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14. 姉妹



 ナナオがイモートオモイーの部屋に入ると、酷いありさまだった。


 テーブルは倒れ、クロスも床に引き落とされ、ひっくり返った籠から無惨に潰れた果実が覗く。

 ベッドサイドの小さな棚も倒され、崩れた本は燭台の蝋をかぶってしまっていた。

 花瓶は粉々に割れ、水を失った花がぐったりと床に倒れている。


 イモートオモイーは潰れた枕とぐちゃぐちゃになった寝具に埋もれるように突っ伏し、慟哭していた。


 あまりにも悲痛な声に、ナナオは言葉をかけられず、静かにベッドに腰かけるに留めた。

 ベッドの軋みとマットレスの傾きに気付いているのだろうが、イモートオモイーはこちらに見向きもせず、泣き伏せている。

 その痩せた背中を、ナナオは優しく撫でた。


「……どうして妹が、こんな目に遭ったのでしょう」


 イモートオモイーは、涙に潰れそうな声で言った。


「あの子はそれほどまでに、悪いことをしたのでしょうか? こんな、わずかな金品で裏切られ、辱められ、国賊と謗られ、首を撥ねられるほどに?! あんまりですわ!」

「……お姉さん」

「あの子は!」


 がばっと身を起こし、イモートオモイーは涙に濡れた顔をくしゃりと歪めた。

 彼女は震える声をもらす。


「……あの子の、愚かな恋は……死で償わなければならないほどのものだったのですか……」


 イモートオモイーの頬を大粒の涙が伝う。

 ナナオは彼女の頬にそっとハンカチを当てた。


「……神は、あなたの祈りを聞き届け、イテマウド神は報復を認めた。だから私は今、ここにいるんです」

「イテマウド神……」

「真犯人に罪を償わせることで、妹さんの無念を晴らしましょう。それが一番の報復になるはず」


 イモートオモイーは目を見開いていたが、やがて強く目を閉じた。

 次に目を開けた彼女は、泣き腫らした目元に笑みを浮かべる。


「……おっしゃる通りですわね。犯人に報いを受けさせなければ」

「ええ、必ず。イテマウド神は、私たちにはそれができると判断したのですから」


 ナナオがハンカチを渡すと、イモートオモイーは「失礼」と一言断ってから盛大に鼻をかんだ。

 怒って、暴れて、泣いて、やっと落ち着いたのだろう。

 ナナオは変わらず彼女の隣に座ったまま尋ねる。


「妹さんですが、第一王子を恨んでいた様子はありましたか?」


 ハンカチで鼻を拭い、イモートオモイーは首を横に振った。


「わたくしたちのような者の婚姻は、国と家の利益があってこそ。個人の感情は二の次ですわ。もちろん、シーヌも理解しておりましたから、殿下を恨むようなことはございませんでした。……子供の頃からの夢を断たれ、絶望し、悲嘆に暮れてはいましたが」


 そう言ってイモートオモイーは目を伏せた。


「妹さん、そんなに第一王子のことが好きだったんですね」

「ええ、とても」

「何かそういう、切っ掛けはあったんですか? 長い付き合いだったとか?」


 ナナオが尋ねると、イモートオモイーは小さく微笑んだ。

 遠い思い出に手を伸ばすような表情で、彼女は答える。


「……優しく手を握って、綺麗な花をくださったから」

「え?」

「可愛らしいでしょう? 六歳のシーヌは、初めてお会いした殿下に手を引かれて、庭園を散策して、別れ際に花をもらって──恋をしたのです。お会いできたのはそれっきり」

「……たったそれだけで、婚約者に?」


 にわかには信じがたくてナナオが呟くと、イモートオモイーは苦笑して頷いた。


「ええ。子供の頃に会ったきりの第一王子との結婚を夢見て、あの子なりに努力を重ね……数年前、婚約者の第一候補にまでなりました。正式な婚約こそしていませんでしたが……殿下とシーヌが結婚するものと、シーヌ本人もわたくしたち周囲も、何年も思い込んでいたのです」

