亡くなった者のために
冴島は、結界で体を抑えられ、動くことができなかった。
「真下からパンツ見られる気分はどうだ?」
足元に男がしゃがみ込んでいた。
これは絶体絶命だ。
パンツなんていくらでも見せてやる。冴島は考える。それより声が出ないのはまずい。
誰かが助けに来たとして、声が出せないのに左右にある結界の存在を伝えられるだろうか。
「そこまでだ。坂神道夫」
病室の外から声がした。
銃を構えたスーツの男が立っており、銃口は冴島の足元にいる男に狙いをつけている。
ハズレだ、と冴島は思った。
彼は霊能課の刑事だが、霊能力がない。
声が出ない冴島には、柴田に危険を伝える手段がない。
結界の存在に気づかず、同じようにハマってしまうだろう。
「!」
坂神と呼ばれた男は立ち上がり、冴島を盾にするようにして、彼女の脇腹にナイフを突きつけた。
「あんた、刑事だったんだな…… だが、どうしようもないぜ。こっちには人質二人いるんだからな」
ほとんど動かないながら、冴島は必死に首を動かす。
薄暗い病室の中で、冴島の瞳が光ったように見えた。
「柴田刑事! こっち撃つんだケド」
刑事の後ろにいた橋口が、柴田刑事の腕を掴んで狙いをつける。
「撃って!」
『パンッ!』
軽い炸裂音が病室に響いた。カーテン越しに壁を撃っていた。
「何しやが……」
坂神はナイフを冴島の脇腹へ振り込む。
「もう、こっちの番なの」
冴島は、坂神の腕を止めた。
続けて右膝を坂神の腹へ叩き込んだ。
「ぐっ……」
ナイフを持った手を捻りあげると、ナイフが床に落ちる。
「かんな、私が抑えているから除霊して! 強い霊が憑いてる」
柴田刑事の横をすり抜け、橋口がやってくる。
腕を捻られ、押さえ込まれている坂神に向かって、橋口はニヤリと笑った。
「私の除霊は少し痛いんだケド」
制服の内側から『バラ鞭』を取り出して勢いよく振った。
風を切る音が、打たれた時の痛みを想像させる。
息を呑む坂神に向かって、橋口が鞭を振り下す。
『ギャーーー』
銃声の後で聞こえ辛かったが、男の悲鳴が病室に響き渡った。
昇華していく霊。
霊が抜ける事に伴う体と心の痛み。
冴島は断片的な映像として、坂神に憑いた悪霊が何をしたのかを見た。
監禁された女生徒。
身体のあちこちに傷跡がある。
赤い体液が抜け切って、動かなくなっている。
見下ろしている男は、笑っていた。
表情が素に戻ると、坂神は死体を冷徹に処理し始める。
何人同じように切り刻んだのだろうか。
手慣れた様子で解体し、軽トラックの冷凍コンテナへ運んだ。
そして翌朝、軽トラは行列のできるラーメン屋へ……
いくつもいくつも、流れて消えていく映像。
これらが繰り返し行われていた。
いったい何人を手にかけたのだろうか。
冴島は心の中で手を合わせ、亡くなった者のために祈る。
柴田が、坂神に手錠をかけた。
「遠音ミサに対する監禁、傷害の現行犯で逮捕する」
冴島は、坂神を柴田刑事に任せると、窓の外に向かって手を合わせた。
いつの間にか、カラス達が集まり、鳴いている。
あなたたちは理子の通夜の時、これを伝えたかったのね、と冴島は思った。理子は同じ者に殺されたと。
「冴島くん、大丈夫だったかい?」
「柴田刑事、ラーメンの匂いが」
「この坂神って野郎と、ラーメン屋で朝揉めたんだ」
「まさか、そこのラーメン食べたんじゃ?」
「ああ」
それを聞くと冴島は、柴田に耳打ちした。
柴田は顔が真っ青になった。
柴田は吐き気を感じ、手で口を抑えた。まさか、あのラーメン店で踏み抜いたコンタクトは……
橋口は、窓際で縛られている遠音ミサを解放した。
遠音は泣きながら橋口に抱きつく。
ため息をついた橋口は、首を傾げて言った。
「何か、何か忘れてる気がするんだケド」
遠く、聞こえないほど遠くで、クシャミが二つ聞こえた。
おしまい