刑事の朝
柴田は警視庁の刑事だった。
配属は除霊課。
しかし、柴田自身には霊能がない。
だから、霊能者であり刑事である先輩と、組んで仕事していた。
その先輩は一月前の事件から、行方不明になっている。
先輩の名は有栖アリス。優秀な霊能者で刑事だ。有栖の父は警視庁に霊能課を作る際に尽力した人物であり、親子で警察に貢献している一家だった。
有能な刑事が行方不明で人手が減ったが、仕事は減らない。
有栖不在の分、民間の除霊事務所の力を借りるのだが、スケジュール調整などが増え、柴田の労働時間は伸びた。
今日も民間除霊士と捜査した後の、朝帰りだった。
「柴田さん、お久しぶり」
その帰り道、通り掛かったラーメン屋の店主から声をかけられた。
行列の出来る、評判のラーメン屋。
柴田も、この店に通っている客の一人だ。
「おはようございます。仕込みですか?」
「ええ、これからスープ作りです。ただ、素材が来るの、遅れてて」
「それは心配ですね」
「昼には何とか間に合わせますんで、ぜひいらして下さい」
と、その時、すごい勢いで軽トラックが走ってきた。
それどころか、二人に突っ込んでくる。
柴田はとっさに、端へ避けた。
大きな音を立て、車は店前で止まる。
車のスピードを示すように、道にブレーキ痕がついていた。
柴田は危険な運転に怒った。
「危ねぇな。ちょっと文句言ってやる」
店主は柴田に手を伸ばす。
「すみません、これ業者の車です。俺が急げって言ったせいかも……」
「それにしたって程がある」
引き止めようとする店主を振り切って、柴田は軽トラの運転席の横に進み、ドライバーの顔を睨みつける。
「おい、危ないじゃないか」
「……」
運転席に座っているの男は、頬がこけて痩せており、目が隠れるほど前髪を垂らしていた。
「聞こえたか? 返事ぐらいしろ。あと、そんな髪で前、見えてるのか?」
「見えてるから衝突しなかった」
逆ギレしている訳ではない。他人の怒りに触れても、全く動じていないのだ。
「その前に、こんなスピードを出す必要があるのか」
「必要があるのかは、そこの店主に言ってください」
「道には速度規制が……」
柴田は言いかけたが、危険を予知して飛び退く。
柴田にぶつけるように、ドアを勢いよく開けてきた。
「おい!」
「……仕事なんで」
男はそう言うと、荷台の扉を開け、荷物を運び始めた。
割って入るように店主が謝る。
「すみません、柴田さん。今日は私が急がせちゃったもんで。ぜひお昼いらしてくださいよ。サービスしますから」
「……」
柴田はそれとなく軽トラのナンバーを控えた。
仮眠をとると、柴田は朝のラーメン屋に戻り、行列の前の方にいた。
開店のタイミングで、カウンター席に座ることが出来た。
「硬め、多め、濃いめで」
しばらくすると、注文したラーメンがカウンター越しに渡される。
「朝のお詫びに、麺増し、チャーシュー増しにしてます」
「ありがとう。いただきます」
柴田は美味しそうにラーメンを啜る。
しばらくは空腹と、ラーメンの美味しさに、没頭するように食べていた。
が、余裕が出てくると、朝の男のことを考え始めた。
ゆっくりとスープと残りの具材を楽しみながら、思い出す。
柴田は、霊能力がない霊能課の刑事だったが、警察として必要な能力は持っていた。
朝、この店に配達にやってきた男は、柴田のカンにビリビリと引っかかる。
男は、軽トラでスピードを出していた事を、人の良い店主が急かしたせいにした。
まず自分が謝るべきことをしている認識がないのだ。
スピードを出して当然だと思っている。
俺がスピードを出したことを注意しているにもかかわらず、荷台を開け、納品を始めた。
ああいう、自己中心的で、手段を選ばないタイプは、そもそも悪いことをしているつもりがない為、平気で嘘をつくし、自分の為なら犯罪にも手を染める。
署に戻ったら、あの軽トラのナンバーを調べておこう。
柴田はそう思い、立ち上がった。
『パリッ』
小さな音がした。何かを踏んだようだった。
柴田は過去に、同様のことをした記憶がある。
「!」
足をどけてみると、小さく光るものがある。コンタクトレンズだ。
「あれ? 何か気になることありましたか?」
心配そうな店主に対し、柴田は慌てて否定する。
「ラーメンの件じゃないです。ちょっと立ち上がった時にコンタクト踏んじゃったみたいで」
「こちらで片付けておきます」
「お願いします。ごちそうさまでした」
柴田はそう言って店を出た。
柴田は署に戻ると、除霊士が来るまでの空き時間に、軽トラの車番について調べた。
登録は法人ではなく、個人だった。
「会社じゃないのか……」
登録されている所有者は坂神道夫という人物で、年齢は三十手前だった。
坂神を調べても、犯罪歴や補導歴はない。
その時点で、柴田の興味は八割がた失われていた。
これ以上、警察で調査するネタはないのだ。
しかし、柴田は軽トラの車番を、警察の別のシステムにかけた。
「……」
結果画面を見ながら、柴田は確信した。
この坂神道夫には『何かある』に違いない。
ただ、今はその『何か』が何なのかまでは、分からなかった。