おもむくままに
「大祭主猊下!」
その騎士が駆けこんできたのは、ユウが准神官の祝福を授けられているときであった。
薄桃色の甲冑とマント。透きとおるような長い金髪をした顔立ちのいいその青年は、聖砂で描かれた祭紋の上に正座するユウと、陶器の聖杖を捧げ持つ大祭主の姿を目に捉えると、
「あ、こ、これは……失礼を!」
胸に手を当て、ひざまずいた。
カジャディールはそれに構わず、
「ドーム・ノイ・ター・ゼイ・ドゥーン……」
朗々と、神文をとなえ続ける。
「大地の子よ。母のよき恵みが、その身にもたらされんことを」
ユウが聖杖の先に口づけを落とし、儀式は終わった。
これでユウは正式に、メイサ神殿、准神官である。
なるようにすすめたのはカジャディールだが、それを受けたからには、旅の結末がどのようなものになろうとメイサの子として命をまっとうする、その覚悟を決めたことになる。
恥じ入るおこないは、無論、してはならない。
誓う思いで首をたれたユウの頭を、大きな手がなでた。
「位を戒めと思うな、カウフマン」
ユウは、はっと顔を上げた。
「母は等しく、誰のもとにもある。我々はただ種をまき、あとの実りに感謝するのみよ」
「は……」
「心おもむくまま、よいな?」
「……はい……!」
ユウは生涯の忠誠をこめ、大祭主の指先にも唇を押し当てた。
「さて……」
カジャディールは、青年騎士へ向きなおった。
騎士は大汗をかいている。
「ご、ご無礼をいたしました……」
「なに。そなたは、いつものことよ」
閉口する青年を笑ったカジャディールは、羽織った神官衣を脱ぎ、ベッドへ入った。
「して、何用かな? ハイゼンベルグ将軍」
ユウは仰天した。
確かに、大祭主の部屋へ押し入ることのできる騎士など将軍しかいない。
しかし予想もしていなかった事態だっただけに、ユウの指先は震えた。
「は……」
と、将軍、カール・クローゼ・ハイゼンベルグは立ち上がり、
「病に倒れられたと聞き……」
「わざわざ見舞いに来るほど暇でもあるまいに」
「いえ、とある任務を仰せつかりまして、近くまで参りました。するとその……大祭主猊下が……明日をも知れぬ、と……」
「ふ、は、は、は! それで、血相変えて参ったか」
「申し訳ありません。情報部隊の者には、きつく申し伝えておきます」
「なに、よいよい」
「お、おそれいります」
クローゼの言動には、若々しく、素直な人柄があふれている。
こうした将軍もいるのかと、ユウは思った。
帝国や将軍に対して、あまりいい印象を持っていないだけに、それは驚きであった。
「ときに、クローゼ」
「は?」
「任務とは?」
カジャディールが切り出すと、クローゼは口ごもり、
「ですが……」
ユウを見る。
「その者ならば案ずるな。いずれ、わしが手もとに置こうとも思うておる男でな」
「ああ、道理で。いえ、大祭主猊下自ら准神官の位を授けられる姿など、はじめて拝見いたしましたので」
「やれぬわけでなし。常は、やらぬだけよ」
手もとに置くかどうかはともかく、カジャディールは、ユウに少しでも、鉄機兵団に関する情報を与えようとしてくれているのである。
それと察したユウは、クローゼに気づかれぬよう小さく、だが、しっかりと頭を下げた。
「で?」
「は。大祭主猊下にも関わりある一件ではありますが、緘口令がしかれております。よって、これはあくまで、私の一存で申し上げること。どうか他言無用に」
「うむ」
「実は……、メーテル神殿、ディアナ大祭主猊下が、かどわかされました」
「なんと……!」
目をむいたカジャディールのひげが、ふるふると震えた。
無理もない。土女神メイサと月女神メーテルは姉妹神なのだ。
カジャディールとディアナ大祭主の間に、深い交流があったとしても不思議ではない。
「し、して……?」
「要求は一億フォンス。金目当てです。ラッツィンガー、クラウディウス、そして私の軍で捜査を」
「うむ、それで!」
「大祭主様……!」
つかみかかる勢いでクローゼにせまるカジャディールを、ユウは間に入り、静めた。
「犯人の目星は、ある程度まとまっております。それがアシビエムより北、北部領に根城を構える盗賊らしく、こうして我々が調査をまかされたわけです」
「ふむ……ぅ」
「……ハイゼンベルグ将軍」
「なにかな? 准神官殿」
「その、盗賊の名は?」
ユウの問いに、クローゼは怪訝な顔をした。
だが、これは大切なところだ。
ハサンと同じ北部領の盗賊ならば、ユウもよく知っている。
「教えてください。役に、立てるかもしれない」
クローゼは、ユウの真剣な眼差しにうなずき返し、
「ヒッポだ」
はっきりと告げた。
数度会ったことのある名だと、ユウは思った。
さて、どこで会ったのだったか……。
「確か……ザリ湖のそばに……」
隠れ家があったはずだ。
途端、クローゼの顔色が変わった。
