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5. いざ事件現場へ



「いやー、王妃様を説得できてよかったですね!」


 ナナオは首を支えたまま笑った。チュウジツナジジがせっせと首を縫い合わせる傍らで、イモートオモイーは苦笑する。


「イテマウド神のお手を煩わせてしまって申し訳ございません」

「いやいや、お姉さんの説得ありきでしたからね。二人の勝利ですよ」


 首を元通り縫い合わせてもらい、硬い帯で巻いて、ようやくナナオは自分の頭から手を離すことができた。


 王妃の正殿から王の正殿へ向かって渡り廊下を抜けようとすると、見張りの兵士が立ちはだかった。


「止まれ。これより先は何人たりとも入室を禁止されている」

「王妃陛下より勅許状を預かっております。ご確認を」


 イモートオモイーはそう言って羊皮紙を見せた。

 それは謁見の間で王妃の衛兵から受け取ったものだ。

 流麗な文字が綴られ、タペストリーと同じ紋章の封蝋が押されているそれは、ナナオたちに宮殿内の調査を許可するものだ。


 羊皮紙を見た兵士たちはぎょっとした顔で頬を引きつらせ、慌てて敬礼した。


「し、失礼いたしました。お通りください」

「ご苦労」


 イモートオモイーは澄ました顔で応じると、ナナオを連れて扉を抜けた。


 王の正殿は、凄惨な事件があった日のまま時を止めたように、淀んだ空気が満ちていた。

 ナナオはとっさに、イモートオモイーに一歩近付く。


「……お化けとか出ませんよね?」

「亡くなった陛下の霊が出てくれたら話が早いですわね」

「え? そうかな?」


 この世界では幽霊が怖くないのだろうか?

 ナナオが首を傾げる中、イモートオモイーは迷わず歩き出す。

 光源は窓から差し込む光と、チュウジツナジジが持ってきた燭台の灯だけだった。


 国王の寝室は正殿の中央に配置されていた。

 イモートオモイーがドアノブを捻ると、扉はあっさり開いてしまう。

 鍵がかかっていない。まるでナナオたちの訪れを待ち構えていたかのようだ。


 重苦しい静寂。

 まだ微かに残る鉄錆混じりの異臭。


 燭台の小さな灯で照らしてもらいながら、ナナオはゆっくりと部屋に踏み込んだ。

 豪奢な絨毯。

 猫足のテーブル。

 陶器のデキャンタ。

 二人分の杯。

 ゼッタイシーヌが横たわっていたはずの長椅子。


 そして。


 天蓋が開き、どす黒く汚れたまま放置された寝台。


 一瞬、ナナオの喉は引きつった。わきあがった吐き気を咳払いで押し込む。

 知識は頭にあるが、実際に遺体のあった痕跡を目にするのは初めてだ。

 まさか死体の身で死体の痕跡に吐き気を催すとは意外だった。


 気を取り直して。

 遺体を動かして以来、室内は全て触れないようにしていたのだろう。

 警察もいないのに現場が保存されているだなんてラッキーだ。証拠隠滅されていたっておかしくないのに。


「……この部屋、なぜそのままにされたんですか? 片付けられてもおかしくなかったのに」

「突然亡くなった場合、故人の部屋は喪が明けるまでそのまま安置される習慣なのです。故人が亡くなってから身辺整理をできるように、というゴリンジュウ神のお教えですの」

「……よくわかりませんが助かりました、ありがとうゴリンジュウ神」


 とんでもない名前の神様に一応感謝しつつ、ナナオは寝台に近付いた。


 かつて国王が横たわっていたという寝台は、シーツに血痕がどす黒く残っていた。

 だが、付着した血液の量を見てナナオは自分の考えに確信を持つ。


「……やっぱりだ。刺し殺されたにしては出血量が少ない」

「え? では……」

「王様は刺される前に既に死んでいたんですよ」


 ナナオはシーツに広がった血痕を示した。


「例えば帯とかできつく締め付けている部位を刺したら体内出血で留まり、シーツへの血液付着が少量で済むこともあるかもしれませんが……王様はそうではなかったはずですよね?」

