11. 証言:国王に寝酒を運んだ侍女
午後の鐘が鳴る頃。
再び宮殿を訪れたナナオは、イモートオモイーとともに侍従長の執務室に案内された。
王妃の許可を得ているためか、すぐにアポが取れて助かる。
いや、鐘守とかいう暗殺集団に狙われる可能性もあるにはあるのだが。
ナナオはドキドキしながらもイモートオモイーの斜め後ろに控えた。
口元に蓄えたひげも撫でつけた髪も白い、ベテランという雰囲気のある侍従長は、物差しの入ったような背筋で礼をした。
その隣には、まだ年若い侍女が真っ青な顔をして立っている。彼女は侍女の帽子を胸に抱き、震えていた。
「本日は、ご足労いただきありがとうございます。事件があった日の夜、陛下に寝酒をご提供した時のことを聞きたいとのことでしたな」
「そうですの。お忙しいところ恐縮ですけれど、お聞かせ願いますかしら」
「かしこまりました」
貴族であるイモートオモイーだけがソファーに腰かけ、ナナオも侍女の服装をしている関係でチュウジツナジジと一緒に背後に控えることになった。
侍従長は小さく咳払いをしてから口を開く。
「ご指摘の通り、陛下は寝酒として、ムラサキカジツ酒にベニキシズメの樹液を垂らしたものを習慣的に召し上がっていました」
「陛下には不眠の傾向がおありだったのかしら?」
「……国を率いる者としての苦悩をお抱えのご様子でした」
「それは、反国王派の者たちを制するためでしょうか」
イモートオモイーの発言に、侍従長は厳しい表情を浮かべる。
「……まったく同じ志を持つ人間だけを揃えることは不可能でございます。想いの異なる者たちも含めて民を束ねてこその王。その苦悩がいかほどであったか、どうぞお察しくださいませ」
「そうですわね、失礼いたしました。それで、寝酒の提供についてですが」
暗に「答えられない」と示した侍従長の反応を受けて、イモートオモイーはさらっと話を戻した。
「陛下へ提供する際、供酒器は決まったものがございますの?」
「はい、陛下専用の物をご用意しております」
「それは、青いものかしら」
「いえ、白地に金の装飾と、陛下の御印であるタイヨウ鳥を描いたものを」
訝しげに眉根を寄せる侍従長に対し、隣にいる侍女はいよいよ顔から血の気を失い、今にも倒れそうになっていた。
イモートオモイーは「そうですのね」と当たり障りのない相槌を打ち、それとなく尋ねる。
「事件があったという陛下の御部屋について、ご覧になったことは?」
「いえ、カオヨシオ殿下によってすぐに封鎖されましたので、拝見しておりません」
「では寝酒の提供をしているのは? 彼女一人で?」
「はい。この侍女は臨時の者でして、事件のあった夜だけ手伝いに来てもらっていたのです。夜間は人数を減らしておりますので」
そう話している間にも、侍女の頭はふらふらと不安定に揺れている。
ナナオは見ていられず侍女に駆け寄った。
「お、お話し中にすみません! 彼女、具合が悪そうなので、別室に行ってもいいですかね?!」
ナナオが侍女の肩を支えて言うと、侍従長は眉をひそめたがイモートオモイーの判断に任せる様子だった。イモートオモイーは微笑んで頷く。
「構いませんわ。お大事になさって」
「ありがとうございます! さ、出ましょう出ましょう」
「は、はい……」
気弱そうな侍女の声を聞きながら、ナナオは侍従長の執務室を出て隣の部屋に入った。ソファーセットがあるだけの、応接室か何かのようだ。
侍女はソファーに座ると、深く溜息をついた。
ナナオはその隣に座り、背中をさすってやる。
「大丈夫ですか? 上司と一緒にあんな場にいたら、緊張しちゃいますよね」
「……すみません、気を遣っていただいて……ありがとうございます」
侍女はまだ青ざめた顔をしていたが、それでも微笑んで見せた。
純朴そうな、可愛らしい笑顔だ。
不慣れな態度といい真新しい制服といい、まだ新人なのだろう。
「ただでさえ王様担当なんて緊張するのに、こんなことになって大変でしたね」
「……ええ、本当に……でも……」
侍女は目に涙を浮かべ、ぐっと俯いてしまった。
ナナオは彼女の背中を優しく撫でながら、そっと尋ねる。
「……お酒を運んでいる時に、何かあったんですか?」
「っ!!」
侍女は顔を跳ね上げ、頬を引きつらせる。
ナナオは慌てて両手をぶんぶん横に振った。
「大丈夫大丈夫、あなたを責めるつもりはなくて! 全然ね、ここで聞いた話はお城の誰にも言いませんから安心して! ね! 何かあったんですよね? 侍従長の隣にいた時、あなた今にも倒れそうだったし……」
「……わ、わたし……」
侍女の唇が震える。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んでいるのが見て取れた。
ナナオはできるだけ優しく微笑んで見せる。
「すごく、怖いことがあったんじゃないですか? 話したら、気持ちも楽になるのでは……?」