「それなら……別の人と王子が婚約した時、そりゃあつらかったでしょうね」

「本当に。言い方は悪いですけれど、失恋一つでこの世の終わりのような顔をして……」


 そう言って小さく笑ったイモートオモイーは、しかしすぐに顔をしかめた。


「……だからこそ、理解が及ばなかったのですわ。あの子がなぜ、ツラノカワアツシ王子に恋をしたのか」

「何かこう、運命的な出会いを果たしたんでしょうか?」

「そんな劇的な出会いではなかったはずなのですが」


 イモートオモイーは眉根を寄せ、記憶を探るように目を伏せた。


「昼間に行われた式典で、わたくしたちは初めてツラノカワアツシ王子にお会いしました。わざわざ隣国から駆け付けたと伺い、ぜひ挨拶を、と」

「では、それが初対面ですか?」

「そうですわ。挨拶といっても本当に少しのやり取りをするだけでしたけれど……ほんのわずかな時間だけでしたのに、二人は互いに惹かれ合っているように見えました」


 ナナオは理解が追いつかず首を傾げた。


「……何も特別なことはしていないんですよね? 挨拶して、名乗って、それでは~、ぐらい?」

「ええ、まさしくその程度のやり取りなのです。なのに二人とも、引き裂かれた運命の人と、ようやく出会えたような顔でしたわ」

「……明らかにおかしくないですか?」

「わたくしも違和感はあったのですが……両者が同時に一目惚れすることもあるだろう、と。もちろん殿下は既婚者だとわたくしも存じておりましたから、シーヌをたしなめましたが……」


 イモートオモイーも困惑していた。

 ナナオは「うーん」と思いつきを口にする。


「そこまで急に恋に落ちるとしたら、惚れ薬、とかでしょうか?」

「……でも惚れ薬って、特定の相手と恋に落ちるのは難しいのではなくて? 飲んで最初に見た相手に恋をする、というものではありませんの?」

「それもそうか。うーん、妹さんにいつもと変わったことはありませんでしたか」


 ナナオが尋ねると、イモートオモイーは頬に手をやってうなった。


「そうですわね……しいて言えば、当日の朝、国王陛下からシーヌに髪飾りを贈られたのです。シーヌの青い髪によく似合う、紫がかった青色の花で……とても美しい品でしたわ」

「へえ。それはまた、どうして」

「シーヌを慰めるために用意してくださったのです。これを着けて式典に出席してほしい、という要請も」

「うーん、人格者らしい王様っぽい手紙ですね」


 なんとなくのイメージだけでナナオが言うと、イモートオモイーも異存はないようで頷いた。


「おかげで、シーヌも前向きな気持ちで出席できましたの。変わったことといえば、それぐらいでしょうか」


 ナナオはそれを聞いて「うーん」と腕組みをしてうなった。


「その花が危険だった可能性はないですか?」

「危険、というと例えば?」

「隣国では『不倫歓迎』の印に使われる、とか……ツラノカワアツシ王子も同じ花を身に着けてて、花を身に着けた者同士が恋に落ちる魔術が発動した、とか!」

「本当によく色々と思いつきますわね……作家になれますわよ」

「作家なんですよ本業は」


 イモートオモイーは「それにしても」と首をひねった。


「花が危険、と言われても、毒がある花以外は気にしたことがありませんでしたわ。服飾儀礼でも花飾りは華やかさを演出して良いとされていましたし……花の香りが少し強いと感じましたが、陛下からそれを身に着けるよう言われたのですから、気にすることもないかと思って」

「……それもそうか。考えすぎですかね」

「いえ、何が糸口になるかわかりません。あなた様のおっしゃるように、なんらかの魔術が関わっている可能性がありますもの。隣国特有の文化がないか、確認した方がいいですわね」


 イモートオモイーが頬に手を当てたまま「周辺国の文化に詳しい方は確か」と心当たりを探るのを見ながら、ナナオは微笑んだ。

 話しているうちに、イモートオモイーも立ち直れたようだった。

 ナナオの表情に気付いたイモートオモイーが軽く目を丸くする。


「どうなさったの?」

「……お姉さん、少し元気が出たかなって」


 イモートオモイーは思わぬ言葉を受けた様子できょとんとしていたが、少し照れたように微笑んだ。


「イテマウド神のおかげですわ。あなた様がいらっしゃることこそが、わたくしの行動の正しさを証明してくださる。真相を明らかにすることで、あの子を死に追いやった者たちへ報復を果たせるのですから、落ち込んでいる場合ではないですわよね」

