目蓋の記憶
「どこから、話せばいいんだろうな……」
ユウの言葉に、クローゼは不快の色も表さず、そうだな、と首をひねった。
「君の父上は、メイサの神官だった。その父上が亡くなられて、君は盗賊に拾われた」
「ああ」
「亡くなられたのは、いつ?」
「……十五年前」
「あ……では、魔人に……」
「いや、違う。……みんな……」
「みんな?」
「騎士に殺されたんだ……」
壁の向こうで、クローゼがうなった。
「それはつまり……」
と、口ごもり、
「その……魔人の、奴隷だった、ということだろうか」
「そうじゃない。そうじゃないのに、あいつらが来て……!」
「ユウ、ユウ、落ち着いてくれ。落ち着いて、なにがあったのか、順を追って話してくれ」
「ああ……そうだな。すまない」
目をふせたユウの、痙攣する目蓋の奥に、あのころの幻が、陽炎のように浮き上がってきた。
ユウたち家族が暮らしていたのは、針葉樹林にかこまれた、北部領のとある村だった。
特別な産業もなく、山間の、猫の額ほどの土地を切り開き、小さな畑で自給自足に近い生活を送る。地図にもないような村である。
そこの唯一の神殿、ただひとりの神官であったのがユウの父で、いま思うと、同時に村の相談役のようなこともしていたのではないだろうか。人の出入りが多かった。
そして、ユウにはまた、ふたりの兄弟がいた。
九つ違いの姉セイラと、みっつ違いの兄ダニエル。
どちらも明朗快活で、神殿横にあったユウの家は、いつも笑い声に包まれていた。
「母上は……?」
「覚えていない。物心ついたときには、もう姉さんが母親がわりで、炊事も洗濯も、全部やってた。……もしかしたら、俺たちはみんな……孤児、だったのかもしれない」
神殿が、親のない子を預かる、というのは、なにも珍しいことではない。
だが、いまとなってはそれを確かめるすべもないのである。
その平和な家庭、平凡な村に異変が起こったのは、十五年前。
まさに、魔人との戦が山場を迎えたころだった。
「騎士の一団が突然村にやってきて、兵糧を差し出せと言ってきた」
これも当時は、どの村でも経験したことだ。
「でも、その年は不作で、自分たちが食べる分だけでも精一杯だった。それを団長らしい貴族に伝えにいった父さんが、なにか口論になって……まず、殺された」
クローゼの、大きく息を吸いこむ音が、ユウの耳にまで伝わってきた。
「飛び出した姉さんも、兄さんも、村の人も、みんな死んだ。全部奪われて、全部焼かれた」
「……なぜ……」
「口封じに決まってる。証拠を消してしまえば……あとは、どうとでも言えるんだ」
「そんなわけがない!」
「……実際、国が出してる資料でも、あの村は魔人にやられた、そうなってた」
「!」
「でも……」
腿の上に置かれたユウの手が、ギチ、と、握りこまれ、
「でも……俺は見てた!」
鈍い音が響き、壁を打った拳が、再び持ち上がった。
「あいつらのやったことを、全部見てた! 全部! 全部!」
幾度殴りつけても、石積みの壁はびくともしない。
皮が破れ、血があふれたが、そんなことはどうでもよかった。
痛みも感じなかった。
「全部! 全部だ!」
「ユウ! もういい! やめるんだ!」
クローゼが鉄格子に飛びつき、叫ぶ。
と、同時に。
くずおれたユウの目から、涙があふれ出した。
「俺は……見ていることしかできなかった……!」
「……仕方ない。君は……まだ子どもだったのだろう?」
そんなことは関係ない。
嗚咽をもらしながら、ユウは、強くかぶりを振った。
と、そのときだ。
「……あ」
血にぬれた自身の手に目をやったユウの脳裏に、忘れていた記憶の断片が、不意に思い出されたのである。
「……違う」
「ユウ……?」
「俺はあのとき、団長の貴族に……つかみかかった……」
「なんだって?」
「あいつの左目を傷つけて、斬られた……! ああ……確かに斬られた……!」
「そんな馬鹿な! それならば君は、その、生きているはずが……」
