怒涛
通路は徐々にのぼり坂となり、前方から吹きこんでくる風にも、新鮮な外気が感じられるようになった。
地上が近い。走る足にも、自然と意気が増す。
しかし、四つ角の交差点を前にして、
「人が、近づいています……!」
ディアナの声が、震えた。
「すべての道に……すぐ、近くに……!」
足を止めたユウとクローゼは周囲を見まわしたが、
「……くそ」
逃げ道はない。右の壁に、扉がひとつあるばかりだ。
「ご安心ください。活路は我々が……」
と、剣を抜きかけるクローゼを制して扉の内をうかがうと、それは粗末な武器庫であった。
「立てこもるのは危険だ。一点突破しよう」
クローゼは訴えたが、ユウはひとりうなずき、ふたりを部屋へ押しこめる。
「失礼します」
ディアナの上衣を脱がせると、クローゼの顔つきは、一層、怪訝なものとなった。
「ユウ……?」
「俺がやつらを引きつける」
「なッ……!」
「クローゼは、大祭主様のことだけを考えろ」
「馬鹿! ここまで来て、君だけを置いていけるものか!」
「駄目だ」
「駄目は君だ!」
「クローゼ!」
クローゼの肩が、びくり、跳ねた。
「……俺は心配ない。上手く逃げられたら、仲間を連れて、助けに来てくれ」
「ユウ……」
「大祭主様も、将軍を頼みます。ふたりで地上へ」
ディアナは、なにか言いたげに口を開いたが、
「……わかりました。メーテルのご加護を」
と、ユウの額にふれた。
「メイサのご加護を……!」
と、ドアを閉めたユウは、脱がせた神官衣を、あたかも誰かを抱いているように肩にからませて、交差点まで駆け戻る。
ヒッポの手下が現れるのを待ち……。
「いたぞ!」
見つかると同時に、いま来た道を逆走した。
この場合、一点突破を主張したクローゼの判断は正しい。頭数が多いとはいえ、相手は所詮盗賊だ。先手を取ることができれば、勝算は大いにあっただろう。
それがわかっていながら、ユウが、あえて別れることを選んだのには理由がある。
このまま、クローゼの前から姿をくらまし、アレサンドロたちと合流しようと考えているのである。
鉄機兵団の突入までやりすごすことができれば、そのごたごたにまぎれ逃げられるはずだ、と。
別れも告げずに去ることは、つらく、義理を欠く行為とわかっていたが、いまはこれが最もよい方法であるように、ユウには思えた。
だが、そうしている間にも、
「いたぞ! まわりこめ!」
ユウは追い立てられるように、道をくだっていく。地上はどんどん遠くなる。
石段を飛び降り、飛びくる槍を頭上にかわし、
「くそっ!」
突き当たりの扉を押し開けた先へ転がりこむと、そこには。
「L・J……?」
作業台に固定された、見たこともないL・Jが、ずらり並んでいたのである。
二足歩行のトカゲのようで、完全人型の多い鉄機兵団のL・Jに比べると、異形といっていい。
実は、海を越えた南の大国、シュワブのL・Jなのだが、ユウはそれを知らない。
荒事の多いヒッポ一家だけに、こうしたものも必要になるのか。それにしては物々しい数だった。
……と。
「うっ!」
つい目を奪われていたユウの背に、何者かからの蹴りが入れられた。
「手ぇかけさせやがってぇ……」
扉から、列をなして現れた手下どもは、二十を越えている。
しまった、と、ユウの左手も鯉口にかかったが、多勢に無勢。
「あ! こいつ!」
いまごろ気づいたか、肩にかかった空の神官衣をはぎ取られ、後頭部を殴られた。
倒れこんだ、その頭を踏みつけたのは、ヒッポの足だった。
