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1. 脱稿気絶転死作家



 ナナオは最後の一文を打ち終えた瞬間、力尽きてデスクに突っ伏した。

 並べられたエナジードリンクの缶がガラガラと音を立てて落下していく。

 徹夜すること早四日。やっと原稿を書き終えたのである。


「終わった……あ~~やっと解放される~~……」


 気付けば締切りまで残り一時間。

 ナナオは震える手でメールを作成し、原稿データを添付して担当の編集者に送った。「送信完了」の表示を見届けて立ち上がる。見えない手で上から押さえつけられているような肩の重さを感じた。

 眼鏡を外し、髪をまとめていたヘアクリップも外すと、少し楽になった気がする。


「うう、朝日が目にしみる……ひとまず返事が来るまで寝────」


 瞬間、強烈な頭痛とともにぐにゃりと視界が歪み、暗転した。ナナオの意識が遠のいていく。



 次に目を開けると、見知らぬ天井があった。


(……私、ついに入院した?)


 とっさにそんなことを考えるが、病院にしては清潔感がない部屋だった。

 身じろぎしようとするが体は石になったかのように重く、感覚が鈍い。ナナオは不思議に思いながらも目だけを巡らせた。

 それと同時にぎょっとする。

 ナナオはどこか薄暗い地下室の床に横たわっているようだった。しかも床には魔法陣らしき模様が描かれ、ぼんやりと青白い光を放っている。

 そして────魔法陣の外から、老人と女性が涙を流してこちらを見ていた。


「ああ、シーヌ! なんてことでしょう! ジジ、儀式は確かに成功いたしましたのよ! 伝承は本物だったのですわ!」


 古めかしい西洋風のドレスを着た女性が歓喜の声を上げると、その隣にいた老人が目元を押さえて頷いた。


「ええ、ええ、お嬢様。イテマウド神が我らの願いを聞き届けてくださったのですな!」


 シーヌ? 儀式? お嬢様? イテマウド神?

 なんの話かさっぱり分からない。


 ナナオは混乱しながらも床に手を突いて上体を起こした──はずだった。

 重くて硬い体で必死に起き上がったというのに、視界は床から動かないまま、体だけが動いている。


「なに、なんで……」


 反射的に呟いた声は、自分のものとは思えないほど甲高いものだった。

 喉に触れようと両手を浮かせ、そこで初めてナナオは気付く。


 ナナオの視点は床に転がったまま変わらないが、視界に女性の後ろ姿が見えた。

 喪服を連想させる黒いワンピースの背中越しに、覚束ない手付きで喉を確かめる手が見える。

 だがその喉から先は、頭もなく途切れていた。

 ナナオは思わず両手で自分の顔を触ろうとする。


 だが、すかっ、と手は空を切った。

 代わりに指は喉のさらに上、本来顎があるはずの空白を抜けて首の断面に触れ────。


「ほぎゃああああああああ!!!!」


 ナナオの声──いや明らかに別人だが──が地下室に反響した。

 その間もナナオは床から、あたふたと両手をばたつかせる首なし女性──恐ろしいことにこれがナナオの肉体らしい──を見上げることしかできない。


「いやいやいやいやちょっと待って首が!! 首が落ちてません?! 何これどうやって喋ってるんだ私死んだ?! え?! 原稿締切り過ぎた罪で斬首ですか?! あと一時間の猶予があったのに?! 担当さんどこ?! 助けて!! 言い訳を聞いてください!!」

「ああっ、イテマウド神が荒ぶっておられる! イテマウド神、どうか落ち着いてくださいまし!」

「落ち着けるわけないだろ気持ちの前に首が落ちてんだぞこっちは!!」


 女性になだめられてもナナオは頭を拾おうと床を探る手を止められなかった。床から首なし自分を見ているだけで頭がおかしくなりそうだ。

 そんなナナオの近くに老人が膝をついた。お仕着(しき)せ姿からして、女性に仕える執事か何かだろうか。


「失礼いたします、イテマウド神。御体に触れることをお許しいただけますでしょうか?」

「……なんでもいいので助けてください……」

「かしこまりました。では」


 老人はナナオの頭部を丁重に持ち上げ、首の上にそっと置いた。かと思うと素早く布を巻かれる。少々ぐらつくが、床視点で固定されるよりマシだった。

 ナナオは布越しに自分の首を支えながら尋ねる。


「えー、それであの、何がどうなってるんですか? あなたは誰? ここはどこ? 私って何?」

「申し遅れました。わたくしはイモートオモイー。こちらはわたくしの従者チュウジツナジジですわ。ここはわたくしの屋敷にある貯蔵室でございます」

「……妹思いに、忠実な爺?」


 本当に人名か?

