斥候
「よし、ここからは三人で行こう」
ザリ湖南岸の宿場町で、クローゼは言った。
街道はこの町から、東まわりに湖を迂回し、北へ向かう。
ヒッポの隠れ家は、湖の西岸だ。
道なき道を進むことになるため、人目につく大人数での行動は避けたほうがよい、と、バレンタイン紋章官が進言したのを受けての発言であった。
「私とアルバート、そしてカウフマンだ」
「いいえ、閣下。斥候ならば自分とカウフマン君、あと、気のきいた者数名で行けば十分です。閣下はここで、帝都からの連絡を待ってください」
「いや、私も行く。大祭主様が危険な状況におられるのだ。私だけがなまけるわけにはいかない」
「誰も、なまけているなどとは言いません」
「私の魂が言う」
バレンタインは言葉を失った。
「連絡を受け取る者が必要なら、アルバート、君が残ってくれ」
「できません。自分は紋章官です。閣下を守る義務があります。……わかりました。三人で行きましょう」
こういうかたなのだ、と、とりあえずの拠点とした宿を出るとき、バレンタインは苦笑まじりにユウへ耳打ちした。
外は、すでに陽が落ちかけている。
「気温も下がる。出発は早朝だ」
バレンタインはユウの肩を叩き、待機する騎士たちに今後の予定を伝えにいった。
今夜は、フクロウの伝令は来ないようだった。
翌早朝。
息も凍るような寒さの中を、ユウとクローゼ、バレンタインは出発した。
街道をはずれ、草木の中を進む。全員が徒歩である。
隠れ家への道すじは、昨夜、ベッドの中で何度も確認し、地図はもう、焼き捨ててあった。
「閣下、手を」
「そうやって、すぐ子どもあつかいをする」
性格か、どうも隠密行動に向いていないふたりの前をユウが先行し、足を止め、気配をうかがっている間に追いついてきたところを、また進む。
思いのほか時間はかかったが、三人は無事、ヒッポの隠れ家へと到着した。
「……滝、ですね」
バレンタインの言うとおり、見た目は滝である。
山の湧水が、十数メートルの高さを、とうとうと落ちている。
この滝つぼの、向かって左横にせり出した大岩のかげに、入り口が隠されているのだ。
「見張るとすれば、このあたりでしょう。少し距離がありますが……」
「うむ」
「あの隠れ家に、他の出口は?」
「ある、と思います。逃げ道は必ず、いくつか」
「道理だな……」
バレンタインは紋章官らしく、周囲のうっそうとした景色に目を走らせ、うなずいた。
「とにかく、今日はここまでにしましょう。あとは手勢がそろってからのことです」
「そうだな」
三人は腰を上げ、いま来た道を戻ろうとした。と、そのときであった。
数人の足音が滝のほうより聞こえ、
「おい、帝都の腰抜け騎士ども!」
呼びつける声がしたのである。
とっさに身を隠し、振り向けば、三人の男とひとりの娘が、隠れ家の入り口へ姿を見せたところだった。
「あ……!」
「大祭主様です、閣下……!」
「ヒッポ……!」
「なに、どれだ……!」
「左端。ひげの……」
つまり、盗賊ヒッポが、ふたりの手下とともに大祭主を引き連れ、姿を現したのである。
かっぷくもよく、黙っていれば貴族のようにも見えるヒッポだが、実際は追いはぎ同然の、血生臭い盗みばかりする男だ。
白の神官衣に身を包んだ、歳若いディアナ大祭主は、猿ぐつわを噛まされ、喉元には刃が突きつけられていた。
「おまえたちが来るのはわかっていた! おとなしく武器を捨て、出てこい! さもないと……」
大祭主の、くぐもったうめき声が響き、
「やめろ!」
クローゼが叫んだ。
「くそ、どこで情報がもれたのだ……」
「いまは、そのようなことを言っているときでは……。閣下は、カウフマン君と町へ引き返してください。ここは自分が引き受けます」
「いや、戻るのは君だ、アルバート」
「閣下!」
「聞くんだ。捕らえたのが将軍だとわかれば、他のひとりやふたり、どうでもいいと思うだろう? いまは安全に町へ戻り、君が、本隊を指揮してくれ。大丈夫だ! やつは私を殺しはしない」
「クローゼ……閣下」
「……頼むぞ」
と、クローゼが進み出た。
そして……ユウもである。
バレンタインは、あっ、と身を乗り出しかけたが、言葉を呑んで一礼し、そのまま駆け去った。
