3. 名探偵はまず事実確認から
さて──。
ナナオは腕を組み、表情を険しくした。
元の世界に戻るためには、国王殺害事件の真相を明らかにしなければならない。
ここは名探偵(をよく登場させている推理作家)として華麗に推理すべき場面ではある。
ある、のだが。
「……うーん」
「イテマウド神。それ以上首を傾けますとまた首が外れてしまいますわ」
「そうでした、すみません」
ナナオはソファーにもたれ、腕組みをしてイモートオモイーに尋ねた。
「イモートオモイーさんは妹思いのお姉さん。ゼッタイシーヌ嬢は、絶対死ぬ令嬢。となれば、カオヨシオ第一王子は整った容姿の持ち主ですか?」
「はい、王妃陛下譲りの美しいお顔立ちでいらっしゃいますわ」
「ではケッコーデカ王国は、他の国よりも国土面積が大きくていらっしゃる?」
「大陸で最も大きな国と言われていますわね」
そこまで聞いてナナオは首を傾げた。
「なんで全部日本語に聞こえるんだろう……お姉さんは私の言葉が通じてますもんね」
「ええ、とても流暢なイカイ語に聞こえますけれど……」
「……もしかして相互に翻訳されている? 部分的に直訳されて変に聞こえるのか」
簡単にでも確認しておきたくて、ナナオはティーセットに目をやりながら言った。
「えーと、単語の確認をしたいので、私の言葉を繰り返してもらえますか? ティーカップは?」
「茶器ですわね」
「……ティーポットは?」
「茶壺ですわ」
「……リンゴ、ゴリラ、ラッパ」
「天果実、黒猩々、花金管笛」
「はーーん? なるほど……名は体を表すと見ていいみたいですね」
ナナオは長く息を吐き出した。
ということは、ドクサツンゴ二世の死因はその名の通り、毒殺だろう。
世界の法則が一つ明らかになったことで確信は強まった。
ゼッタイシーヌ・アクァレージョが国王殺しの犯人とされたのは、現場に全てが揃っていたからだ。
遺体、凶器、犯人。
状況証拠の全てがゼッタイシーヌによる犯行を物語っていた。だからこそ、誰も刺殺以外の可能性を疑わなかったのだろう。
(……となると、まずやるべきは刺殺の否定か)
ナナオは首が傾かないよう気を付けながら立ち上がった。
「ではお姉さん、まずは事実確認から始めましょう。事件に関する証言の記録はありますか?」
「無論ですわ。資料室へ参りましょう」
イモートオモイーはやる気に満ちた顔で立ち上がった。
「でもその前に、相応の格好をいたしませんと。今は陛下の喪中ですし、何より、死んだはずのシーヌが出歩いていれば騒ぎになりますわ」
「……あ、そっか。死体が出歩くのはさすがにまずいですよね」
「この日のために死臭もごまかせると噂の香水を取り寄せておきましたの。役に立ってよかったですわ」
異世界事情は容易にナナオの理解を超える。
ナナオは大人しく侍女の制服に着替え、帽子とベールで顔を隠した。
「侍女さんってみんな顔を隠してるんですか?」
「ええ、そういう習わしですの。わたくしの侍女ということにすれば、顔を隠して自由に動けますことよ」
イモートオモイーはそう言って胸を張った。
「何せわたくし、世間では『国王殺しの妹の無実を信じてあちこち調べて回る異常者』ですので」
「誹謗中傷で訴えてやりましょうよ」
「よいのです。哀れな存在だと思われていると遠慮なく調べて回れて便利ですの。何より、イテマウド神が召喚に応じてくれた以上、正義はわたくしとシーヌにありますわ! 堂々と振る舞いましてよ!」
「意外としたたかで安心しました」
ナナオはイモートオモイーに連れられ、神前審判の会場に隣接した資料室に入った。
資料室の重い扉が軋んだ音を立てて開く。
中にいた管理者はイモートオモイーの顔を見ると、憐れみと蔑みの混じった複雑な表情で頭を下げた。
イモートオモイーは構わず燭台を手に取る。
「こちらへ」
整然と並ぶ書架には無数の巻物が収められていた。壁際の机は閲覧用だろうか。
イモートオモイーは迷いのない足取りで棚の間を進み、目当ての記録を引っ張り出した。神前審判で提出された、公式の証言記録だ。
この国の言葉がわからないナナオにも、羊皮紙に書かれた文字が整然としており、厳粛な審判の場を反映したような筆致であることぐらいはわかる。
ナナオたちは資料室の片隅で羊皮紙を開いた。
イモートオモイーに証言を読み上げてもらい、手元の羊皮紙にメモしていく。
証言を整理したナナオは眉をひそめた。
「……神前審判で証言したのは、第一発見者の侍女と、見張りの兵士三人。内容はお姉さんが事件概要を教えてくれた時とほぼ同じですが、やっぱり妙ですね」
ナナオは机を指先で叩きながら続けた。
「第一発見者の侍女によると、『寝台に横たわった陛下が血を流しているのを見てすぐに悲鳴を上げてしまい、それを聞いた兵士が駆けつけた』……人払いの命令が朝まで解除されないままでも、兵士は声がしたらすぐ駆けつける距離で待機していたんですよね。なのに、侍女が部屋に入るまで誰も事件に気付かなかった」
ナナオとイモートオモイーは顔を見合わせた。
