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2. 日本語のせいでなんも頭に入らん話



 目が覚めたナナオは、再び見知らぬ天井を見上げていた。

 今度は薄暗い地下室ではなく、豪奢なシャンデリアの揺れる貴賓室のようだ。横たわっている場所も硬い床ではなく、ふかふかとしたクッションの柔らかさを感じる。


(……どこだ、ここ。首が動かん……)


 恐る恐る起き上がると、今度はちゃんと首も一緒に起き上がってくれた。思わず首に手をやる。糸で何重にも縫合された上で、硬い帯を巻かれているようだ。この世界の首コルセットなのかもしれない。

 首が落ちない代わりに左右に動かすことはできなかった。


「イテマウド神! 目が覚めたのですね」


 女性の声を聞いて肩ごと振り向くと、イモートオモイーが安心した様子で歩み寄ってきた。

 部屋を見回すと、品のいい調度品の数々が目に入る。しっかりとした生地に繊細な刺繍を施されたカーテン、重厚な木製の家具、美しい風景を描いた絵画に高価そうな花瓶。原稿執筆のお供に見ていた海外ドラマで、こんな貴族の私室が出てきた覚えがある。


「ここは……」

「わたくしの部屋ですわ。せめておくつろぎいただければと思いまして」


 イモートオモイーはそう言って、片手を軽く上げた。

 すぐにチュウジツナジジがワゴンを押してティーセットを運んでくる。繊細なティーカップに注がれたのは、柔らかな花の香りがするお茶だ。


「こちら、わたくしどもの領内で育まれた茶葉を用いた一杯ですの。せめて香りだけでもお楽しみくださいまし」

「はぁ、ありがとうございます……お供え物されるってこんな感じなのか……」


 ティーカップを持ち上げ、そっと口元に近付けると、確かに柔らかな花のような香りがした。お茶だ。それもフローラル系の紅茶。

 美味しそう、と感じたところでナナオははっとしてカップを遠ざけた。幸い喉の渇きは特にないし、喉の断面からお茶をこぼす悲劇はナナオも避けたい。

 香りだけでも気分は落ち着くものだ。ナナオは香りだけ味わってティーカップをソーサーに戻した。


「……えーと、ちょっと現状を把握するのに必死で整理する暇がなかったんですけど、いやまあ整理する暇があったとしても意味不明なんですが……」


 ナナオは改めてイモートオモイーに向き直った。


「……私はイテマウド神として召喚された一般人で、あなたは妹さんの名誉回復を望んでいるんですよね?」

「おっしゃる通りですわ」

「……国王殺しの犯人にされるって相当ですよ。妹さんに何があったんですか?」


 イモートオモイーは優雅にカップを手に取り、そっと口元に運んだ。ナナオと違って、カップを持ち上げて戻すまで、音一つしない。


「……事件が起こったのは、我が国、ケッコーデカ王国の建国記念夜会の翌朝のことでした」

「んんん名称のせいで頭に入ってこない。ちょっと待ってくださいね、何か書くものはありますか?」

「こちらをお使いくださいませ」


 チュウジツナジジから羽ペンと羊皮紙を差し出された。


(……なるほど、割と……中世ヨーロッパ的なんだな?)


 ナナオは礼を言ってそれを受け取り、心を無にしてメモを取った。ファンタジー作品を嗜んでいるので羽ペン程度なら問題なく使える。


「すみません、続けてください。夜会の翌朝?」

「構いませんわ。……翌朝、ドクサツンゴ二世陛下は、寝室で遺体となって発見されたのです」


 イモートオモイーは膝の上で重ねた手に力を入れて続けた。


「第一発見者は世話係の侍女でした。決められた時間に陛下にお声がけするために寝室へ向かった彼女は、寝台に横たわる陛下の遺体を見つけたのです。……そして、そのすぐそばにある長椅子には、泥酔して横たわり、血まみれの短剣を握りしめたシーヌがおりました」

「それは……ずいぶん決定的な状況ですね」

「ええ。ですから、シーヌは即座に拘束されました。当たり前ですわよね、証拠が揃いすぎているのですもの。室内に荒らされた様子はなく、廊下で見張っていた兵士たちは誰も外部の侵入を目撃しておらず……深夜、陛下の部屋を訪ねたのは妹のシーヌだけ。シーヌ以外に、陛下を刺し殺すことなどできません」