「馬鹿、どうして君まで……!」
「やつも馬鹿じゃない。ひとりでここまで来るような男を、将軍とは思いません」
「む……そ、そうか」
ユウとクローゼは、剣を捨てた。
「貴様、確かハサンの弟子だな。やつもとうとう、狗に成り下がって小銭を稼ぐようになったか。この、恥知らずめ!」
ヒッポは、縛り上げたユウの面上へ、激しく、つばを吐きかけた。
「……で、騎士様は……」
「……カール・クローゼ・ハイゼンベルグ」
「なに……?」
ヒッポの顔色が変わった。
やはりいぶかしげにクローゼをながめまわし、手下を呼び寄せ、なにやら耳打ちしている。
「ほぉう、自ら……それは結構ですな、将軍閣下」
とりあえずもそう言ったヒッポの、その卑しい笑みに、ディアナ大祭主は眉をひそめた。
「丁重におもてなししてやれ」
人質となった三人は、隠れ家へと引き立てられていった。
さて……。
その様子をかげから見ていた、ふたりがいる。
アレサンドロと、ハサンだ。
こちらも、つかず離れず、クローゼ軍のあとを馬車で追いかけ、同じザリ湖南岸の町に宿泊。ふたりだけは、その夜も遅いうちから、ここで待機していたのである。
「フフン、相変わらず、つまらん盗みをする男だ。芸がない。脅し文句も陳腐そのもの」
ハサンは、せせら笑った。
「どうでもいいぜ、そんなことは」
「あの若造は愚かだが、なかなか賢いな。紋章官を逃がしたあたりなぞ……」
「おい、オッサン」
「そう急くな。将軍も言っていただろう? 金の種を殺すことはない」
「ユウは」
「同じく金の種だ。私から強請り取るためのな」
「……で、どうする?」
「どうとは?」
「あんたにつなぎが行くまで、のんびり構えてろってのか」
「ではなにか? 弟子が申し訳ございませんでした、返していただけませんかと頼みにいけとでも? フン、馬鹿馬鹿しい」
押し黙ったアレサンドロを鼻で笑ったハサンは、持ちこんだ防寒用の毛布や酒瓶には目もくれず、バレンタインの走り去った道を戻りはじめた。
「お、おい!」
急いで荷物をかき集め、アレサンドロもそのあとを追う。
「だったら、俺たちが助けにいくしかねえだろ!」
「アーレサンドロー。失望させるな、おまえらしくもない」
ハサンは振り上げた指を、アレサンドロの鼻先に突きつけた。
「なんのために鉄機兵団が来ている。やつらにやらせておけ」
「あいつらには……なにもできやしねえさ」
「だからこそだ。だからこそ、こちらの手のひらで動かしてやろうと言っている」
「……」
「まずは、街にいるヒッポの手下が、鉄機兵団の動向を見張っていることを知らせてやろう。その上で、あの隠れ家のすべての出入り口、人数、そして本隊はまだ動かすなと忠告をする」
「なぜだ?」
「おお、まったくどうかしているぞ、アレサンドロ。ユウとカール・クローゼ、当然、脱出を図る。その前に動かれては迷惑だからだ」
「……なるほど、な」
確かに、窮地におちいった小悪党のすることは、目に見えている。
「つまり……俺たちは、ユウが逃げたあとのフォローだけをしてやりゃあいい、ってわけか……」
「そうだ。コソ泥の後始末こそ、鉄機兵団にまかせればいい」
「ユウが逃げられなかったら」
「痩せても枯れても、このハサンの弟子だ。あれは逃げる」
「……ハ」
アレサンドロは笑った。
「なんだかんだで、あんた結構、あいつのこと特別あつかいしてるぜ」
すると……。
「……かもしれんな。なにしろあれは……私とカラスの子だ」
アレサンドロの手から、荷物がこぼれ落ちた。
「おお、勘違いするなよ、アレサンドロ。私とカラスは手をふれ合わせたこともない、清い関係だった。そんな妄想が生まれる程度には思っている、ということだ」
「あ……あ、あんた! そりゃ本気で趣味悪ぃぜ? おい!」
「ンッフフフ、顔が真っ青だぞ? そら、早く歩け。我々の足なら、紋章官殿より早く町へ戻れるはずだ」
「おい、待て! ……くそっ! そう言うなら半分ぐらい持てよ!」
「ほう。昨夜のカードのツケ、さっぱり払ってくれるというのなら構わんが?」
「う……」
「働け働け。貧乏人の払いは肉体で、と、昔から相場は決まっている」