魂の行く先【1】
前回の話
武装大会で予選敗退。
メアリーと次回の闘いに向け約束を交わし集落に戻ると──
「ただいまー! いま帰っ・・・た・・よ・・」
扉を開け放つと見えてきたのは見慣れた部屋・・・ではなかった。
最初に目を疑ったのはリビングの中央にある、普段なら食事や本などを読む時に使っているテーブル。そのテーブルは倒れ、その下には一際大きな赤黒いシミがベッタリとこべり付き、周りには料理を盛り付けたであろう皿などが数枚散乱していた。
何よりも鉄が錆びた様なあまりにも嗅ぎなれた匂いが充満している。
・・・それがなんでこの家からするんだ。
一通り家の中を眺めていると、自然とある言葉が頭の中で繰り返し始めた。
〝ローグ、幸せにね〟
(ーーあれは夢のはずだろ!)
自然と足は中央のテーブルへと向けられた。片膝を床につき、テーブルよりも遥かに大きい染みを指で擦り鼻に近づけると、より一層鉄錆の匂いが鼻を刺激してくる。
自分の勘違いではなかったことに心臓が胸を飛び出すのかという程に脈打ち、咄嗟に胸を手で押さえるも止まらない鼓動。
自分の考えを否定する為にもう一度辺りを見渡してみると、床にこびり付いたシミの中に控えめに盛り上がった場所を見つけた。
すぐに盛り上がった場所を指で摘み、コーティングの様になっている染みをぺりぺりと音を立てながら剥がしていくと、青い糸の様な物が顔を覗かせた。
それが何なのか気付くのにそう時間はかからなかった。そしてその頃にはもう、嫌な汗は止まらなくなっていた。
それに従うように走り出す。
家の中は・・・いない。
また走り出す。
よく洗濯をしている川へ。
・・・いない。
また走る。
今度はたまに行くと言っていた果物の取れる林へ。
木々に囲まれた場所で辺りを見渡すも誰もいない。
他に行きそうな場所はあまり無かったはず。
アイラは狩りなどの経験は殆どない。
もし獣が多く出る場所に行く時は、いつも一緒に行っていた位だ。
とすれば他に行く場所も無いはずなんだ。
そこまで考えて今更ながらに気付いた。
(……他の人たちはどこに行った?)
集落に辿り着いてから今の今まで誰とも会っていない。小さな集落とはいえ二十人程度は暮らしているのにも関わらずだ。
いくら毎日が自給自足だからといって全員が集落を離れるなんて状況は滅多にないのに。
確認するために急いで来た道を戻っていく。
集落に戻ってきたものの、やはり人の気配などは全くなかった。
心の中で一言謝りながら近くの家に入ると、やはり床の一部に赤黒いシミ。それと鉄錆の匂いが鼻をつつく。
すぐに他の家も見て回るが、どの家も俺の家と同じように床に赤黒い染みを残し誰もいなかった。
全ての家を確認し終え、自分の家に戻ってもやはりいないし、床には赤黒いシミ。
訳が分からない。
いくら考えてもわからない。
「ーーなんなんだよこれは!」
気付けば地面に拳を打ち付けていた。
「ーーーあああぁぁぁぁ!!」
体に走る痛みで一瞬だけ冷静になったような気になるが、その痛みが弱まるにつれすぐに胸を締め付ける様な痛みが襲い掛かってくる。
今度は頭を地面に叩きつける。
何度も、何度も、何度も・・・
途中からは自分が何でそんなことをしているのかさえ分からなくなっていた。
ただ、頭を打ち付ける痛みだけが今は少しだけ楽にさせてくれている気がしたのだ。
それでも胸の痛みはすぐに押し寄せる。
だからまた頭を地面に叩きつける。
さっきよりも強く、何度も、何度も・・・少しでもこの胸の痛みが和らいでくれるなら・・・
□■□■□
包丁がまな板を叩く軽快な音が心地いい。
ただ一つ我儘を言うなら、一人なのが少しだけ寂しい。
いつもなら獲物を捕まえて戻ってくる頃合いだけど、ここ最近はずっと一人で聴いている。
傍にいるのが当たり前すぎていない事がこんなにも索漠とした気持ちを味わうことになるなんて想像もしていなかった。
武装大会へ行くと聞いた時は「たまには一人もいいかも?」なんて考えていたけど、それは思い過ごしだったみたいだ。
(もう辺りも暗くなってきたし・・・ご飯ができるまで本でも読もうかな・・・)
ローグが首都に出掛けてからというもの、気を紛らわすために昔から好きな図鑑を読む時間が増えていた。
そして今も香草の蒸し焼きが出来上がるまでの合間に図鑑を読もうと思う。
《鉱石図鑑》。大好きな本の一つ。
知識が増えるのは楽しい。
何よりもこの図鑑に描かれている奇麗な鉱石を見ているだけで癒される。
もちろん他にも花や風景などの挿絵が入っている本もいい。説明や解説を読む前と後とで受ける印象が変わるのが心を弾ませてくれる。そこに知識が育まれるのだからこれ以上の娯楽品はないと自負している・・・のだが、そのことを話す度に呆れたような顔をされるのだけは未だに納得がいかない。
まぁそのことについては帰ってきた後、折を見て存分に語り合えばいつかは分かってくれると思う。
ーーぐぅぅ・・・
お腹の虫がうずく。いつもより少しばかり熱中してしまったらしい。
体を伸ばしてから立ち上がり本を棚に戻しに行き、そのままの足で皿を取りに台所へ向かう。
香草の蒸し焼きと裏庭で取れた自慢の野菜たちを皿に盛りつけてからテーブルへと運ぶ。
一人だといつもみたいに盛りつけても、なぜかいつもより奇麗に見えない不思議。
あとで本で調べてみよう・・・
---コンコン
扉が叩く音が聞こえてくる。
(こんな夜更けにだれだろ・・・?何かあったのかなぁ?)
