ミミズのじいさん
ハッチを出たアレサンドロとテリーがマンムートの鼻先へまわってみると、煌々と照らす前照灯の明かりの中、確かに老人がひとり、坑道の土壁に背をもたれて座っていた。
わきにつるはしを立てかけて、生えるにまかせたひげも、節くれ立った手も、全体的に黒くよごれている。まさに、鉱夫のひと休み、といったふうである。
老人は間近にせまった巨大戦車にも興味がないようで、驚くでも避けるでもなく、ただまぶしげに、くたびれた、つばのない帽子を目もとまでずり下げていた。
「こんちは、おじいちゃん」
老人の答えは、一拍遅れて返ってきた。
「……はァ」
「おじいちゃんは、ここの鉱夫さん?」
「……はァ?」
「鉱夫さん?」
「いやァ、鉱夫はァ……もう、おらん」
……どうも話が食い違っているようだ。
耳が悪いのか、それにしても間延びした、もどかしくなるほどの語り口である。
だが、生来気が長く、人のいいテリーは、それを気にすることもなく若干声のトーンを上げた。
「じゃあ、おじいちゃんはなにしてるわけ」
「……」
「……」
「……はァて」
「……ま、いいや。とりあえず……って、ちょっとちょっと、おじいちゃん! どこ行くの!」
テリーが驚き叫んだのは、よいしょと立ち上がった老人が、これまた、のたりのたりとした足取りで、なんとマンムートの方向へと歩きはじめたからだ。
「おい、じいさん」
アレサンドロは肩をつかんだが年寄りだけに手荒にはできず、老人もまたそれを気にしない様子で、マンムートの下をくぐっていく。
L・J用ハッチから中をのぞきこみ、
「……はや」
老人は、空気の抜けるような声を出した。
その色素の薄い瞳が見たもの。それは言うまでもなく、N・Sカラスである。
「足かァ……」
と、つぶやいた老人の目はまたしても帽子の下に隠れ、
「治しはァ……ジャッカルに頼んだほうがァ、ええ。わしァ……駄目だ」
アレサンドロは、とぼとぼ帰ろうとするその前にすべりこむようにして、進路をふさいだ。
「ジャッカル、ジャッカルと言ったな。あんたも魔人か?」
「……はァて」
「ごまかさなくていい。俺は敵じゃねえんだ。……ほら」
と、左のそでをまくり、赤い三日月の入れ墨を示す。
テリーが、あっ、と声を上げたが、構うものではない。
だが老人はその上をなで、
「……だから、来なすったんじゃァ、ないのかね」
と、逆に聞いた。
「ここじゃァ、ないが……ちょと前までは、よう来た。あんたと同じ、三日月のォ、お人が……」
「……ああ」
「魔人さん、頼む。掘ってくれェ、打ってくれェ、と。あんたも……ほうじゃァ、ないのかね」
そこに、テリーが割りこんできた。
「掘るって、なにを?」
「おい、テリー」
「いいからいいから。ね、おじいちゃん、なにを掘るの」
「……そこにも、転がっとる」
「光石? じゃあ、打つってのは?」
老人は帽子の中に手を差しこみ、頭をひとしきりかいたあと、
「……いろいろォ、打った。巨人の心臓やらァ、なんやら……」
「光炉か! 要するに、おじいちゃんは魔人の技術者だったってわけだ」
「……ほうか、なァ」
老人は小さく首をかしげた。
「そうだ、おじいちゃん。あの戦車の格納庫、ちょっとなおせるか見てみてよ」
「テリー、いい加減にしろ」
「なんで?」
「うちにはセレンも嬢ちゃんもいるんだ。まかせとけ」
「でも、穴から出た途端に、ドカン、なんてこともある。なんかいい知恵があるなら貸してもらったほうがいいじゃない」
この男は、時折正論をはくので、あなどれない。
「ね? おじいちゃん」
「……うん」
うなずいた老人は、歩き出した。
しかし、なぜかコクピットハッチを通りすぎ、キャタピラからマンムートの鼻先に抜け、立ち止まる。
おいでおいでと手を振ったのは、ブリッジに向けてだ。
そして、また歩きはじめる。
「……テリー、おまえはブリッジに戻って、あのじいさんについていくように言え」
「旦那は?」
「じいさんと歩く」
「……あいよ」
テリーはアレサンドロの肩を二度叩き、マンムートへと戻っていった。
それからしばらくは、じれったいほどの時間がかかった。
老人の歩みは、やはり、のろい。
アレサンドロはともかくそれに合わせるマンムートは、一寸進んでは止まり、一寸進んでは止まりのくり返し。
さぞやセレンは、いらだちをつのらせたことだろう。
……と、思いきや。
セレンは、同じくブリッジにいたハサンと独自の機械論などをかわしながら、飽きることなく舵を握っていたらしい。
機械好きとはそういうものだ。
「じいさん、名は?」
「……はァて……知らん」
「知らん?」
「あんたらは、ミミズのじいさんとォ、呼んどった。じゃが、わしァ……知らん。魔人かどうかも、わからん」
アレサンドロは驚きあきれた。
一般的に魔人は、肉体的に成熟した生物のみが変異する。
そのため魔人となった時点で、別次元の存在に変化した、と気づくものだと聞かされていたからだ。
「先生……ジャッカルは、なんて?」
「はァて……ミミズの気持ちがわかりゃァ、ほうじゃろうと」
「わかるのか?」
「……わからん」
「うん?」
「あんなもんに、どんだけェ、考える頭がある。考える頭のないもんのォ……考えることが、なんでェ、わかる」
「そりゃあ……まあな」
「じゃが……考える頭がないとォ、わかる。それが……わかっとる、いうこと、らしい」
「……まるで問答だ」
「……ほうじゃァのう」
だが、少なくとも魔人であることは間違いなさそうだ。
さらに話を聞いてみると、ジャッカルの変異の瞬間にも立ち会った、というのである。
アレサンドロが耳にしている中でも、ジャッカルは最も古くから存在する魔人のひとりで、その歳は、ゆうに二千を越える。
「……ほうかァ」
ミミズのじいさんは、自分のことに関して、さして興味もなさそうだった。