────沈黙が降りる。
侍女はぎゅっと両手を握りしめ、躊躇うように視線を泳がせる。
やはり脅されて口封じを、とナナオが案じて動悸を覚え始めた頃、ようやく侍女は口を開いた。
「……ぜ、絶対に、侍従長に、報告しないでもらえますか……?」
「もちろん、お約束します。神に誓って。だから、あの夜に何があったか、教えてくれませんか?」
ナナオは強く言い切った。
それを聞いて、エプロンを握りしめた侍女は小さな声で言う。
「……わたし、普段は、第二王女殿下にお付きしているんです。でもあの夜は、人が足りなくて、それで、陛下のお付きに」
「それは、偶然ですか? どなたかの指名?」
「わたしが最年少だったので、『これも経験』と言われて……」
(……じゃあモーヴ子爵の関係者とかではないか)
ふむふむとナナオが大人しく聞いていると、侍女は小声で続けた。
「……寝酒をご用意して、侍従長からの許可を得て、部屋までお運びしようと厨房を出ました。そしたら、母屋へ行く途中でモーヴ子爵がぶつかってきて……」
「子爵が? ええと、夜にですよね」
「はい。急に柱の陰から子爵が飛び出してきて、ぶつかったんです。……そのせいで、盆に置いていた供酒器が落ちて、割れてしまって……」
侍女の華奢な肩が震える。
ナナオも被害額を想像して吐き気がしてしまった。
「わ、割ったんですか? 王様専用食器を?」
「はい……だからもうわたし、た、耐えられなくて! だって弁償するってなったら、うちのような没落貴族の家にあるお金じゃ絶対に足りないですし!」
「ひえ~~……そ、それで? どうなったんですか?」
目から涙が溢れる侍女に、同情するあまり半泣きになりながらナナオは続きを促した。
「そしたら、そしたらモーヴ子爵が『ここで会ったのは黙っていてくれ』『まだ飲んでいない、まったく同じ寝酒があるから』って、子爵の寝酒を、供酒器ごとくださったんです。その時身に着けていた腕輪をわたしのポケットに入れて、早く行くよう急かされてしまって……」
「……待ってください、そもそも子爵はなぜそんなところに?」
仮にも貴族が使用人の通るような場所で鉢合わせするだろうか。
疑問に思ってナナオが指摘すると、侍女はさっと頬を赤くした。
「あ、あ、その、夜会で出会った方と、その、過ごされて、寝酒をもらって帰るところだったと、う、伺っております」
「はーん? はいはい、なるほど。モーヴ子爵は宮殿にお住まいなんですか?」
「は、はい、そうです、官舎にお住まいです……お夜食などのために宮殿の食堂へ来られる方もいますので、そう珍しいことではないのですが」
侍女は咳払いをすると、気まずそうに視線を落とした。
「……『書記官に夜遊びの習慣があると他の方に知られれば信用に響く』とおっしゃって、口止めを……わたしも、陛下の供酒器を弁償することになったらいくら請求されるのかが怖くて、誰にも言えなくて……」
「そうでしたか……大丈夫、私も言いませんからね。神に誓って」
「ありがとうございます……」
やっと重荷を下ろすことができたような顔で、侍女は溜息をついた。
ナナオはそれとなく尋ねる。
「モーヴ子爵も王様とまったく同じ寝酒を飲んでいたというのは? 流行りですか?」
「よく眠れると、お酒を好む方の間では有名な組み合わせだそうです。香りがよく、体も程よく温まって、気持ちが落ち着くのだとか……わたしも、毒見として一口いただいたら、それだけで指先まで温かくなりました」
「毒見……ご自分のお仕事でもないのに毒見だなんて、怖かったでしょう」
「でも、これで陛下に何かあったら、その方が恐ろしいですから」
侍女はそう言って照れくさそうに微笑んだ。
まだ年若くても、主君を守ろうとする意識は強いらしい。
ナナオはつい感心してしまった。
(……ちゃんとしてる。だから子爵はわざわざ、毒ではなくアレルギー反応を利用しなきゃならなかった……)
ただの毒であれば、侍女が毒見をすればその時点で国王の死は回避できた。
だがアレルギー反応を利用すれば、毒見した者にとってはただの酒でしかなく、セキュリティを抜けられる。
やはり、モーヴ子爵は意図して酒を送り込んでいる。偶然、侍女にぶつかったように見せかけて。
「……それで、割れた器はどうしたんですか? 片付けるのは大変だったでしょう」
「モーヴ子爵が『あとは任せて』とおっしゃるので、お任せしました。戻った時にはもう誰もいらっしゃらなかったので、お礼もできませんでしたし、腕輪もお返しできなくて」
「その腕輪ってまだ持ってますか?」
「はい。次にお会いした時にお返ししようと思って、持ち歩いているのです」
そう言って、侍女はポケットからハンカチに包まれた腕輪を取り出した。
使い込まれた金のベルトに、大きな緑の宝石がはめられている。宝石を縁取るのは真珠だろうか。ベルトの内側には、カターギの家でも見たモーヴ子爵の紋章が彫られていた。