集落で人の家を訪れるなんてことはそうそうないのに。もしあるとすれば盗賊や悪漢などが出た時や、誰かが亡くなった時なんだけど・・・最近そんな兆候あったかな?
子供が生まれたりした時やおめでたい事は夜じゃなくて、朝や夕方に来るはずなんだけどな・・・。
徐々に体に力が入っていくのが分かった。
もし、最悪な状況だったら夕飯どころじゃなくなっちゃう。
すぐさま森の中などに避難しなくてはいけない。片足にしか回路を持たず、普段から回路を使う事もない私には戦う術などないに等しい。
すぐに扉の前まで走る。
「──なにかありましたか?」
声を発した瞬間、扉が勢いよく、私に向かって開いた。
──ゴンッ!
目の前が明滅し、気付いた時には尻餅をついていた。勢いよく扉を開かれたせいで頭にぶつかったらしい。頭に走る熱と痛みが動揺と共に押し寄せてくる。
「──いきなり何をするの!」
何が起きたのか急いで視線を扉に戻そうと顔を上げると、今度は顔に鈍器で殴られでもしたのか、激しい衝撃が頭を揺さぶる。
ドサッ……
何の音なのか。
今自分は立っているのか、それとも座っているのか、そんな事すら分からない。
(頭が……フワフワする……。 これは……夢? それとも……現実? ……わた……し……どう…なった…の……?)
「まだ生きてんのか? ったくしぶとい女だ。そういう女は男に嫌われんぞ」
靴が床を叩く振動だろうか、頬越しにそれが伝わってくる。
ズブッ──
普段台所で聞いているような音とは少し違うが、背中から胸の辺りに冷たい感触がさっきまでの考えを否定していく。
剣や刀よりも短く、それでいて人を殺すには充分すぎるほどの刃が背中から胸までしっかりと突き刺さっているのだから。
(あぁ、本で……読んではい……たけど……死ぬ…ときな…んて……本当に……あっとい…う間なのね……)
もっと苦しく、もっと辛いものだと思っていた。これから死ぬというのに不思議と怖くもない。これから両親に会いにいくと思えばちょっと遠いピクニックみたいなものなのかもしれない。
ただ一つ。
一つだけ気になってやまないことがある。
ちょっと不器用だし鈍感な彼は一人で生きていけるのだろうか?
せめて彼が一人じゃなくなるまで、それまでは……
(ロ……グ……しあ…わせに…ね……)
□■□■□
寒い。
(……俺は…何を……)
赤黒い染みが服にも、地面にも出来ている。
頭が割れるように痛い。
それと同時に自分が頭を地面に叩き続けて気を失ったのだと気付いた。
そして夢でなはなく、現実なのだという事も。
血を流したせいなのか、それとも気を失ってから一晩超えたからなのか、気を失う前よりはだいぶ冷静になれた気がする。
(あれ……)
ボーっとしていた頭がはっきりしてきたのだろうか? 体に違和感を感じる。
(!?──これは……まさか……)
違和感のする左足へと目を向けると、左足が淡く輝いている。
俺の回路は両腕の二つだけ。
じゃあ何で足に……
左足の回路で思い出すのはアイラ。
普段から使う事などほとんどなかったが、アイラの回路は確かに左足だったはず。
そして今、淡く光っている足も左足。
〝ロ……グ……しあ…わせに…ね……〟
(……嘘だろ。さっきのは夢じゃないのか……?)
さっきまでなぜか見せられたアイラが殺される夢。夢なのだから現実ではないはず。
そこからは無意味な自問自答ばかりが続いた。
今まで回路がある事に気付かなかったなんてことは無いはずだ。
初めて回路を使えるようになった頃、誰もが他に回路がないかと全身に魔素を巡らせる。俺もその時に確認済みだ。
じゃあなんで回路が増えている?
それもなんでアイラが持っていた回路と同じ場所にそれが発現した?
もし仮にアイラが死んだとしても、回路が人に移るなんて話は一度も聞いたことが無い。俺が知らないだけなのかもしれないけど……
もし殺されたんだとすれば、死体はどこに行った?
野盗などが殺したんだとすれば死体をそのままにするか、良くても土に埋めるなり燃やしたりするだろう。人だって動物だから死ねばその瞬間から腐敗が始まる。わざわざ人間を血抜きしたり内臓を取り出したりなんて事をしないだろうし。
そんな時だった。
---ヒュッ・・・
私の友人で色々とトラブルを抱えていた方がいました。
その方は、何か悩むと家の柱へと頭を何度もぶつけ、冷静さを忘れないようにしていたそうです。
生きる希望を亡くした時、本当に辛く胸が張り裂けそうな時、貴方はどうしますか?