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浸して食べる

作者: 杜若表六

 このところずっと、ぞわぞわとした得体の知れない違和感がある。五感で感じているわけではない。でも確実にその違和感はある。何かが、私の生きている世界を浸食してくる。部屋の床の隅から墨汁が少しずつ染みだしてくるような気配。しかもその墨汁に触れると私は発狂してしまうんじゃないかという恐れ。実際には墨汁なんて染みでてこないけども。


 朝、行ってきます、と両親に声をかけて、トーストを口にくわえて……とはいかないけれど、せんちゃんと一緒に学校に行って、帰りは独りで。部屋に入ると、確かに違和感があるのだ。二メートルもある大男がうずくまったまま黙っているわけじゃないけども。凶悪な小人たちがわらわらと蠢いているわけでもない。でも、なんというか、匂いがする。正確にいえば、匂いが消えていく。古い匂い、新しい匂い、以前はいろいろな匂いを部屋に感じていたけれど、だんだん無臭という匂いというか、たぶん鼻では感じられない匂いが占拠するようになっているのだろう。人間の鼻では捉えられない、何かの体臭。学校では、そういう感じはしないのだけども。幽霊に体臭はあるのかしらん。あったら、こういう強烈な無臭なのだろう。


 急に熱が出て、学校を休んだ。でも学校に行きたかった。自分の部屋で休んでいても、疲れがとれないからだ。幽霊がいる部屋。その体積はどんどん増えてくる。どうにかしなきゃという焦りで圧し潰されそうだ。額に汗がにじむ。それだけ? 熱があるのに、ちっとも熱くない。ただただ、身体がだるい。

「ソーレ、ヨイショ!」と何かが叫んだ。

「ソーレ、ヨイショ!」

 何だろう。目を開けたくない。

 そっと目を開ける。何もない。誰もいない。両親は仕事だ。

「そうれ、よいしょ」とつぶやいてみた。怖さが和らいだ。

 自分の寝言に驚いたということにしよう。


 と、身体が急に重くなる。大きい人にのしかかられた心地。動けない。声が出せない。部屋の空気が一気に鉛に変わってしまったような。呼吸が荒くなる。何だろう。これも熱病のせいだろうか。それにしたって急だ。やだな、このまま死んでしまうのだろうか。

 また急に、重みがなくなる。ほっと息をつくと、一瞬、部屋が一面赤く染まっているような気がした。まばたきすると、白い壁が眼に映った。


 確実に、何かが私の世界を侵食している。この部屋だけで済めばいいのだけど。

 それとも、だんだん、私が変わっていくのだろうか、と思った。私自身が墨汁なのか。巨人なのか。小人なのか。幽霊なのか。まだ悪夢を見ているのかもしれない。


 誰かがドアをノックした。規則正しく、硬い音が聞こえる。怖かった。せんちゃんかな、と思った。心配してくれたのかな。でもそれならまずインターフォンを押すはずだ。そこにせんちゃんがいるはずがない。

 誰だろう。

 知りたい。何よりもまずその気持ちが勝った。

「そうれ、よいしょ!」

 私はひとつ叫んで、ベッドから起き上がった。

 ドアを開ける。


 獣。

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