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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【二】 逃亡 -ユウの過去編-
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ビジョン

 メーテル神殿、ディアナ大祭主は当年十八歳。

 月女神の神光をその身に宿したといわれる、白髪の聖乙女である。

 顔は青ざめ、乾いた唇はひび割れていたが、意志の強い紫の瞳は、しっかりとした輝きを持って、ユウを見つめている。

 大人びた容姿からつむぎ出された、

「ハイゼンベルグ将軍」

 というあどけなさを残した声に、ユウは、少し驚いた。

「このかたは?」

「は。彼は……メイサ神殿、ヒュー・カウフマン准神官。猊下をお助けするために、協力を頼みました。ご安心ください、信用できる男です」

「そうでしたか、メイサの……。私のために、世話をかけます」

「いえ、とんでもありません」

 頭を下げる大祭主に恐縮し、クローゼ同様ひざまずいたユウも、大祭主への当然の礼として手を取った。

 すると、

「あ、だ、駄目だ、ユウ!」

「え……?」

「あ……!」

 細く、可憐な大祭主の身体がビクリと跳ね、大きくのけぞったものである。

「だ、大祭主様……?」

 固くふせられた目蓋が痙攣し、左手が、蚊を払うように振りまわされる。

 強烈な力でつかまれているのは、ユウの手ではない。

 N・Sカラスがおさめられた、指輪。

「大祭主様……!」

「ふれるな!」

 手を伸ばしかけたユウを、クローゼが制した。

「過去か、未来か。君のその指輪にまつわる、なにかを見ておられるのだ」

「なに……?」

 手のひらを通して、千里の先も、万象の真理をも見通すという、異能の力。

 世間には公表されていないが、この力こそが、歳若いディアナを大祭主たらしめたのだ。

「普段は封印のため、常に手袋をされているのだが……」

 それはいま、テーブルの上にある。

 水差しと水を張った洗面器が置かれているところを見ると、顔でも洗っていたのだろう。

「どうすれば」

「いまは、落ち着かれるのを待つしかない」

 ユウは戸惑いながらも、うなずくしかなかった。

 そうして、いくばくかの緊張の時間が流れ……。

 ディアナは突然、胸もとを苦しげにつかみ、

「ぁ、う……!」

 と、ゆらり、揺らめいた。

「大祭主様!」

 倒れこんできた身体を、ユウは胸へと抱き止める。

 見開かれた目が虚空を泳ぎ、焦点を定めるまでには、また、しばらくの時が必要だった。

「……あ……」

 ようやく我を取り戻したディアナの額には、汗が光っている。

 荒い息づかいで指輪から右手を離し、

「ごめん、なさい……」

「いえ……」

「……手袋を……」

 ディアナはクローゼから手袋を受け取り、指を通した。

「大祭主様、なにが……」

 見えたのか、と、たずねかけた言葉を呑みこんだのは、腕の中のディアナが、ユウの唇をふさぐように手をかざしたからだ。

 見つめ合う視線の内で、ディアナがN・Sに関するなにかを見たらしいことを、ユウは直感した。

 そのときである。

「見張りがいねぇ!」

 ドアの外で、何者かが叫んだ。

 戸板が叩かれ、ガチャガチャとドアノブが揺れる。

「鍵ぁかかってる!」

「中、確かめろ!」

「お頭に鍵借りて来い! 他の連中も起こせよ!」

 会話を拾っただけでも、声の主は六人。

 そのうちひとりが、ヒッポのもとへ走ったようだ。

「くそっ……! すまない。俺がもっと、気をつけていればよかった」

 ユウは無駄にした時間をくやみ、舌打ちした。

「いいえ、私の不注意です。手袋さえしていれば……」

「猊下、責任の所在はあとにしましょう。まずは逃げなければ。ユウも、しっかりしてくれ」

「……ああ」

 とはいえ、どうしたものか。

 部屋の出入り口は一カ所しかない。隠れられそうな場所も皆無だ。

 つまり、こちらから出ていくか、押しこんでくるのを待つかの、二択。

 どちらにしても、リスクがある。

 頭をかかえたユウが、はた、と思い出した言葉は……。

「……とにかく、動け」

「うん? なに?」

「悩んだときには、とにかく動けだ!」

 ユウは自分に言い聞かせ、ポーチをあさり、手持ちの道具を確認した。

「よし……!」

 床へ耳を当てると、ヒッポはまだ来ていない。

「すぐにここから出よう」

 ディアナとクローゼにいくつか指示を出し、ユウはつかんだ水差しを、力まかせに、床へ叩きつけた。

 磁器の水差しである。

 もちろん粉々に砕け、高音の、けたたましい音が響く。

「あ! おい! やっぱりここにいやがる!」

 ドアの前に集まった五人の手下は鍵を持っておらず、狙いどおり、扉への体当たりをはじめた。

「しまった!」

 などと、わざとらしく叫びつつ、ユウは、ディアナとクローゼをドアの真横へ導く。

 気づかれないよう、そっと鍵を開け、体当たりの振動に合わせて、一気にノブをまわすと、

「うわあっ!」

 支えを失った手下五人は、将棋倒しに部屋へなだれこみ、床へ積み重なってしまった。

「行こう!」

 その山を飛び越え、三人は廊下へ飛び出した。


「右から、人が」

 と言えば、ヒッポの手下が右から顔を出す。

「止まって」

 と、立ち止まれば、間一髪、大人数が先の通路を横切っていく。

 クローゼの胸に抱きかかえられながら、手袋をはずした右手を前方にかざしているディアナ。そこからもたらされるヒッポたちの動きと出口への道順の情報は、実に正確を極めている。

「おつらくはありませんか、猊下」

「直接ふれているわけではありませんから……。それよりも、将軍に申し訳なくて……」

「いえ、軽いものです」

 床へ積み重なった男たちの醜態を見て、少し溜飲を下げたらしいクローゼは、元気一杯そう答えた。

 だが……。

 いかなディアナの力であっても、相手の数が減るわけではない。

 ヒッポ一家は大所帯。ユウが噂として聞いただけでも、確か四十人近くはいたはずだ。

 敵をかわせばかわすほど、背後から来る足音の数が増えていく。

 長い直線通路で振り返ると、十数人の追っ手が、血走った目でせまっていた。

「振り返るな! 走れ!」

「あ、ユウ!」

 ユウはパッと身を返し、二メートルほどの幅のせまい通路に立ちふさがった。

「上等だぁ!」

「ぶっ殺せ!」

 ユウはポーチからあの発光筒を引き抜き、素早く狙いを定め、紐を引いた。

 鈍い発射音とともに飛び出した閃光弾は、

「ぎゃ!」

 先頭を走る男の鼻柱に直撃する。

 そして、破裂音。

「うわ!」

「うぎゃあ!」

 強烈な閃光に、男たちの目がつぶれた。

 前方を走っていた数人は、飛び散ったクルミの破片を、もろに浴びたらしい。

 両手で押さえた顔面から、血がしたたっているのが見える。

 すぐに方向転換して走り出したユウのあとを、追える者はいなかった。

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