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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者を殺したい世界に飛ばされた、1人の男の始まりの物語

作者: 月姫



「……!………ッッ!」


 泣き声が聞こえる。今までは泣く姿なんて数えるほどしか、見た事がない母の泣き声。

 主治医と共に話しながら泣く母の姿が俺の数メートル先にある。

 近い。こんなにも近くにいるのに、俺は何で起き上がることすら自分で出来ずにいるのだろう。何で眺めていることしか出来ないんだろう。


 つい、1ヶ月前までは普通に生活していた。病気をした事なんてなかった。なのに、俺は今、何で動けないんだ?俺は大丈夫だと、何で母に言ってやれない?


 1ヶ月前に起きたら右足がしびれていた。それは次の日も治らず、その翌る日には右腕の力が入りにくくなっていた。症状は治るどころか日に日に悪くなる一方で、良くなる兆しなんてなかった。

 1週間経つ頃には腕だけでなく、足まで動かなくなっていた。

 病院に行けば入院し、点滴をやる事になった。3日間連続で点滴をして、退院して期間を空けて、再度入院して3日間点滴をやる。それを繰り返していく治療だという。

 1回目の入院で点滴をはじめてみれば、症状は軽快し、筋力は戻ったが、しびれは性質が変わっただけでなくならなかった。いや、しびれは弱まるどころか強くなった。

 2回目の入院でまた同じ点滴をし退院した後、症状がひどくなり、1人で歩く事が難しくなった。急いで受診してみれば症状が進行していると言う。緊急入院になった。その時にはかろうじて歩けていたんだ。


 なのに。


 日が経つにつれ、身体は動けなくなっていく。バスキャスとかいうのを入れて治療する方法とかを説明されるがイマイチ理解できない。とにかく出来ることは全てやって欲しいと先生に頼む。母も泣きながら先生に頼んでいた。


 治療が進んで行っても身体はやはり動かない。俺は自分で身体を動かすことはできず、トイレすらうまく出来なくなっていた。

 トイレすらいけないだなんて。身体が触られても感覚すらない。歩けない。おまるのようなトイレを準備されたが、それすらままならない。


「くる、し………いたい、の……いや、や……。」


 あぁ、何で息すらうまく出来ないのだろうか。いっそ、思いっきり泣きじゃくってしまいたい。それすら困難なのが恨めしい。

 呼吸すら自分でうまく出来なくなってくれば集中治療室に移動になった。呼吸を助けるための機械とか言って何か付けられたが、機械自体が苦しくて付けていられない。マスクが痛くて顔に傷がつきそうだ。何でこんなものをつけなきゃいけない?


 普通に生活をしたい。誰かの力を借りずに生活をしたい。自らの足で歩きたい。何で病気になったのだろう。病気になんかならない強い身体が欲しい。多くは望まないから、せめて日常生活を当たり前のように送りたい。

 運動なんて嫌いだった。出来るだけ動きたくないと思っていた。けど、今となっては走り回りたい。忙しそうに走り回る看護師達が恨めしい。忙しい嫌だと愚痴る姿が羨ましい。俺もあんな風に普通に働きたい。走りたい。自らの足で立ちたい。

 生きることすら他者の手を借りなきゃ可能でないと言うのははたして、生きていると言われるのか。


 辛いつらいツライ───…


『願い聞き届けた。乞い願う物のためにせいぜい精進致せ。踊り狂え。妾を楽しませる舞台を演じる事、期待しておるぞ。』


 は?

 偉そうな声がした気がした。自信家で気が強く高飛車で誰かの指図など受けないと言うような勝気な女性の声。いや、これは俺の勝手なイメージだが。

 存在感がある声が、頭の中に突然響いたかと思えば、その声とともに全てが消えた。

 身体の痛み。息の苦しさ。周りから聞こえる不快な機械音。人の走る音。

 俺の周りの物が全てが消え───俺の意識も消えていくのを感じた。抵抗できる隙は一切なかった。











◇◇◇


 涼やかな空気の流れがある。機械が出しているわけではない、自然の中で発生した風だ。久しぶりの感覚。目を開ければ青空が───て、え?

 俺はキョロキョロと周りを見渡した。自分の手や身体も何度も見ては、身体の動きを確認した。うん、問題なく動く───て、え?


