恋に破れし者たち
都会の片隅にひっそり佇む、BAR「ブロークンハート」。今宵も名前の通り、恋に敗れて心が傷ついた者が集まる。
"カンカラカーン"
「いらっしゃい。」
無愛想な初老のマスターが、入ってきた女性客に声をかける。女性は綺麗な出で立ちではあったが、鼻のところに絆創膏が付いており、何か訳ありの感じがプンプンした。
カウンターの席に座るなり、俯きながらウィスキーを頼む女性。そうしてグラスにウィスキーが注がれると、女性はすぐさま両手にグラスを持ち、ぐいっと一気にウィスキーを飲み干した。
「いい飲みっぷりですね。」
隣の男の客がニコッと女性客に微笑みかけた。金髪で碧眼のハーフと思われる外見のイケメンだが、何故か新郎か着るような白いタキシードを着ていた。おそらく彼も訳ありだろう。
「ぶふぁ…どうも。」
「始めまして、僕の名前は皇 満と申します。」
「はい、始めまして…ひっく、橘 恵梨香でぇす…ひっく。」
自己紹介が終わると、皇の方から話を切り出した。
「橘さん、ここに来るのは訳ありの人ばかりらしいですよ。」
「へぇ、そーなんだ。えへへ♪じゃあ私も訳ありだわ♪」
完全に酔っ払ってしまっている橘だったが、そんな彼女を見ても皇は引いている様子はない。
「どんな訳ありなんですか?差し支えなければ教えて頂けますか?」
「聞きたいの?どうしようかな?・・・まぁいいや、警察に行くことになっても今更どうでもいいし。」
物騒な物言いであるが、とにかく話を聞くより他あるまい。
「私ね、凄く好きな人が居たの。それで振り向いてもらえるように頑張ったんだけど、振り向いてもらえなくて。彼はあんな女と付き合うようになってね。だから私は腹が立って、彼を薬で眠らせて、自分の家に監禁したの。」
ただの犯罪の告白だが、ここまで聞いても皇は爽やかな笑顔を絶やさない。この男、余程器が大きいのかもしれない。
「これで甘い生活を送れると思ったんだけどね。どこからか突き止めてきたのか、あの女私の家まで押しかけてきて、そこで私の顔をぶん殴ったの♪」
橘は右手の人差し指で、自分の鼻の絆創膏をちょんちょんと指差す。自分が殴られた話なのに笑顔なのが不気味だ。
「殴られた拍子に後頭部を壁にぶつけてね。私、気絶しちゃったんだ。それで目を覚ましたら、あのムカつく女も、愛しの彼もどこかに消えちゃった。はい、これで私の話はおしまい。」
自業自得と言えば、それまでなのだが、橘の顔が哀愁を誘う切ない顔をしているので、何故だか可哀想にすら思えてしまう。
「大変でしたね。」
「ふふっ♪心配なんて不要よ。それよりお兄さんの話聞きたいわ♪」
「はい、それじゃあ僭越ながら私の話をしますね。」
そうして皇は落ち着いた様子で話を始めた。
「僕はずっと好きな人が居まして、何度も告白したんですけど、残念ながら断られてばかりでして。」
「ウッソー、アンタみたいな良い男が断られるの?」
橘が話の腰を折るが、確かに皇の様な容姿の整った男が告白を断られるところは想像し難い。
「その人にも好きな人が居たんですよ。まぁ、私から見たら、その男はどうしようもないチンピラなんですが、彼女は甲斐甲斐しく彼の世話をしていましてね。そんな男に彼女を取られるのが許せませんでした。だから、奴を脅したんです。元々叩けば埃が出るような男です。少し調べれば小さな悪事がたくさん出てきました。それを使って脅して、二度と彼女に近づかないように約束させたんです。」
優しい口調で淡々と話す皇だったが、その目は冷酷そのもので、見ているこっちの肝が冷えた。
「それで奴と別れて傷心の彼女に告白したら、ようやく付き合えましてね。そのままトントン拍子に結婚式まで決まったんですが、僕、気づいちゃったんですよ。彼女が心から笑ってないことに。だから気まぐれに奴に結婚式の日取りを教えてやったら、当日にやってきた奴に彼女取られちゃいました。ご察しでしょうが、それが今日の話です。」
「マジか、花嫁略奪されたの?」
「はい。」
「で、でも、や、約束破ったから、その男を警察に捕まえてもらうんでしょ?」
「いいえ、そんなことしたら彼女が悲しみます。僕は笑ってる彼女が好きですから、だから身を引くことにしました。」
「・・・馬鹿ねぇ。その気になったらどうにでもなるのに、損な人だわ。」
「はい、橘さんならきっとそうするんですね。僕はアナタのガムシャラさが羨ましいです。ふふっ。」
「あはは♪」
恋に破れた者同士で笑い合う、このBARでは珍しいことではないが、いつ見ても奇妙な光景である。
「あー可笑しい♪なんか酔い冷めちゃった。もう帰るわ。マスターお勘定。」
帰ろうとする橘だったが、ここで皇が呼び止めた。
「橘さん、宜しければ電話番号を交換しませんか?恋に破れた者同士。」
「ふふっ、良いの?こんな犯罪者まがいの女の連絡先なんて。」
「まぁ、僕も婚約者を奪われて、精神的に参ってるんです。正常的な判断なんか出来ませんよ。」
「ふふっ♪後悔しても知らないわよ♪」
BAR「ブロークンハート」には何故か恋に破れた者が集まるが、こうした邂逅を見るのはマスターである私の細やかな楽しみである。