「ええ。見張りの兵士曰く、事件が起こったのは就寝の鐘が鳴った後ですもの。陛下もお休みになられるために楽な服をお召しだったはず」


 ナナオとイモートオモイーは並んで寝台を見下ろした。

 シーツのしわと血痕を見つめていると、青ざめた顔で横たわる国王の遺体が浮かび上がってきそうだ。


「……陛下の遺体に、他に外傷はなかったはずですよね」

「記録にはありませんでしたわ」

「じゃあやっぱり、毒か……」


 ナナオは室内に目を戻した。


 最も疑わしいのは、やはり酒。

 陶器のデキャンタを試しに持ち上げてみるが、中身は空だった。内側は赤紫色に染まっている。

 テーブル付近を見ていたナナオはふと違和感を抱き、チュウジツナジジを振り返った。


「ジジさん、この絨毯と足元を照らしてくれます?」

「かしこまりました」


 燭台の弱い光であっても、照らされればすぐにわかる。


 デキャンタの置かれたローテーブルの近くだけ、絨毯とテーブルの脚がわずかに変色していた。


「……色が変わっている? 紫がかっているように見えますわね」

「残っていた酒をここに捨てたんでしょう。色素沈着するような酒に心当たりはありますか?」

「そ、そうですわね……」


 ナナオが尋ねると、イモートオモイーは困った様子でチュウジツナジジに目を向けた。

 チュウジツナジジが「もしや」と口を開く。


「紫のお色が付くといえば、ムラサキカジツ酒ではございませんか? 服にこぼしたが最後、処分する他ないほどに染まってしまいます。そのために、染料として利用する地方もあるのだとか」

「歯まで紫色になりそうですね。一般的なお酒ですか?」

「寝酒として嗜まれる方は多くいらっしゃいます。気持ちを落ち着かせ、疲労回復などの作用も期待できるのだとか」


 ナナオは思わず手に持ったデキャンタを見下ろした。

 手で扇ぐと、どこか薬くさく甘いアルコールの匂いが残っている。


「侍女が持ってきたお酒ってのはこれのことですね。王様はゼッタイシーヌ嬢の気持ちを落ち着かせるために一緒に飲んだんでしょうか?」

「心優しい陛下ですもの、きっとそうですわ。……でもこの供酒器、おかしくありませんこと?」


 イモートオモイーがナナオの手元にあるデキャンタを見ながら言った。


「宮殿内の食器といえば、王家の紋章が付き物ですのに、見当たりませんわね」

「……イテマウド神、この爺めも拝見してよろしいですか?」

「はい、どうぞ」


 チュウジツナジジはナナオからデキャンタを受け取ると、燭台の灯を頼りに隅々まで確認した。デキャンタの底を見たチュウジツナジジは「ふむ」と小さく唸る。


「窯元の印章がありますが、王室御用達の窯元ではありませんな。どなたかが個人的に陛下にお贈りになったお品物やもしれません」

「印章で店を特定することはできますか?」

「商会に問い合わせれば可能でございましょう。お調べいたします」


 チュウジツナジジの言葉を聞いて、イモートオモイーは眉根を寄せた。


「この供酒器に入っていた酒に、毒が?」

「今のところ一番可能性は高いですね。ただ、ゼッタイシーヌ嬢も王様と一緒に酒を飲んでいたとしたら、なぜ彼女は無事で王様は死んだのか、という疑問が残る」


 ナナオは腕組みをして、改めて国王の寝室を見渡した。


「……この部屋は、遺体を運び出されただけで、事件当時のままにされているんですよね?」

「ええ。第一王子がなんらかの指示をしていなければ、そのはずですわ」


 ナナオは燭台を受け取り、ゆっくりと室内を歩き始めた。


 ベッドの様子からして、国王は刺される前に死んでいた。

 しかし刺し傷以外の外傷はない。


 考えられる死因は、毒、窒息、病。

 例えば枕か何かで顔を覆われれば窒息死するし、何かの拍子に持病が悪化した可能性だってある。

 同じ部屋で、同じものを飲んだにもかかわらず、国王は死に、ゼッタイシーヌは酔い潰れるだけで終わっている以上、国王だけが毒を摂取する方法も明らかにしなければ。


 いずれにせよ、詳しい死因は遺体を調べなければ特定できなさそうだ。


 ナナオは丁寧に寝室を見て回った。

 窓は換気用の小窓以外、全てはめごろしで動かない。壁に細工の形跡はなし。

 寝台も寝具が寝乱れていて血痕が残っている以外には問題ない。


 少し気になったのは、寝台近くにある大きな絵画──神話の一場面なのか、怪物に立ち向かう戦士の勇姿が描かれている──の足元に、踏みつけられた土が落ちていることだった。