 え?え?え、え、え?


 身体は思い通りに動く。何の問題もなく動く。痛みも呼吸苦もない。おかしいくないか?俺の治療はうまくいっていなかった。動かないのが普通のはずなんだ。

 身体も変だ。見た目が明らかにおかしい。人のような形はしてるが、鱗っぽい物がある。腕から足から身体中に至るまで鱗が付いている。身体は茶色というか、黒というか。皮製品のような色をしていた。ゴツく変化した手の指についた爪も鋭利な物へと変化している。

 ここはどこだ?俺は何で外で寝ている?俺は病院にいた。俺は病室の中すらまともに動けない状態のはずなのに。


 周りを見渡したり身体を確認したりを繰り返していると、カードが舞い降りてきた。

 俺の手の上に落ちると決めて狙いを定めたかのように真っ直ぐに、まるで刺さってやるぜと言わんばかりの勢いで落ちてきた。何なんだ、マジで。

 カードは手に刺さらず、弾け飛んだ。鱗のある皮膚は丈夫なようで刺さらずに済んだ。しかも痛い。この痛みは夢じゃねぇなっていう痛み。あれだよな?これは夢だよな?なのに何で痛みがあるんだよ。変なリアリティはいらねぇっての。


『君は神様ゲームへの招待されたよ。クリア条件は勇者を殺す事。クリアできたら現実世界で病気の完治と丈夫な身体がゲットできるぜ⭐︎やったね!この世界で死ねば君は現実世界でも死ぬからね。気をつけた方が良いよ。じゃ、頑張ってね。』


 カードにはそんな事が書かれていた。模様も何もなくシンプルに字だけが書かれていた。意味が分からない。

 

「カードは読まれましたか。」


 目の前にはさっきまで誰もいなかったのに、いつの間にか天使がいた。

 白い立派な羽。神話に出てきそうな白いヒラヒラした服。金髪に青い眼。人とは思えぬ神秘的な美しさを持った造形。

 おそらくは天使設定の奴。天使でなければ変態かコスプレイヤーとしか言えない奴。


「誰が変態ですか。天罰を下しますよ、下郎が。」


 ファンが多くいそうな美しい声。しかし、言っていることは辛辣。話し方に絶対零度の冷たさがある。コアなファンがいそう。

 俺はもっと天使らしい天使が好きだ。それにいくら美しいとは言え相手は男。それより可愛らしい天使(女の子)が見たいってもんだろ。夢くらい好みの可愛い献身的な天使(女の子)が出てきても良くないか?


「クズに話を合わせるだけ無駄ですね。貴方は主君のゲームに招待されました。ゆえに主君の管理するこちらの世界での身体とスキルを与えられました。あちらの世界の貴方の身体は昏睡状態となっています。」


 ゴミを見るような目。淡々と氷河のように冷たい口調。俺の反応は無視すると決めたらしく、いきなり話をし始めた。

 なるほど、こいつは厨二病者か。何で俺の夢に出てきた。俺は転生系のマンガを最近読んではいないんだが。


「貴方は丈夫な身体や走る事を望んだ。お優しい主君がそれらを与えてくださってます。その上で貴方にはゲームをして頂きます。この世界で死ぬまでにカードに書かれたクリア条件を満たす事。条件を満たせればご褒美が貰えます。」


 なるほど。これはクソゲーの夢か。理不尽にゲームに参加させられ、高みの見物をされる奴か。

 クソゲー漫画の登場人物なんて、憧れる物でもないだろ?読んでうげぇと思うくらいの立ち位置で良い。何でこんな夢を見るんだ、俺。


「貴方は頭の悪い方ですね。信じるか否かは貴方次第。ただ死ぬしかなかった貴方に主君がチャンスをくださったんですよ?貴方は主君の下さった機会に感謝し、無様にもがくべき、主君を楽しませるべきでしょう。最も、私としては貴方などどうでも良い。主君のゲームの説明にきただけですから。では。」


 天使は現れた時同様にいつの間にか消えていた。

 俺の夢の天使、性格も口も悪くない?美人ではあってもあれはない。


 消えた天使はいくら待っても二度と姿を見せなかった。説明のためだけのキャラらしい。俺の夢は親切みが足りない。説明不足だろ。

 よく分からないが、こういう時って、あれだよな。せっかくの夢なのだし、あれだよな。


「ステータスオープン」


 身体はおかしく変化していても声は気が慣れたそれなのな。


『名前:適当に好きなのにすれば?