「し、知っているのか? ザリ湖! ザリ湖なのだな? ……ザリ湖のどこに!」
と、言われても、説明できる場所に、盗人の隠れ家があるはずがない。
ユウはしばし思い迷ったが、
「案内します」
ついに、言い出た。
「そうしてくれるか、ありがたい! ……だが……なぜ君のような准神官が、それを知っている?」
「クローゼ。そのようなこといまはよい。しかし……よいのかな?」
「構いません」
「うむ……。すまぬな、このとおりよ」
カジャディールは両の手を合わせ、ユウが恐縮するのにも構わず、深く深く、頭をたれた。
すぐに出立したいというクローゼの意向を受け、ユウは宿にも戻らず、馬へまたがった。
クローゼ軍は言葉どおりの少数部隊で、紋章官アルバート・バレンタインを筆頭に十数騎の編成である。
とはいえ戦闘の可能性も視野に入れ、先ほど、本隊とL・Jの出軍許可を帝都へ求めたようだった。
バレンタイン紋章官は二十代後半の、いかにも実直、忠義に篤そうな人物で、ユウが案内に立つことを知らされると、
「それは、よろしく頼む」
と、自ら手を差し出し、握手を求めてきた。
「そういえば、君の名を、まだ聞いていなかったな」
そう、クローゼに問われたユウは、
「……ヒュー・カウフマン」
本名を名乗った。
「カウフマンか。うむ、緊張することはない。君についても、深く詮索しないことを誓おう。とにかく、その隠れ家まで案内してくれ」
ユウはうなずいた。
「よし、行こう!」
カジャディールが横たわるベッドまでは、この遠ざかるひづめの音は、とても聞こえるはずはない。
だが、カジャディールは身を起こすと、
「行ったか」
ぽつり、つぶやいた。
「あの子に、姿をさらしたとな」
ヌッツォはアレサンドロたちの待つ宿へ連絡に向かい、この部屋にはいま、カジャディールひとりだ。
では、ひとりごとか……というと、そうでもない。
窓にかかった厚手のカーテンが大きくはためき、再びたれたときには、その場にひとり、男がひざまずいていた。
あの忍者、ジョーブレイカーであった。
「たわけ。来ておるならば、なぜ知らせぬ」
「……は」
「まあよい。して……どう見た」
「裏におりますは、やはりクラウディウス……」
「そうではない。カウフマンよ」
「……仰せのとおり、優しき男にて……」
「そちの見立てを聞いておる」
ジョーブレイカーは一瞬沈黙し、
「……未熟」
カジャディールは、ぷっと吹き出した。
このふたり、実は主従である。
デローシス近郊で、ユウがカジャディールのもとを去ってより、ジョーブレイカーはその命に従い、付かず離れず、ユウの行動を見守り続けていたのだ。
カジャディールがすべてを知っている、と、ユウが感じたのは、つまりこういうことだった。
「なぜ、それほどまでに目をかけるか、奇妙に思うておるのであろうな」
「……」
「わしも、歳を取ったということよ」
ジョーブレイカーは、肯定も否定も、疑問も口にしなかった。
「ともかく、いまは、ディアナのことも気にかかる。急ぎあとを、な」
「……承知」
さて……。
パリュを発足したユウたち一行は、北部地方へと駆け向かった。
時間をかけたくないのはユウも同じ。多少の強行軍は覚悟の上である。
その日はアシビエム山脈のすそを抜けて北部領へ入り、翌日には行程の半分までを、一気に駆けた。
そこでようやくはじめての夜営を張ったわけだが、そのときユウは、ふと誰かに呼ばれたように思え、火のそばを離れて森へ入った。
「誰かいるのか?」
闇の中には、枯葉の鳴る音だけがざわめいている。これ以上奥へ進めば、たき火の明かりが見えなくなってしまうだろう。
しかしユウには、やはりどうしても、生き物の気配があるような気がしてならなかった。
「誰なんだ?」
と、重ねて問いかけると不意に、ユウの足もとへなにかがぽとり、落ちてきた。
「あ……!」
思わず飛びすさったユウだったが、それを手に取り、さらに驚いた。
それは葉のついた、枝だったのである。
見上げれば、そこには小さな小さな、茶色のフクロウが座っていた。
「おまえか……?」
フクロウは、ゴロゴロと喉を鳴らし、再びなにかを落とした。
拾い上げてみると、布袋の中には、金属製の筒と手紙。
手紙には、こう書かれてあった。
隠れ家までの地図、同封。
万一のときは発光筒で合図しろ。……アレサンドロ。
地図はハサンの手によるもので、たどり着くまでの目印が、微に入り細に入り、書きこまれている。
ありがたい。ユウは思った。
その実、隠れ家までの道は、覚えているつもりでも不安があったのである。
発光筒は、筒から伸びた紐を引けば、モチの閃光弾が発射される仕掛けだ。
ユウは地図を丁寧に折りたたんで懐へしまい、発光筒はポーチへ忍ばせた。
「ありがとう。モチにもそう伝えてくれ」
小さなフクロウは、目を細めて飛び去った。