第一歩
天を刺す、白いサーチライトの中。
薄雲を破り、徐々にその姿を現しはじめた、飛行戦艦オルカーン。
映像などとはまったく違う。
空の覇者たる貫禄を秘めたそれを目のあたりにして、ユウは小さく武者震いした。
おそらく、いままで入った、どの建物よりも巨大で、どの建物よりも恐ろしい。
あれに忍びこむのか……。
胸を恐怖に縛られるのと同時に、腹の内が、まるで煮えたぎった湯をそそがれたかのように熱くなった。
「……楽しみだ」
「え……?」
「そんな顔です」
広場に立つ馬のモニュメントの背に座りこんだモチが、丸々とした目で、ユウを見下ろしている。
「やはり、あなたは、シャー・ハサンの子だ」
「よしてくれ」
ユウは手を振った。
「冗談じゃない」
モチは、ホゥホゥ、と、からかうように鳴き、オルカーンへと視線を戻した。
ユウを含めたオルカーン攻略組は、現在、ドーザの宿へ泊まっている。
あの戦艦の正確な降下時刻がつかめず、マンムートでは、いざ、という瞬間を逃すおそれがあったためだ。
ここならば、例の地下水道へも近い。
「今夜になりますか」
「ああ」
ユウはモニュメントの台座の雪を払い、腰を下ろした。
「ユウ、ハサンと言えば……」
「ん?」
「彼はなぜ、我々との同行を言い出たのでしょう」
「……アシビエムでか?」
「そうです」
今回の作戦、ハサンはマンムート待機組に入っている。
「彼が根っからの悪人でないことは、無論承知しています。しかし、無償で協力したいと考えるほどの善人でもなければ、おそらく、退屈しのぎなどという短絡的な考えで動く凡人でもない」
言いながらもモチの目は、抜かりなくユウの顔色をうかがっている。
「もちろん、この旅を生き抜く上での、彼の必要性は理解しているつもりです。アレサンドロも、彼を信じている」
「なら……」
「不安なのです」
ユウは、はっと、モチを見上げた。
まさか、モチの口からそのような言葉を聞こうとは思わなかったのだ。
「私は確信が欲しい。彼を信ずるに足る確信が。あなたのひとことが」
城塞から鳴り響く、サイレンの音が途絶えた。
「教えてください、ユウ。彼の目的はなんです。彼が我々に見出した、利害関係の一致とは?」
……ユウは、言葉に詰まった。
おまえは甘い。そう言われるかもしれないが、ユウの中ではすでに、ハサンはテリーなどよりもずっと信頼できる相手として認識されている。N・Sコウモリの一件はともかくとして、自由気ままにやっているようでも、その行動と思考は常に、仲間の利益のために働いているはずだと。
そしてそれは実際、そうだったはずだ。
しかし、だからといって、
「ハサンが、俺たちについてくる目的……」
「あるはずです」
「ああ……きっと、そうだ」
この一事が否定されるものでもない。
あのハサンに限って、ないわけがないのだ。
「N・Sでしょうか」
「違う」
「では……?」
「わからない」
「フム……」
モチは、首を左右にまわした。
「でも、次の獲物を探してるふうでもない。なにかを狙ってるなら、当たりはもう、つけてるはずだ」
「それが、物ではないとすれば?」
「え……?」
「つまり、我々の首を……」
「違う」
これも、ユウは即座に否定できた。
「あの人は、そんな人じゃない。誰かにやるくらいなら自分のものにする。物じゃないなら、俺たちの内の誰かを狙ってるんだ」
「フム……なるほど」
「モチ……」
「ええ、わかります。確かに、その方が彼らしい。自分の才能や、たくましさを誇示する、というのも、気を引くために雄がよく使う手です。しかし、そうなると……」
ハサンが狙っている獲物とは……。
「ララ?」
「ホ! まさか、あなたと、さや当てを? ホ、ホホ! ホ、ホ!」
珍しく、モチが馬鹿笑いした。
「いやいや、なるほど。それこそ彼のやりそうなことです。袂を分かった弟子の、恋人にちょっかいを……ホ、ホホ!」
「だから、ララとはそんなんじゃない!」
ユウは腰をひねって雪玉を投げつけたが、見事に、あらぬ方向へ飛んでいってしまった。
「ホ、ホウ」
「いい加減にしろ!」