 種族:ヒトとセンザンコウを混ぜた感じ

 能力:走れば走るほど強くなる(走るのをやめ10分後には元通り⭐︎)』


 ステータスは出てきたけど、思ってたのと違う。俺の夢、もう少し仕事しても良くね?適当過ぎんだろ。

 天使は望みを叶えた身体だって言ってただろ?丈夫な身体ってドワーフとか何だとかあんだろうに、何だよ、ヒトとセンザンコウを混ぜた感じって。混ぜんな危険。てか、センザンコウって何なんだよ。

 能力にしたって走れば走るほど??効果は10分だけ?つまり、戦うたびに走り回れってか?ああ、それは俺が看護師達のように走りたいと望んだからか。それが望みを叶えたって言う話につながるのか。なるほどな───って。いやいやいやいや!!そうじゃねぇだろ!おかしくね?んな事を望んだわけじゃねぇよ。


 ………つっても、自分の夢に文句を言っても仕方ないか。


 せっかく、夢の中なんだ。久しぶりに自分で動ける。歩ける。なんなら、走れるんだ。とりあえず、動こう。今の状況を楽しんでやる。

 俺は改めて周りを見渡した。

 自分がいるのは何もない広場。半径10メートルくらいか。囲うように木が生えている。その奥を見れば木。木。木。つまりは森が広がっているのか。

 よし、歩くか。歩けば棒に当たると言う事だし、多分、歩き始めれば何かに出会い情報やら何やらが得られるはず。だって、こういうのってそういうものだろ?




 お、見つけた見つけた。




 歩き始めて10分くらいか?意外と歩いたけど、見つけた。

 ピンクのうさぎのぬいぐるみのような奴。あんまり可愛いデザインではないが、15センチくらいのうさぎ。二足歩行をしている。それが3体か。多分、魔物的存在なんだろう。

 うさぎといえば、あれだろ。スライム的立ち位置の魔物なんじゃね?チュートリアルに良いとかそんな感じ。つまりは雑魚キャラだ。

 よし、サクッと倒して経験値積みますか。積める系なのかも知らないけど。




 俺はうさぎ目掛けて走り出した。あぁ、久しぶりに走った。リアルな感触がある。走るこの感覚。夢であるはずなのにリアリティがあり、胸が高鳴るのを感じる。ずっと求めていた感覚だ。俺はさらに足に力を込め、走る速度を上げた。




 ───そして全力で走って逃げている。

 マジでぬいぐるみなんだよ。丸い布の塊に耳を縫い合わせて不細工な顔をつけてある。で、胴体の布の塊細っこい布の塊が四つ縫い付けてある。そんな手の込んだ感じもない簡易的なぬいぐるみ。

 それが強いと思うか?酒瓶片手に俊敏に動いて、酒瓶で殴りかかってくると思うか?避けれたからいいけど、酒瓶で木が抉れるってなんなの。なんで、日本酒やらワインやらビールやらと酒瓶の種類に富んでいるんだよ。うさぎは酒なんか飲まないだろ。

 しかも。なんで、うさぎは増殖してんだよ。3体だったのが6体って倍増じゃねぇかよ。仲間を呼ぶとかいらないスキル持ちか?タチが悪りぃ。うさぎのぬいぐるみの大群とか怖すぎる。しかも、アイツらは木に登って逃げても、木を倒すんだ。2、3回殴れば木が倒れるっておかしいだろ。


 うさぎのぬいぐるみなんてせいぜい、チュートリアルだろ。何なんだよ、俺の夢は。走る感触がリアルにあるのは嬉しいし、ときめくけど、こんな展開は望んでいない。


 逃げる為に走り始めてすぐに、問題は発生した。いや、うさぎから逃げるために走り出している時点で問題ありありなわけなんだが。


 俺、体力がない。


 息が切れる切れる。はぁはぁはぁと呼吸が乱れる。苦しい。そりゃあそうだろ。長らく入院してたんだから。ベッドで生活してたんだから。長く走れるはずがない。

 あぁ…もうダメだ、走れない。疲れには抗えず走る速度を緩めれば、うさぎ達がニヤリと笑った───気がした。

 うさぎの一匹が酒瓶を振り上げ、俺に飛びかかってくるのが肩越しに見える。


「ハァハァ…あぁ、くそっ!!」


 俺は飛んできたうさぎを無駄だとは思いつつも拳で迎える。これくらいしか、今の俺に出来ることはない。苦し紛れの攻撃をうさぎにぶつける。


《パーーン》


 て、え?

