勝利の代償
そのとき、神風が吹いた。
実際には、そんな生易しい風ではなかったが、確かに吹いた。
ゴッ、と、突き上げるような衝撃を、背後、つまりクレパスの奥底から受けたシューティング・スターの機体は、まばたきする間に天空の高みへと引き上げられている。
言うまでもなく、シューティング・スターに飛行能力はないのだが……不思議なことにモニターから見えた空は、そこへ張りつけたかのように静止していた。
『よう、生きてるか?』
『……え?』
テリーは呆けた頭で、周囲を見まわした。
『おう、生きてるな』
『ホ……ホークさん』
シューティング・スターは、人型ベネトナシュの腕に、しっかりと支えられていたのである。
『ひさしぶりだな、テリー』
『……』
『どうした。やっぱり死んだか』
『……そうかも』
『ハ、ハ!』
『ハハ……ホークさんは、変わらないなぁ』
テリーが紋章官であった三年前。ホークは、L・J下手な将軍にかわりベネトナシュを乗りまわしてはいたが、まだ、機兵総長であった。
年齢も入団時期も、昇進速度も違うふたりだが、それでも同じ西部出身で馬が合い、当時は一緒になって、随分と悪さをしたものだ。
そういう意味ではこのふたり、兄貴分・弟分というよりは、歳の離れた親友、と言ったほうがいいかもしれない。
『いよいよ、ジイ様とやる気になったようだな』
うれしげに言うホークに、
『うん……どうかな』
テリーは力なく笑い、首をかしげた。
『まだ、金がたまらなくてね。自信がないよ』
と、こういう弱音を素直に見せられる間柄、ということである。
『なあに、いざとなれば、メラクなどいらんさ』
『ええ?』
『射程に不安があるのなら、弾が届くところまで近づけばいい。おまえは腕を上げたし、仲間がいればできる。要は、土俵を大きくするか、小さくするかの差だろう? なあ?』
『……うぅん』
『おいおい、しっかりしろ。ジイ様に勝って、一番になるんだろう? ……そら、お迎えが来たようだぞ』
見ると、遠く足の下から、カラスとクジャクが近づきつつある。
『行くかあ』
『え、ちょ、ちょっと待った! ゆっくりお願いします! ゆっくりぃぃッ!』
テリーの叫びもむなしく、ベネトナシュはスラスターをカット。自由落下という、ひどく合理的かつ恐ろしいやりかたで、地上へ降りた。
『てなわけで、今日のところは痛みわけだ』
そう言ったベネトナシュは、来たときと同様、指を立てて別れを告げた。
そのときもユウは思ったが、この将軍機はいままで出会ったどのL・Jよりも、人間らしい動きをする。
『聖石は、おまえさんがたが預かっておいてくれ。いずれ必ず取りに行く』
と、わずかに浮いたベネトナシュの足もとが、スラスターの高熱で溶解し、大穴となった。
『あと……そうだな。これは軍事機密ってことになるのかもしれんが、おまえさんがたを追って、全軍が動きはじめてる』
『う……』
テリーが、わずかにうめき声をもらした。
『ギュンターの一軍もトラマルのあたりまで来てたんだが、まあ、この山ん中だ。ミザールとアルコルが追っついてくるのは、まだ先のことだろう』
上手く逃げろよ、ホークは笑った。
『テリー』
『う、あ、あい』
ベネトナシュが、機械の胸を親指でつつき、そのまま立ててみせる。
『……ん』
シューティング・スターも同じ動作で返した。
『じゃあな、あばよう!』
蒼天高く舞い上がったベネトナシュは、オルカーンの引いた黒煙を追って、南の空へと飛び去っていった。
……さて。
前半分を雪に埋もれさせたマンムートは、幸運なことに、落下による損傷をそれほど受けてはいなかった。
これはもちろん、走行に必要な部分が、という意味であり、オルカーンのアンカーは依然突き立ったままワイヤーをだらりとたらし、その亀裂と、開かれたL・J用ハッチからは、わずかながら黒煙が上がっている。
この煙を見たとき、ユウはまだ火が残っていたかとあわてたが、貯蔵庫と空調室から出た残留煙だとわかり、ひとまず胸をなでおろした。
聖石も、無事だった。
『とりあえずは、我々の勝利といったところですか』
『ああ……たぶん』
『しかし、これからまた忙しくなりそうです』
一足先にN・Sを抜け出たモチが、格納庫の床へ舞い降りた。
そのあとを追ったユウが、カラスを指輪へ戻したところで、
「ユーウー!」
駆けてきたのは、大きめのコートを着こみ、シルエットがペンギンのようになったララである。
「ユウ、おっ帰り!」
「ああ」
「テリーもお帰り! やるじゃない!」
と、ララは、L・Jをベッドに固定し終えたテリーをほめそやしたが、
「うん、あんがと」
本人は、どうも気のない返事をした。
あるいは、ただ単に疲れているだけかもしれないが、やはり動きはじめた鉄機兵団、いや、オットー・ケンベルの存在が気になるのか、先ほどから極端に口数が減っている。
「なにさ、みんなして変なの」
ララは、硬く目を閉じてフラフラと右往左往するモチを抱き上げ、頭をなでた。
「皆が変、ですか。やはり、アレサンドロはまだ……」
「うん。ていうか、ジョーも変だし、ハサンも変だし」
「ホウ?」
「……クジャクも変?」
モチは、フム、と、頭をまわした。
これは由々しき事態である。
帰る道すがら、クジャクとユウのやりとりを耳にしていたモチは、十五年前のトラマルで起きた事変については、聞くともなしに聞いている。
ゆえに、クジャクやテリーの心中は察して余りあるが、あのジョーブレイカーまでが『変』とはどうしたことか。
さらには、アレサンドロから伝播したであろう、ハサンの変化。
やりかたはどうあれ、常に俯瞰の視点を持ってメンバーを救ってきたそのふたりに混乱をきたされては、鉄機兵団の襲撃を待たずして内部崩壊するおそれがある。これからを考えなければならないいまこの時期において、それは、どうあっても避けたい事態だ。
隣で話を聞いていたユウも、モチと同様の思いであったが、もうひとつ、心にかかることがあった。
「ユウ。あなたはジョーをお願いします。私はハサンと話してみましょう」
「いや……俺はアレサンドロが先だと思う。嫌な予感がするんだ」
「フム……」
モチは、一瞬の沈黙ののち、うなずいた。
「しかし、彼に必要なのは時間です。あなたにまかせますが、無理押しは避けてください」
「ああ、わかってる」
「ね、あたしは?」
「女性陣に変わりはありませんか?」
「うん、ダイジョブ」
「ならば、あなたがたはいつもどおり、美味い食事でも用意してください。女性の手料理は、気落ちした男にとってなによりの薬です。そうでしょう、ユウ」
「だから、知るか」
……しかし、その後。
ユウの予感は的中することとなる。
どれほど手をつくしても、マンムートの中に、アレサンドロの姿を見出すことができなかったのだ。
「しまった……!」
どうにもならない胸騒ぎを覚え、ユウは、L・J用ハッチを飛び出した。