と、今度は当たるかと思われた二投目も、ひょいと飛び上がったモチの尾羽をかすめ、遠く、街灯のあたりまで行ってしまう。
「くそ!」
「ホウ、ホウ」
そこへちょうど白馬亭から出てきたほろ酔いの湯治客らが、大きな白フクロウへ、がむしゃらに雪玉を投げ続ける青年に目をとめ、
「見ろ、馬鹿なことしてらぁ」
笑いながら、宿へ戻っていった。
結局、雪玉は一発も当たらなかった。
「……くそ」
「いや、しかしこれで、わかりました」
息が上がって、降参してしまったユウのそばへ降りてきたモチは、まだ笑い声である。
「真相はどうであれ、あなたが言うのです。ハサンが帝国と通じている可能性は少ない。それで十分です」
「……不安は?」
「ええ、消えることでしょう」
「え?」
「いえ、消えました」
モチは、それまで語った不安や疑問が、すべてアレサンドロのものであった、などと、ユウに言うつもりはない。
「これで、彼も外へ目を向けることができる」
くちばしの中で、そうつぶやくと、
「さ、戻りましょう。いまのうちに、少し寝ておいたほうがいい」
「……そうだな」
ふたりは帰途に着いた。
ここで整理しておくと……。
オルカーン攻略組は、ユウ、アレサンドロ、モチ、テリー、そしてジョーブレイカーとクジャク。
マンムート待機組は、ハサン、ララ、セレン、メイ。
と、なっている。
それぞれに与えられた役割があり、そこにわずかでも狂いが生じれば、まず、面倒なことが持ち上がるのは間違いない。
深夜をすぎ、酒場で軽く酒を入れたオルカーン攻略組は、ぶらぶらと酔い覚ましの態を装いながら、ドーザ南北を貫く小さな流れへ近づき、
「よし、行くぜ」
アレサンドロを先頭に、石橋の欄干から飛び降りた。
川面は、すでに硬く凍りついている。
橋げたのかげには荷物とともに先発したジョーブレイカーが待っており、ユウたちの姿を確認するや、足もとのカムフラージュシートを取り去った。
そこに、ぽっかりと開いた横穴こそ、地下水道への侵入口である。
ただし、当初予定していた下水の出口ではなく、大雨や不測の事態により、水が一定量を超えてしまった場合にもちいられる、水抜き用の水道管だ。
覆っていた金網はジョーブレイカーによってはずされ、いまはもう、侵入を待つばかりとなっていた。
「ここを抜ければ、下水の天井に出る。だが、抜けたが最後、後戻りはできん。足がかりもなく、真下にはトラップが仕掛けられている」
「それは……?」
「警報器だ。ある程度の圧力を感知し、砦へ通報する。飛び降りる際も真下は避けることだ」
クジャクとかわしたその先夜の打ち合わせどおり。無言のままうなずきあった六人は、順次、身体を押しこむようにして、せまい土管へともぐりこんでいく。
最後は、わずかばかりのへりにぶら下がり、前後へ身体を振って飛び降りると、むっとする暖気が身体を押し包んだ。
地下水道の幅は、目測で十メートル弱。トラマル城塞内で処理をほどこされているため、生臭さはあるが、悪臭というほどでもない。
アーチ状の石組みには等間隔で光石がはめこまれており、薄ぼんやりとしたその明かりが、ゆるいカーブと傾斜を描きながら、遠く彼方まで続いている。
ユウたち六人は、まず両わきに敷かれた歩道の上へ荷物を広げ、最後の身支度を整えた。
「ユウ、足はどうだ?」
「ああ、いける」
痛み止めが効いている。
「なら、そいつを頼むぜ」
ユウは、パラシュートを固定するための機材など、一式をまかされた。
パラシュート本体はアレサンドロが背負い、
「クジャクのあとを、ユウ、俺、テリー。ジョーは、しんがりを頼む」
「承知した」
「テリー」
「わかってるよ」
ここまできたらやるしかないでしょ、と、テリーは銃床を叩いてみせる。
「私はどうしましょう」
モチが言うのへ、
「クジャク、頼めるか」
「いいだろう」
土管を通すため分解していた鉄棍を、慣れた手つきで組みなおしたクジャクが、その腹羽をくすぐり、抱き上げた。
「おそれいります」
「フ、フ」
このふたりはどちらも鳥類だけに、どこか通じ合うところがあるようだ。
「……行くぞ」
鉄棍を振ったクジャクが、トラマル攻略の第一歩目を踏み出した。