 さっき、うさぎを殴った時はうさぎはノーダメージだった。すぐに酒瓶にて殴りかかってきた。

 それがどうだろう。今は頭が弾け飛んだ。その見た目なのに血は赤なのか。ちゃんと脳が詰まっているのか。て、グロ。

 レンジで破裂した卵のようにあたりに中身を飛び散らせながら破裂してみせたうさぎの頭が見えた。グロすぎる。手が汚れた、気持ち悪い。

 うさぎは身体は頭を失い、ゆっくりと倒れていく。何が起こった?───て、いや。今は考えている暇はないか。攻撃が通るならばやる事は決まっている。


「おりゃぁあああああっ!!!」


 倒れたうさぎが落としたウイスキーの瓶。それを急いで拾い上げ、残ったうさぎどもに向かって走り出す。

 倒れたうさぎを見て呆然としている今が狙いどき───手ではもう直接殴りたくないから瓶で殴り飛ばしていく。

 何で殴るたびに弾けるのか。そんな文句はあるが、瓶で殴ればうさぎ達は地に伏せていった。


「ハァハァ…ハァハァハァハァ……つまらぬものを、斬って…ハァハァ…しまった、ぜ…。」


 なんか虚しい。

 とはいえ、無事に切り抜けられた。うさぎを殴った手が痛い。息が切れて、喉も胸も苦しい。走り回って足がパンパン───あ。走り回れば強くなる。はじめは攻撃が通らなかったが、さっきは通った。それはそういうことか。って面倒な力だな、くそっ!何なんだよ、この夢は!!


「…………これ、夢…だよな。」


 足にくる痛みやら手にきた衝撃やら、身体中にある擦り傷からの痛みが嫌にリアルだ。走り回った時に感じた風も花の香りも木の感触、枝が風に揺らされ生じる音。全てが警告音を鳴らしてくる。


『信じるか否かは貴方次第。』


 問いかけに対する返事は誰からもないけど、ふと思い出すのは天使が言っていた言葉。機械的に冷たく言い放った、あの天使の声が蘇ってくる。


『ただ死ぬしかなかった貴方如きに主君がチャンスを差し上げたんですよ。貴方はせいぜい主君の下さった機会に感謝し、もがくべきでしょう。死にたくないのなら、ね。』


 思い返しても、やはり天使は好き勝手言いやがった。本当だとしてもこちらの足元を見たような事を上から偉そうに。

 ただ。

 もし、本当ならば?天使は言っていた。ここで死ねば俺は───…

 条件クリアで得られるものがあるとも言っていたはずだ。


 ………やはり、俄かに信じがたい。とりあえず、俺は───走り出した。

 夢だろうと何だろうと。久方ぶりに地面に足をつき、走れたんだ。疲れはあるが、今は自分の事が自分で出来る。訳の分からない状況であるのは確かに事実ではあるが、走る事が出来るという当たり前が何とも嬉しくて。

 状況理解は後にして、とりあえずは今を楽しみ、状況を把握していこう。ここは森しかないわけじゃないはず。

 俺のクリア条件は───勇者を殺す事。無茶振りがすぎる。けど、それが事実ならば街くらいはあるはずだ。いろいろ文句もあるし、突っ込みたいこともあるけど、今はとにかく、走りたい。

 俺は知らぬ世界で、しばらくアテもなく走り続ける。今後のことは置いておいて、今を噛み締めておこう。しばらく、何も考えずに走りたい。

 ま、現実逃避だよ、悪いか。とにかく今は無我夢中で走り続ける。




 これは、この後、様々な出会いと別れを繰り返し、数年かけて勇者を殺す、男の運命が変わった瞬間の、始まりの物語。



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