「……そうですね。もう少し一緒にがんばりましょう。ここまで、お姉さんの行動があったからこそ、調べが進んでいるんですから」

「まあ! ふふっ、そうおっしゃっていただけると、わたくしも嬉しいですわ」


 顔を見合わせ、二人で笑い合う。

 そこへ、扉が叩かれた。


 見れば、チュウジツナジジが微笑んで立っていた。


「お茶をお淹れましたが、いかがでございますか?」

「ありがとう、ジジ。いただくわ。……それと……」

「構いません、お嬢様。どうぞ、わたくしどもにお任せください」


 そう言うジジの後ろには、掃除道具を持った侍女たちが控えていた。

 その場にいる誰にもイモートオモイーを責める表情はない。

 イモートオモイーは恥ずかしそうに頬を染めて立ち上がった。


「……ではわたくしは、イテマウド神と一緒に少々、情報を整理しておきます。片付けはお願いね」

「かしこまりました。どうぞごゆっくり」


 ナナオはイモートオモイーに連れられ、居間に戻った。

 ローテーブルにはティーセットが用意されており、小さなお菓子まで置かれている。


 ありがたく香りだけいただきながら、ナナオは時系列に沿って情報を整理した。



 ──前提。

 穏健な国王派(商人寄り?)と強硬な反国王派(貴族寄り?)が存在。

 モーヴ子爵はおそらく反国王派。

 ケッコーデカ王国こことトナリ王国(隣)は同盟関係。


 ──昼間。

 建国記念式典で、ゼッタイシーヌとツラノカワアツシ王子は急激に恋に落ちた。

 この時が初対面で、特別なやり取りはなし。


 ──夜。

 ゼッタイシーヌとツラノカワアツシ王子は夜会を途中で抜け出し、母屋の客室へ。


 ──夜会終了後。

 モーヴ子爵と侍女が衝突。

 国王の寝酒がアレルゲン酒と交換される。


 ──就寝の鐘が鳴る頃。

 カオヨシオ第一王子がゼッタイシーヌを保護、二人で国王のもとへ。

 国王から衛兵へ人払いの命令。

 寝酒を運ぶ侍女が国王の寝室を訪れて退室。この直後、第一王子も退室。

 侍女は第一王子を見ていない。わざと隠れていた?


 ──寝酒が届いた後。

 国王もゼッタイシーヌも飲んだ形跡あり。おそらく二人とも昏倒。

 国王はアレルギー反応により窒息死。

 真犯人が国王を短剣で刺し、ゼッタイシーヌを犯人に仕立てる。


 ──翌朝。

 侍女が入室したことで事件が発覚。

 第一王子がフロアごと部屋を封鎖。


 ──犯人の予測。

 寝酒提供から朝侍女入室までの間に国王を刺した人間が真犯人のはず。

 最有力はモーヴ子爵。毒殺は彼の仕込みだが、寝室に入っていないため別の実行犯がいる。反国王派か?

 鐘守の可能性。だが王室に与するはずの彼らが国王を暗殺する動機はない。

 第一王子は部屋の滞在時間が短く、実行は不可能というのが現状。


 事実だけを並べれば、なんともあっさりしたものだ。

 だがナナオは表情を険しくする。


 例えばこの事件が単純に「国王を毒殺し、別の人物に刺殺の証拠を押し付けることで、真犯人は逃れる」という構造だった場合、寝酒を持ってきた侍女に罪をかぶせることもできたはずだ。

 だがそうではない。

 この事件は、「ゼッタイシーヌ」に「国王」を「刺殺」させなければいけなかった。

 舞台を整えるために、国王だけを殺す毒が使われ、酔い潰れたゼッタイシーヌは部屋に残されたのだ。



 ナナオは顔を上げ、イモートオモイーに目をやった。


「この事件の犯人は、ゼッタイシーヌの国王殺しを演出する必要があった。そこに犯人の動機がありますね」

「ええ。そもそもこの事件は『陛下とシーヌが二人きりで酒を飲む』という状況を作らなければいけませんわ。陛下の周囲には常に衛兵が控えているはず。人払いが通用するのは……」

「……それだけの重要な問題が起き、秘密裏に対処しなければならなくなった時でしょうね。だからゼッタイシーヌ嬢とツラノカワアツシ王子の不倫を利用した」


 ナナオもイモートオモイーも顔を見合わせた。

 互いに、表情は強張っている。


「……シーヌの恋は、最初から仕組まれていた?」


 イモートオモイーは、怒りと困惑の混ざった複雑な表情でうめいた。

 ナナオも眉根を寄せる。


「……まずは花の髪飾りについて調べましょう。二人が恋に落ちた原因を明らかにしなければ」


 イモートオモイーが皿に戻したカップが、初めて鋭く音を立てた。




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