「刺し殺されたら黙っていられるわけないですよ。絶対に物音がするはずです。枕で口を塞ぐのも体格差的に無理でしょうし。……無理でしたよね?」
「ええ、不可能です」
イモートオモイーは眉を下げ、沈痛な面持ちで目を伏せた。
「……シーヌにこんな犯行ができるはずはないのです。なのに、他に部屋に入った者がおらず、返り血を浴びて短剣を握っていたことから、犯人であるという説を覆せず……」
「そこなんですよね。第一、国王を殺しておきながら酔い潰れてすやすや寝てるわけないじゃないですか」
「でしょう? よかった、安心いたしましたわ。わたくしがおかしいのかと」
ナナオは険しい表情のまま証言をまとめたメモを見下ろした。
「……証言の全てが真実であるとしたら、『ドクサツンゴ二世は夜に招き入れたゼッタイシーヌに酒を振る舞ってから、自身の短剣を奪われ、黙ったまま刺し殺された』『ゼッタイシーヌは国王殺害後、近くの長椅子で朝まで眠っていた』『その間、兵士は廊下に立っていながら何も気づかなかった』ということになる。違和感しかないですよね?」
「わたくしも同感ですわ。そもそも凶器となった短剣も、護身用に王族の皆様が懐に隠しておられるはず。それを奪って刺し殺すなど、シーヌにできるとは思えませんもの」
「つまりですよ」
ナナオは指を立てた。
「国王はそれだけ抵抗できない状態にされていたわけです」
「……陛下に拘束された跡はなかったはずですわ」
「そう。そこで一番怪しいのは酒です。第一発見者の侍女曰く『部屋には酒盛りの形跡があった』、見張りの兵士曰く『ゼッタイシーヌを部屋に入れてから、侍女が酒を部屋に運んですぐ戻ってきた』が、酒について誰も調べていない様子。この酒によって陛下は身動きが取れなくなった……あるいは、殺害されたのでは?」
イモートオモイーは頬を強張らせた。
「……真実は毒殺、なのですか?」
「まだ可能性の段階です。……が、調べる価値はあるかと思いますよ」
「でも、どのようにして?」
「できれば現場と、あとは陛下のご遺体も見せてもらいたいところですが……」
ナナオはそこでふと重要なことに気付いて顔をしかめた。
「……ちなみに警察──この国で罪人を追跡する組織とかってあります?」
「衛兵のことでしょうか? この事件については、第一王子が兵士たちを指揮して調べたはずですわ」
「……第一王子が、ですか。それはまたどうして?」
「陛下に何かあれば、王位継承権一位の者が指揮を執ると法で定められているのです。お父上が亡くなったこともあり、王子は敵討ちの面持ちで事にあたっておいででした」
被害者の身内が捜査に関わるとは。
いやでも容疑者の身内がこうして調べて回っているわけだし。
ナナオは色々言いたいことはあったが口をつぐみ、代わりにイモートオモイーに訪ねた。
「この記録には物的証拠の話はなかったですけど、この国の科学捜査ってどんな感じですか?」
イモートオモイーはきょとんとしてチュウジツナジジを振り返った。チュウジツナジジは黙って首を横に振り、イモートオモイーも困った様子でナナオに顔を戻す。
「ごめんなさい、何をおっしゃっているのかさっぱり……物的証拠というのは、凶器となった短剣のことですわよね?」
「えっ、凶器に残った指紋とか、王様が飲んだお酒の成分分析とか、司法解剖とか……」
「……なんのことですの?」
困惑しきった様子の二人を見て、ナナオはしばらく頭を抱えた。
しまった。まさか科学捜査が存在しないだなんて。
そこで恐ろしいことに気付き、ナナオはよろよろと顔を上げた。
「まさか現場の様子と証言だけで裁判──神前審判が進んで、処刑まで行ったんですか?」
「正義の神セーシュクニの前で嘘をつく人間はいない、という前提がありますもの。通常であれば、それで十分ですし……決闘かセーシュクニ神の水盤で決めるのですから、そんな……しもん? ですとか、細かく調べる必要はありませんわ」
「あ~~~~なるほど、理解しました……この世界の手法で科学捜査したところで、証拠能力は低そうですね」
ナナオは椅子にもたれ、細く息を吐き出した。
「となると、現場や遺体の確認は必須なんですが……どうですか、お姉さん」
「陛下のご遺体はまだ霊廟に安置されておられますわ。貴族の一人としてお伺いはできるかと。ただ、現場となった寝室は難しいかもしれませんわね」
イモートオモイーは眉根を寄せた。
「第一王子は国王の代理人として、現場となった寝室を含め母屋二階の東側を封鎖してしまったのです。わたくしも何度か挑戦したのですが、第一王子には謁見もお手紙での申請も拒絶され、衛兵たちに追い返されてしまいましたわ」
「……忍び込むのも難しいですか?」
「そうですわね、常に見張りの兵士がいますもの」
ナナオは小さくうなった。
「……では、許可を得て正面から入りましょう」
「許可? ですが一体、どなたに……」
「決まっています。第一王子よりも権力がある人を頼るんです」
「……まさか、王妃陛下に?」
イモートオモイーは目を見開いたが、ナナオは真剣に提案していた。
異世界であろうが、母親に勝てる息子はいない。そう確信していた。