 そう言ってイモートオモイーは目を伏せた。


「……シーヌとは、最期まで、直接言葉を交わすことは叶いませんでした。でも、でもシーヌは、無実なのです。シーヌに陛下を殺すことなどできません。だって……」

「だって……?」


 ナナオが固唾を飲んで促す前で、イモートオモイーは目に涙を浮かべた。彼女はハンカチで目元を押さえながら言う。


「だってシーヌはその夜、トナリ王国のツラノカワアツシ王子と────」

「厚顔無恥そうな王子ですね」

「────不倫していたのですもの!」

「最悪なアリバイ来ちゃったな……」


 ナナオが頭を押さえている間に気持ちを落ち着けたのか、イモートオモイーは深呼吸をして続けた。


「神前審判ではもちろん、わたくしはシーヌがツラノカワアツシ王子と一緒に過ごしていたことを指摘いたしました。ですが王子は『妻子ある身で令嬢を口説き、夜をともにすることなどありえない』と否定し……わたくしは名誉を棄損したとして退出を命じられてしまい……」

「お気の毒に……。神前審判っていうのは、裁判とは違うのかな。量刑を決める場ではあるんですよね?」

「ええ。正義の神セーシュクニの前で、嘘偽りなく真実を話すことを誓い、その者が有罪かどうか、有罪であれば量刑はどうするか決める場ですわ」

「……でも、ツラノカワアツシ王子は嘘をついた?」

「はい。間違いなく」


 名前にいちいちツッコミを入れていては話が進まない。

 粛々とメモを取ったナナオは「ふむ」と眉根を寄せた。


「では有力な証言を得られず、状況証拠のみでゼッタイシーヌ嬢は有罪判決を受けてしまった、というわけですか」

「ええ。事件が起こってわずか三日で行われた審判でしたから、わたくしどもも証人を揃えることができなかったのです。妹は自らの無実を訴え、最後まで否認しました。ですが判決が覆ることはなく、セーシュクニ神の天秤は有罪を示し……妹はやむなく、水盤審判を選びました」

「……水盤、で審判?」


 聞き慣れぬ制度に思わず尋ねると、イモートオモイーは頷いた。


「最後までその者が自らの罪を認めない場合、罪問う者との決闘か、セーシュクニ神の水盤審判によって判決が覆す機会を得られるのです」

「……神様の前で嘘つかないって前提があるからか。で、ゼッタイシーヌ嬢は水盤審判を選んだ?」

「はい。王子との決闘なんてシーヌに勝ち目はありませんし……本来であれば、罪問う者から『汝、国王殺害の咎を負う者か?』と尋ねられる場面です。国王殺害の罪を問う場なのですから。シーヌはこの水盤審判で無実を勝ち取れたはずなのです」


 そこまで語ると、イモートオモイーは表情を曇らせた。ナナオもつられて顔をしかめる。


「……でも?」

「ですがカオヨシオ王子は『汝、一切の咎を負わぬ者か?』と尋ねました。……不倫という罪を犯していたシーヌが水盤に触れれば──有罪、と断じられ、水が濁るのも当然のこと。こうしてシーヌは、無実の罪で、首を落とされてしまったのです」


 その場に静寂が落ちた。

 ナナオは長く息を吐き出し、ソファーにもたれる。


「……この状況を覆すとなると、厳しいですね」

「おっしゃる通りですわ。でもわたくしは、妹の名誉を取り戻すため、どんな手でも尽くします」


 イモートオモイーはきつく両手を握りしめ、涙に濡れた瞳でナナオを見据えた。


「イテマウド神。どうか真実を明らかにし、妹の無実を証明してくださいませ」

「……わかりました。まずは一つずつ調べていきましょう」

「ああ……っ! ありがとうございます!」


 感涙するイモートオモイーから目をそらし、ナナオは羊皮紙のメモを見下ろした。


(……この世界の名称、一生慣れないんだろうな……)


 きゅっと口をつぐみ、ナナオは引っかかりを覚えるばかりの人名を見つめた。




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