけのことだが、それでもわかることはある。
「……白目に出血斑。舌に腫れあり。喉に爪による引っ掻き痕、青紫がかった爪……。すみません、何か拭くものを貸してもらえませんか? 汚れてもいいやつ」
「こちらをお使いになって」
イモートオモイーからハンカチを受け取り、ナナオは丁寧に国王の口元を拭った。
ハンカチにベージュと赤の汚れが付き、代わりに国王本来の肌と唇が露わになる。
彼の唇は青紫色に変わり、口元には蕁麻疹が出ていた。
「……なるほど。これではっきりしました」
「何かわかったのですか、イテマウド神」
緊張した面持ちのイモートオモイーに向けて、ナナオは頷いた。
「解剖しないと詳細は不明ですが……もしかして王様は、重度のアレルギー反応によって窒息死したんじゃないでしょうか」
「あーれぅぎ……なんでしょうか?」
「つまりですね、特定の物を口にした結果、王様だけ喉が腫れて呼吸ができなくなったんじゃないかと考えられます。何かそういう、王室の人だけが口にすることを避けているものってありませんか? 食器なども含めて」
「何かしら。なんでも召し上がる印象がありますが、口にすることを避ける……?」
イモートオモイーは首を傾げたが、チュウジツナジジは軽く目を見張った。
「もしや……呪いの杯ではございませんか?」
「まあ! 王室に連なる者を次々に亡き者としたという、あの伝説の……?!」
なにやら興味深い単語を聞いてナナオはそわそわしたが、突如陶器の割れる音が響いた。
何者かが扉を開けたのだ。
一気に緊張感が走り、ナナオたちは三人とも動きを止める。
────襲撃者か。
静かに視線を交わすナナオたちだったが、そこへ。
「なんだ、花瓶?! 一体誰がこんなことを……」
「申し訳ございません、すぐに片付けます」
「まったく、誰の悪戯だ……」
ぶつくさと文句を言う声が聞こえて、イモートオモイーは肩を緩めた。
「……よかった、モーヴ子爵ですわ」
「知っている人ですか?」
「ええ……ただ、アクァレージョ家とはあまりご縁がないようでして。お邪魔にならぬよう、御暇いたしましょう」
ナナオも異存はない。これ以上遺体を調べても、プロに解剖を任せなければ新事実は出てこないだろう。
広間から出ると、えらそうに肩肘を張った男が従者を連れて歩いてくるところだった。
彼がモーヴ子爵なのだろう。
(……名前的にモブっぽいし、襲撃者の可能性はあるけど)
子爵はイモートオモイーに気付くと愛想笑いを浮かべ、シルクハットを軽く持ち上げた。
イモートオモイーが俯いたまま軽く膝を折ったのを見て、ナナオもそれにならう。
それきり、子爵と従者はナナオたちとすれ違い、広間へ向かった。
(……考えすぎだったかな)
ナナオは額に開いた穴をベール越しに押さえながらイモートオモイーたちと一緒に霊廟を出た。
その背中を、子爵とその従者がじっと見つめていることに気付かずに。