 慎重にしゃがみ込み、燭台で土を照らす。

 靴跡の一部が残っているようで、踵らしき丸い輪郭の中に、段差か何かが入っていた。

 室内の観葉植物とは土の色が異なるが、どこから来た土だろうか。


(……土と靴跡があるのは、ここだけ?)


 急いで部屋の扉まで戻るが、他に土などは残っていない。

 人が出入りしたことで消えてしまったのか、それとも、あの絵画付近に何かあるのか。

 試しに絵画が外れないか額縁に触れてみるが、壁に固定されているらしく動かなかった。


 現時点では答えを出せない。

 ナナオはイモートオモイーたちの方を振り返った。


「……ちなみに確認なんですが、呪いや魔術によって殺された可能性はありますか?」

「創作物ならばともかく、ありえませんわ。どのような理由があって祈ったとしても、人の命を奪うような奇跡の御業を、神はお許しになりません」


 イモートオモイーはきっぱりと言い切った。


「……神様にお祈りして、奇跡を起こしてもらうってのがこの世界の約束なんですね?」

「はい。あなた様をお呼びできたのも、わたくしたちのイテマウド神への祈りが聞き届けられたからこそですわ。魔法のように人知を超えた御業は、神から賜った奇跡なのです」


 イモートオモイーはそこまで言うと、悲しげな表情で胸を押さえた。


「それにもし万が一、陛下の死が神の御業による場合、イテマウド神はわたくしたちの願いを聞き届けてはくださらなかったでしょう。神の決めた死なのですから、犯人にされたシーヌは神に捧げられた生贄のようなもの。その死に報復することはお許しにならなかったはずです」

「……なるほど、理解しました。奇跡にも一定のルールがあるんですね」


 ナナオはイモートオモイーたちのところに戻り、肩を落とした。


「これ以上、この場で明らかにできることはなさそうです。すみません」

「いいえ! 刺殺ではないと確信できたのは大きな一歩ですわ。シーヌの犯行が否定されたのですもの」


 イモートオモイーは表情を明るくするが、ナナオは苦笑した。


 あくまで死因は刺殺ではない、というだけだ。

 死んだことに気付かずにゼッタイシーヌが国王を刺した可能性は否定できない。


 だが、そんなことをイモートオモイーに伝える義務もなかった。何せまだ可能性に過ぎないのだ。


「では、次は陛下の遺体ですね。遺体を見れば、もしかしたらどんな風に亡くなったのかわかるかもしれません」

「頼もしいですわね!」


 イモートオモイーは少し元気が出た様子で、意気揚々と出入口に向かった。


「陛下のご遺体は、王家の霊廟に安置されていますわ。調べさせていただきましょう」

「解剖、とかはしてませんよね。遺体に刃物を入れちゃいけないって習慣ありますか?」

「まあ、なんて恐ろしいお話……ご遺体を欠いてしまっては、あの世に行けずさまよい続けてしまいますわ。どんな大罪人であろうとも遺体の損壊は禁じられていましてよ」


 チュウジツナジジが扉を開け、一応侍女に扮しているナナオが先に廊下に出た。

 その時。


 鋭く空を切る音。

 ナナオは反射的に振り返った。


 どっ、と衝撃が額を打つ。

 突如視界が跳ね上がった。


(────え?)


 イモートオモイーの悲鳴が上がる。


「イテマウド神!! ああ、そんな、なぜ……」


 イモートオモイーの涙に歪む声は確かに聞こえていたが、それに返事をする前にナナオの意識は闇へ落ちていった。




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