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19. 婚約者ハナの憂鬱



 数日後。

 ナナオは侍女のベール越しに離宮を見上げた。


 遠く鳥の声が聞こえるだけの、静かな湖畔。

 そこに、小さな城が建っていた。


 石造りの城は木々に飲み込まれるようにして佇んでいる。

 外壁はツタに覆われ、名も知らぬ花を咲かせていた。


 ここは都から離れた湖畔。王家の旧保養地だ。

 現在の保養地は別の場所に移され、離宮だけが取り残されている。

 王家がお忍びで過ごすためではない。訳ありの人間を匿うためだけの、秘密の場所だ。


 ここで、第一王子の婚約者が過ごしている。

 家族から離れてたった一人で、最低限の使用人とともに。


 ナナオは木陰で身を潜め、息を殺した。

 やがて離宮から女が血相を変えて飛び出してきた。手紙と帽子を握りしめ、侍女の制服のまま小さな鞄を抱えて走り去る。

 大したことはしていない。彼女宛てに「父危篤」という手紙を届けただけのことだ。彼女はそのまま表で待つ馬車に乗り込むことだろう。


 ナナオは素早く離宮に踏み込み、素知らぬ顔で使用人とすれ違いながら先を急いだ。

 侍女は誰もが同じ制服をまとい、同じベールで顔を隠しているのだ。ナナオが入り込んでも、誰もが自分の仕事で忙しくて気付かない。


 調理室に忍び込み、即席のティーセットを用意してナナオは目的地へ向かう。

 出入口は兵士が立ち塞がっていたが、ナナオの頭からつま先まで目を走らせ、手に持っているティーセットを見ると、何も言わず通行を許可した。

 ナナオは会釈して中へ踏み込む。


 そこは、森に面したサンルームだった。

 開け放たれた木製の雨戸から涼しい風が吹き込み、窓辺に並ぶプランターの植物を揺らしている。

 その中央に据えられたベンチに、美しい女性が腰かけていた。

 新緑を思わせる緑色の髪に、湖面を映したような瞳。憂いを帯びた横顔は、ナナオの入室に気付いてなお窓から見える風景から目を離さない。


 彼女こそが、第一王子の婚約者である男爵令嬢のハナだ。


 ハナはナナオを見ないようにしていたが、ナナオはあえて彼女の目の前に立った。サイドテーブルにティーセットを置き、ポットの蓋を持ち上げて中身を見せる。

 ハナは怪訝そうな顔をしていたが、素直にポットの中を覗き込んだ。

 空のポットにねじ込まれた羊皮紙に気付き、ハナは目を丸くしてナナオを見上げる。


 ナナオが視線で促すと、ハナは恐る恐る羊皮紙を取り出した。


 それは、イモートオモイーに代筆を頼んだ手紙だ。


『イテマウド神が貴女を見ている。報復を受け入れるなら茶器の持ち手を右に、拒むなら左に』


 ナナオはハナが手紙を読み終えたタイミングで侍女のベールをめくった。

 顔を見た瞬間、ハナの顔から血の気が引く。


 婚約発表の場で会ったきりだが、ゼッタイシーヌ・アクァレージョの顔は覚えていたようだ。


 ナナオが見つめる前で、ハナは震える手で手紙を懐に隠し、ティーカップを回して持ち手を左に向けた。

 やがて彼女は小さな声で呟く。


「……部屋で、お話を」

「かしこまりました」


 部屋を出ていくハナを、ナナオは侍女として追いかける。

 見張りの兵士に何か言われることもなく、ナナオはとある部屋に通された。

 次期王妃の部屋とは思えない、小さな部屋。過ぎた月日を感じさせる家具に囲まれて、ハナは静かにソファーに腰をおろした。

 彼女は恐る恐るナナオを見上げてくる。


「……ほ、本当に、ゼッタイシーヌお嬢様なのですか? それに、イテマウド神が見ているって……」

「はい。この首が証拠です」


 ナナオは襟を緩め、縫合された首を見せた。

 真一文字に刻まれた傷。首を断たれた痕跡を目の当たりにして、ハナの顔から血の気が引いた。


「……イテマウド神が、死者に宿るって、本当だったんだ……そんな、どうして私に……」

「真実を知りたいんです。この体が処刑された理由を明らかにしたい」

「……死者は、生き返らないのにですか?」

「それでも、名誉は取り戻せます」


 ハナはそれを聞いて俯いた。薄い唇を噛み、言葉に迷っている様子だった。

 ナナオはそんな彼女のつむじを見つめて、ずっと気になっていたことを尋ねる。


「……青いコイシラセを用意したのは、ゼッタイシーヌに対する悪意があってのものですか?」

「いいえ! いいえ、決して、そのようなことは……っ!」


 ハナは真っ青な顔で言うと、耐え難い様子で俯いた。


「本当に、誓って、悪意などなかったのです。ただ、心の慰めになればと、その一心で……」

「……詳しく聞かせてもらえますか?」


 ナナオはハナの隣に座って促した。ハナは視線をさまよわせて言葉に迷い、やがて震える唇を開く。


「……第一王子から、聞きました。元婚約者の方が、とても傷付いて、毎日塞ぎ込んでいる、と。私は、そこまで人を好きになったことがなくて、その方がとても可哀想で、でも私に慰められたら余計に、だめだろうと思って、何も言えなくて……それでせめて、花を贈りたいと、思ったのです」