 日本語吹き替え特有のゴシック体で記載されていそうな名前に、ナナオは顔をしかめた。

 ナナオの様子に気付かなかったか、女性──イモートオモイーは続けて言う。


「そして、あなた様はイテマウド神──わたくしの妹、ゼッタイシーヌ・アクァレージョの遺体に宿る、報復の神でいらっしゃいますわ」

「絶対死ぬ悪役令嬢の遺体に……私が……?」


 一切理解が及ばず、ナナオは気が遠くなった。視界がぐるりと回り、再び床へと視点が落ちていく。


「きゃー! イテマウド神の首が! ジジ、急いで縫合の準備を!」

「はっ、ただちに!」


 慌ただしく周囲で動く気配を感じつつ、ナナオの頭が細い手によって持ち上げられる。その拍子に、視界の端で海のように青い髪が揺れた。

 ナナオは今本当に別人の、それも死んだ人間の中にいるのだ。


「……妹思いのお姉さん、聞いてください、私はイテマウド神とかいう大それたものではなくて、ただの推理作家に過ぎない一般人なんです、許してください、絶対死ぬ悪役令嬢も存じ上げておりません私の名前は七尾八尋(ななおやひろ)でして……」

「まあ、伝承の通りですわね。イテマウド神は降臨されると、いつも異なる名を教えてくださると」

「話を聞いているようで聞いてくれない……」


 よくわからない硬い布地のドレスに包まれた膝に乗せられ、ナナオは溜息をついた。


「……そもそも、どうして遺体の首が切断されてるんですか? イテマウド神って何です?」

「確かに。お呼び立てしたのですから、最初からご説明いたしますわね」


 イモートオモイーはナナオの頭を持ち上げると、元通り首の上に戻した。多少ぐらつく頭を手で支えてナナオが向き直ると、イモートオモイーは真剣な顔で言う。


「イテマウド神。わたくしがあなた様をお頼りいたしましたのも、ひとえに、妹の名誉を取り戻したいからこそでございます」

「名前の通りに妹思いな人だ……」

「国王殺しという無実の罪で斬首された妹のため! どうか真相を明らかにし、真犯人に報復していただきたいのです!」

「話の規模が大きすぎる」


 ナナオは頭痛を覚え、額を手で押さえた。たったそれだけで首が落ちそうになり、ナナオは諦めて頭を膝に抱えてイモートオモイーを見上げる。


「国王殺しの咎で処刑された妹さんの遺体に私が宿ってるんですか? 本当に?」

「はい。イテマウド神は報復を司る神。伝承によれば、無念の死を迎えた者の遺体に宿り、生前失われた名誉を取り戻してくださるのだとか」

「大層な神様なんですね……いやでも私自身は一般人なんですよ、推理小説チョトデキル程度の作家でして」

「まあ、そうご謙遜なさらないで。イテマウド神よりご神託も賜ったのですよ、この報復は正当なものであると。後半は神の言葉で綴られていますが、あなた様なら読むことができるはずですわ」


 イモートオモイーはそう言って羊皮紙を取り出してナナオに見せた。

 見慣れない記号が並ぶのを半目で眺めていたナナオは、紙面の後半に日本語が綴られていると気付いて目を丸くする。


『ナナオ・ヤヒロよ。汝はイテマウドの聖なる依り代として選ばれた。汝の魂は、ゼッタイシーヌ・アクァレージョの潔白が公に示され、その名誉が正しく取り戻されるまで、本来の器へと還ることは叶わぬ宿命なり。無事に帰還したくば、国王ドクサツンゴ二世崩御の真相を解き明かしたまえ』


「ああだめだ脳の血管切れたかも……」

「きゃーーーー!! イテマウド神、お気を確かに!! ジジ、早くなさい!!」

「はいただいま!!」


 ナナオは白目を剥いて気絶した。

 もう二度と徹夜で原稿なんてしない。




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