「いや、でも傷は……たいしたことがなくて……気づいたら、あいつらはもう……いなかった」
必死に、記憶の糸を手繰る。
「そうだ、あのとき手についてた血は、俺のだった。ずっと……姉さんのだと思ってた」
漠然とした一瞬一瞬の光景が、閃光とともにユウの目蓋を走る中、最後に思い出されたのは……、
「黒い、雪……?」
「なに? いま、なんと……?」
「痛ッ……う……ぅ!」
激しい頭痛で、記憶は断ち消えた。
「ユウ! 大丈夫か? ユウ?」
「……なぜだ。どうして俺は、こんな大事なことを忘れてた……」
「ユウ。幼少時の危機的状況における記憶は、混乱しやすく、閉じこめやすいと聞いたことがある。無理に思い出すことはない」
「あ、ぁ……」
「それよりも……そうだ、君はそのあと、ハサンに出会ったのだろう?」
「……ああ……会った」
精神的な疲労で力はないが、それでも落ち着いた様子の声に、クローゼは胸をなでおろした。
つとめて声を明るく作り、
「どのような男なのだ?」
ユウは頭痛を追い出すように、額を叩いた。
「……はじめて会ったとき、俺は……家族の墓を掘ってた」
「では、君の村にハサンが来たのか」
「ああ……。あの人は、俺の手を取って、頭を、なでてくれた。そして……妙なことを言ったんだ」
「妙なこと?」
「……『そうか、おまえが約束の子か』……」
「どういう意味だ?」
「わからない。聞いても、はぐらかすばかりで……なにも教えてくれない」
「ふぅむ。まるで、父上から君を預かる予定だった、とでもいうような口ぶりだな……」
「……わからない。とにかく、あの人は、墓を掘るのを手伝ってくれた。それからずっと、育ててくれた」
「そう、か……」
そこでヒッポの手下が食事を運んできたため、話は打ち切りになった。
黙然と食事をすませ、器を返す。
どこまでも落ち着いた様子のふたりが気に入らなかったのか。手下は不満げに舌を打ち、戻っていった。
その足跡も遠くなり……、
「……ユウ」
クローゼが再び、口を開いた。
食事中なにを思ったのか、打って変わって、思い詰めた声音である。
「君の意思とは……そわないかもしれないが……」
「なんだ……」
「左目に傷のある、北部の地方貴族、私も探ってみる」
「……探って、どうする」
「捕らえる」
「やめてくれ」
平民による貴族への仇討ちは、帝国法で固く禁じられている。そんなことをされれば、なおさら、仇討ちの機会を失ってしまうだろう。
ハサンの手を離れてからこちら、それどころではなくなっているが、ユウはまだ、あきらめたわけではないのである。
「すまない。だが、同じ騎士として、私はその男が許せないのだ」
「……」
「戦時中のこととはいえ、そのおこないは帝国騎士の恥だ。探し出し、必ず事実を証言させる。一級軍議にかけてでも処罰する」
「……勝手にしろ」
「だが、もし……!」
「?」
「もし仮に、君が先にその男を見つけ出し、仇を討ったとしても、なんら罪に問うものではない。資料がどうであろうと、罪を証明する明確な証しがなかろうと、君が平民だろうと、相手が貴族だろうと、帝国将軍、カール・クローゼ・ハイゼンベルグがそれを保証する」
「……」
「それで……許してもらえるだろうか」
ユウは、とっさに言葉が出なかった。
鉄機兵団より先に見つけ出すことができるか、それはわからない。
仇を目の前にすれば、罰などおそれるものでもないだろう。
だがしかし、将軍であるクローゼの、その心がうれしかった。
思えば、そもそもクローゼは、自分のかわりに、あの男の罪を明らかにすると言ってくれているのである。
「……ありがとう」
それしか、言葉は出なかった。
「礼は、君が仇を討てたと思えたときに。私も、そう思ってもらえるよう努力する」
「ああ。……ハハ、おかしいな。なんだか今日は、泣いてばかりだ……」
「あ、確かに、涙が出るときというのは重なるな。……私も、泣けてきた」
「どうして、おまえまで泣くんだ」
「いいだろう。一緒に、泣かせてくれ」
ふたりはしばらく、泣き笑いに、泣いた。