「お頭……」
手下から神官衣を渡されたヒッポは、平静を装いながらも、蝋で固めたひげ先を震わせ、
「立たせろ」
と、命令する。
ユウはすぐさま羽交い締めにされ、両足を、左右からふたりの男につかまれた。
ヒッポの腕が持ち上がり、ユウの頬へ、一発。
さらに、逆側から一発。
「ハサンめ! ハサンめ、ハサンめ!」
ユウの唇から血がしたたり落ち、胸もとへシミを作る。
駆けこんできた手下が、ヒッポへなにか耳打ちすると、さらに、その顔色が赤黒く変わった。
低くうなったヒッポは、手下の手から細身のナイフを取り上げ、
「ぬぅぅうんッ!」
ユウの左太腿へ、深く深く、突き立てた。
「あ……ぐ!」
「貴様だけは、許さん……!」
「づッ……ぐ、ぅ、ぅ……ッ!」
凶暴さをあらわにしたヒッポの手の中で、骨に当たったナイフが、きつくきつく、えぐられる。
ユウは歯を食いしばり、悲鳴を噛み殺した。
「……ここは捨てる。支度をしろ!」
ヒッポが告げると、ユウを羽交い締めにする男を残し、手下は各々散っていった。
「こいつはどうします?」
「見せしめだ。目玉と指十本、ハサンに送りつけてやれ。そのあとで……」
首を締める仕草をしてみせる。
「へ、へへ、承知」
そのときだった。
こぐように駆け戻ってきたひとりの手下が、
「て、鉄機兵団です!」
叫んだのだ。
「なにぃ? 早すぎる!」
「い、いえ、本当なんで! 入り口を全部固められてたみたいで!」
「町にいた連中はどうした! 鉄機兵団の見張りは!」
「さ、さあ……捕まったんじゃあ……」
ヒッポの喉奥から、獣のごとき、うなり声がもれた。
「全員呼び戻せ! L・Jで出るぞ!」
……してやったりだ。
ユウは、わき出る笑いをこらえきれなかった。
驚くほど上手く、事が運んでいる。
「首が絞まるのはおまえのほうだ! ヒッポ!」
「うるさい! 黙れ!」
「黙るのも、おまえだ!」
叫ぶや否や、ユウは床を蹴り上げ、ヒッポの顔面を蹴った勢いで、背後で羽交い締めする男の頭上を飛び越えた。
着地の際、左足に激痛が走ったが、構ってはいられない。
刺さったままのナイフを引き抜き、
「野郎ッ!」
手下のひとりが襲いかかってくるところへ、体当たり同然に突き入れる。
絶叫したその男は、腹を押さえ、転げまわった。
「ヒッポ!」
すでにヒッポは逃げ出している。
「待て!」
駆けつけてくるだろうクローゼのため、せめてヒッポだけでも縛り上げてやろうと思ったユウだったが、引きずる足では追いつけず、あとひと息のところで、目の前の鉄扉が閉まる。
ユウが入ってきた扉ではない。
L・Jベッド横の、おそらく隣の格納庫への扉だ。
「くそっ……!」
あまり時間をかけていると、今度は、自分が逃げる時間がなくなる。
仕方がない。ユウはその扉を放置し、来た扉へ向かうことにした。
しかし。
ヒッポの遠隔操作か、こちらにも電子ロックがかかっていた。
舌打ちしたユウは、壁に埋めこまれた配線盤のカバーをはずした。
ドアの配線を目で追いつつ、ポーチをあさっていると、
「!」
突如鳴り響いたサイレン。そして、赤色灯。
「なんだ……?」
鉄機兵団の侵入を仲間に知らせるものかと思ったが、そうではない。
ゴウンゴウン、と、重機のうねりが格納庫に響き……。
なんと、開放されたL・J出撃用の二重ハッチから、大量の水が押し寄せてきたではないか。
ザリ湖の湖水。
そうユウが認識する一瞬の間に、L・Jと作業台、クレーンが、怒涛となって、ユウへ襲いかかってきた。