「……綺麗ですね。でも現金ではなく、宝飾品ですか」
「貴族であれば珍しいことではありませんよ。現金を持ち歩くのは市場や酒場に出た時ぐらいでは?」
「……もしかしてそれは、隣国の王子様も同じですかね?」
「おそらく……隣国は通貨も異なりますから、個人的なお買い物であれば宝石などと交換という形を取るかもしれませんね」
腕輪を元通り包んでポケットに戻す侍女を見ながら、ナナオはさらに尋ねた。
「……宝石って、この国でも価値の高いものですか?」
「それはもう! 国内では宝石はあまり採れないので、とても貴重なんです。陛下がたくさんの国と同盟を結んでくれたおかげで、やっと市井にまで出回るようになったぐらいで……それこそ、お隣のトナリ王国は宝石の産地として有名で、金の産出量も大陸一なのですって。憧れるわ」
夢見心地で言う侍女は、ナナオの視線に気付くと我に返り、こほんと咳払いをした。
「……失礼しました。このように、とても貴重なものです。こんなものをいただくわけにはいかないので、モーヴ子爵にはぜひ、腕輪をお返ししたいのです」
「逆に言うと、それだけのものを渡してでも口止めしたかったってことですよね」
「大袈裟ですが、そうですね……なんだか、その────」
侍女はそこで言いにくそうな顔をした。
「────モーヴ子爵は、柱から出てきた時、わざとわたしにぶつかったように見えたのです」
「わざと?」
「だって、わたしが柱の隣を通り過ぎてから、いきなりぶつかってきたものですから……でもどうしてそんなことをしたのかわからなくて、言いがかりのようで、助けていただいたのに申し訳なくて……」
放っておくとまた泣き出しそうな状態の侍女を見て、ナナオは慌てて口を挟んだ。
「お、落ち着いてくださいって、大丈夫ですって」
「でもこんな窮地を助けてくれた恩人を疑うようなまねをして本当に恩知らずな気がして……」
「いや~~むしろその時間にそんな場所にいた方が悪いですって! あなたは悪くないですって!」
ナナオは侍女を落ち着かせつつも、疑問を抱いていた。
モーヴ子爵が侍女にぶつかって供酒器を入れ替えたことは、ナナオもわざとだと思っている。
毒見をやり過ごすためにアレルギー反応を利用する必要性は理解できる。
だが──本当に「毒殺」が目的だったのだろうか。
ただ国王を殺したいだけなら、侍女が寝酒を運んだタイミングで部屋に押し入り、刺し殺すことだってできた。
それなのに、わざわざ毒を使い、さらにゼッタイシーヌの仕業に見せかける必要があった。
「……お酒を部屋に届けた時、部屋には誰がいましたか?」
「え? ええと、国王陛下とゼッタイシーヌ様がいらっしゃいました」
「他の人はいなかった? 二人だけ?」
「はい……お二人だけのように見えました。就寝前でお部屋も暗くされていたので、あまりよく見えませんでしたが」
「……そうでしたか」
国王を殺せば、巡り巡ってモーヴ子爵に利益があるだろう。
だがそれだけではない。
ゼッタイシーヌに罪を着せることこそが、彼の真の目的だとしたら────。
(……王様を殺すだけじゃない、ゼッタイシーヌに罪を着せることが主目的だとしたら……モーヴ子爵だけの計画とは思えない。誰かが背後にいる……)
ナナオはどうにかして侍女を落ち着かせ、一緒に侍従長の執務室に戻った。
まだ落ち込んだ様子の侍女に侍従長は険しい表情を向けていたが、イモートオモイーはにこやかに立ち上がる。
「侍従長。貴重なお時間をありがとうございました。参考になりましたわ」
「滅相もございません。王妃陛下の御心が一日も早く晴れますことをお祈りしております」
侍従長の敬礼に対し、イモートオモイーも片膝を折っての一礼で応じ、ナナオもチュウジツナジジに合わせて頭を下げた。
執務室を出て十分に距離を取ったところで、ナナオは侍女から聞いた話を伝えた。
するとイモートオモイーは真剣な表情で頷き、侍従長から聞いた話を教えてくれる。
「モーヴ子爵が寝酒を求めて厨房を訪れたと、侍従長も証言しましたわ。ご自分の供酒器を持参した、と。侍女と侍従長の証言に矛盾はないように思われます」
「供酒器の割れる音を侍従長も聞きました?」
「ええ。侍従長がすぐに対処しようと厨房を出たところで、衛兵から『我々が対応するから問題ない』と止められたため、引き返したそうですわ」
ナナオとイモートオモイーは顔を見合わせた。
どちらも、難しい顔をしていた。
「……衛兵にも話を聞きたいところですが、正面から行って聞かせてくれると思います?」
「いいえ。……良心が痛みますが、方法は一つしかありませんわね」
イモートオモイーは心底仕方なさそうにしながら言った。
彼女は凛々しい表情で続ける。
「イテマウド神。人を祟った経験はおありですか?」
「ありませんが?!」
とんでもない質問に目を剥くナナオだが、イモートオモイーは不敵に微笑んだ。