「そうだったんですね。ではどうして青いコイシラセを?」


 ナナオの質問に、ハナは首をすくめるようにして縮こまった。

 イモートオモイーと比べると、どこか幼く、素朴な仕草だった。


「私、この国のこと何も知らないのです。どういう花が好まれるのか、花にどんな言葉を預けるのか……」

「よその国出身なんですか?」

「はい……厳密には、祖国は併合されたので、この国の一部には違いないのですけど、文化が全然違うのです」


 ハナは寂しそうな顔で笑って続けた。


「他の人とは喋っちゃいけないと言われているから、私、第一王子に相談したのです。そしたら、『彼女は青が好きだし、失恋には新しい恋が一番だ』と言われたので、第一王子と一緒に花言葉を見ながら青いコイシラセに決めて、神様にお願いしました」

「……そうだったんですね。ではその花を、髪飾りに?」

「はい。私の故郷では髪に飾るのが一般的ですから。髪飾りにして、お手紙を付けて贈ろうと思ったのですけど、私から贈ると角が立つと言われたので、髪飾りは第一王子に預けました。……でも」


 そこまで言うと、ハナは表情を曇らせて俯いた。


「……私が用意した花のせいで、お嬢様がおかしくなってしまったのだと言われました。そのせいで、王様が殺されたのだと……本当なら私も処刑されるはずだけど、第一王子の温情で、この城に幽閉されるだけで済んだと聞いています。この城に閉じこもって、言われた通りの花を神様にお願いすることが贖罪になる、と」

「……誰からですか?」

「え? それは、もちろん、第一王子から……」


 ナナオは少し引っかかりを覚えてハナの話を整理した。


「……あなたは第一王子から『青が好き』『失恋には新しい恋』と言われ、青いコイシラセを用意した。髪飾りを作ったのはあなたで、贈り主は第一王子。その花によってゼッタイシーヌ嬢はおかしくなり、事件を起こした。あなたは花を贈った罪を償うためにこの城に幽閉されている。合っていますか?」

「は、はい。その通りです」

「王様から何か言われていませんか?」

「え? いいえ……婚約を発表して以来、第一王子以外と会ってはいけないと言われているので。こうして他の人と喋るのは久しぶりです」


 ナナオは「そうですか」と小さく相槌を打った。

 ゼッタイシーヌに贈られた髪飾りを作った職人がどうにも見つからず難航していたが、まさかハナが自分で作ったものだったとは。こうして第一王子に隠されていたのだから、職人も花の調達先も見つかるわけがない。


「第一王子はどうしてそこまでして、あなたを他の人と交流させなかったんでしょうか」

「……知りません。どうせ、祈りの力を保つためとか、清らかな身を守るためとか、理由を付けているのでしょう。彼は私の力にしか興味がありませんし、私たち巫女は人との交流を最小限にすることで祈りの力を研ぎ澄ませるのです。実際、母は男爵のせいで祈りの力を失いましたから」


 吐き捨てるようにそう言って、ハナはぐずっと鼻を鳴らした。

 大きな瞳が涙を湛えて揺れている。


「私、私はただ、お嬢様を慰めたかった一心で、だからこそ神様も応じてくださったのに……」

「……花をお願いしても神様が応じてくれないこともあるんですか?」

「例えば、毒の花とか、死をもたらす花とか、人の命を奪う目的でお願いしてはいけません。花の神様は地表が緑豊かであることを望んでいるだけで、争いは求めていないので」

「……そうでしたか」


 ナナオは小さく相槌を打ちながら頭のメモに残した。

 第一王子が数ある花の中からわざわざコイシラセを選んだという事実は重要な証言だ。


 ナナオは少し悩んだものの、そっとハナの手を取った。


「ハナ様。できる限りあなた様の御望みを叶えます。ですから、どうか協力していただけませんか?」

「……協力って?」

「私が神前審判で勝利するために、お力添えをいただきたいのです」


 ナナオの言葉を聞いてハナは目を丸くした。

 長い睫毛がまたたく度に涙が小さく散っていく。


「まさか……」

「はい。────第一王子を、神前審判にかけます」




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