メイサ神殿の再会
「ユウって、神学校かよってた?」
「まさか。その歳のころは、ハサンについて盗みをやってた」
「あ、そっか。アハハッ、なんかおかしいね」
とっぷりと日も暮れ、周囲の家々からもれる明かりが、道の両側からふたりを照らし出す。そろそろ酒場の表看板にも灯が入り、にぎやかな声も聞こえはじめる時刻だ。
どこからかただよってくる夕食支度の匂いに包まれながら、ふたりは市街地を西へ抜け、パリュ・メイサ神殿へと到着した。
「わ、結構立派ぁ」
ララの言うとおり、正面に見える神殿建築もさることながら、左手には礼拝者を泊める、別棟の宿房まである。
石造の神殿へ足を踏み入れ、地下へと続く大階段をくだると、自然洞窟そのままの薄暗い空間に、土女神メイサの祭壇が安置されている。これは、全国のメイサ神殿、共通の造りであった。
物珍しげに視線を走らせているララの腕を引き、ユウは祈りの場所を探したが、夕食前のひとときに祈りを捧げるのは、神徒にとってごく日常のこと。この夜も多くの人々で、祭壇前は埋まっている。
「ここにしよう」
ふたりは、祭壇から少々離れた乾いた床を選んで、そこへひざをついた。
「祈ったことくらいあるだろ?」
「う、うん……。あ、でも、光石忘れちゃった」
「ここはメイサ神殿だから土でいい」
「あ、そか」
ふたりは、ひんやりとした、むき出しの地面に直接座り、足もとの土をひとつまみ、額と胸に押し当てた。
胸の前で指を組み、
「神文知らないんだけど……」
「自分の言葉で祈ればいい。神は差別されない」
「うん。えーと……」
ララは祈った。
あのときは、ありがとうございました。
縁? をありがとうございました。
ユウと、もっと仲よくなれますように……。
「……」
薄目を開け、左隣をうがかうと、ユウは、まだ口の中でなにかとなえている。
かと思うと、頭を下げ、再び土を額と胸に当て、また祈る。それを三回くり返した。
「心よりの祈りに、さぞやメイサもお喜びのことでありましょうな」
「ッ! ……これは……!」
「あいや、そのままそのまま」
突然、背後から肩を叩かれたユウは、その神官に頭をたれた。
「おひさしぶりです。随身官様」
「いやいや、カウフマン殿もお元気そうでなにより。また会えたこと、メイサに感謝しなくてはなりませんな」
メイサ神殿最高権力者、カジャディールの随身官ヌッツォは、広い額をつるりとなでて祭壇へひざまずいた。
デローシス以来の再会である。
「随身官様。では……大祭主様もこちらに……?」
「しっ! ……外へ」
「……はい」
三人は神前を辞し、再び階段を上がった。
「そちらのご令嬢は……?」
「ララ・シュトラウス。いまはともに旅を」
「ははあ、ではあなたがシュトラウス機兵長……。いや、こちらにもいろいろと、手配書などがまわってくることもありましてな。……それにしても、カウフマン殿」
「はい?」
「すみに置けませんなぁ」
ぐふふ、と、ユウは、ひじでつつかれた。
「え……! いや、違……!」
「メーテルのご加護がありますように」
「随身官様……!」
月女神メーテルは愛の神である。
ユウはあせって否定したが、かえってヌッツォには、
「またまた、憎い憎い」
と、冷やかされた。
「そ、それで、大祭主様は……」
「む……。されば……これはどうか、ご内聞に」
「はい」
「実は……大祭主猊下におかれては、十日ほど前より、少々ごお身体のお具合をそこなわれておられ……」
「そ……! お、お加減は!」
「あ、どうか、声を。……日々のお疲れと季節の変わり目で、お風邪をこじらされたのだろうということで……いまはもう大事なく」
熱も下がり、今朝は粥を五膳も平らげたと聞き、ユウはメイサ神に感謝した。
「それで……いかがですかなあ、カウフマン殿。猊下の御心を、おなぐさめしてはいただけませぬか」
「いえ、しかし……!」
大祭主の身体に差し障りがあっては、申し訳ない。
辞退するユウの手を取り、ヌッツォは、
「いや、是非にも」
強く握りしめた。
「猊下には、事あるごとに、カウフマンはどうしているであろうかと仰せになられ、貴殿をいたくご心配なさっておられるご様子。これもお導きと思い……是非にも」
ユウは、胸が熱くなった。
「カウフマン殿、このとおり。でなければ、私がもう、どのようなおしかりを受けるか……」
「いえ、随身官様。こちらからお願いします。大祭主様に、お目通りを」
「ありがたい!」
ヌッツォは飛び上がって喜んだ。
「では、いますぐにでも!」
「はい。ああ、ララは宿に戻って、このことをアレサンドロに伝えてくれ。心配いらないからと!」
「あ、ユウ!……もぉ、バカぁ!」
神殿と同じ、石造りの宿房へ案内されたユウは、一階の、最も奥まった一室へと導かれた。
磨き上げられた壁と天井は、さながら鏡のようだが、敷かれた黒の絨毯のおかげで寒々しさはない。
「猊下、ヌッツォでございます」
重厚な木の扉を叩き、まず、ヌッツォが部屋へ入った。
カジャディール大祭主は、濡らした白布を額に乗せ、神殿の宿房らしく閑散とした部屋のベッドへ、鬱々と身を横たえていた。
「いかがでございます?」
「……寝るのに飽いた」
「あっ! なりません猊下。またお熱を召されます!」
「たわけ。カビが生えるわ。ああ、腰が痛うてならん」
「なりません、なりません!」
「うるさい男よ。おぬしなど、ハゲてしまえ」
「おお、なんということを! ハゲませぬぞ、決して!」
「メイサよ、この男にハゲを……」
「お、おやめください! せっかく、このヌッツォめが、特別よく効く薬を持ってまいりましたというのに!」
「なに……?」
「少々お待ちください。ただし、ご安静に。よろしいですな?」
したり顔でそう言うと、ヌッツォはユウを招き入れた。
すると、病み上がりの青白い大祭主の顔に、みるみる血がのぼり、
「……カウフマン……!」
「あっ! 猊下! ご安静にと……!」
「たわけ。これが寝ておられようか……!」
素足で出かけるのへ、ユウも飛びつくように、それを押しとどめた。
「大祭主様、どうか……!」
「む……む……」
カジャディール大祭主は、しぶしぶと布団をかぶった。
「息災のようで、なにより」
一度ひざまずき、すすめられた椅子へ腰かけたユウは、思ったよりも張りのあるカジャディールの声に、ほっと胸をなでおろした。
「メイサのご加護です。本当に……感謝しています」
「おお、わしもよ。わしも、メイサに感謝を。……この命あることに……この再会に……」
カジャディールは、額と胸にふれて微笑んだ。
「して、どうかな? 旅ゆきは」
「はい、いまのところは……なんとか」
「ふふ……聞くな、か」
「そんなことは……」
ない、とは言いきれなかった。
そう言われて思いつく罪悪が、山のようにある。
もちろん、仕方のない部分も多いのだが、結局は自分で選んだ道だ。それを言い訳にするのは、あまりにもふてぶてしい。
ユウは視線を落とした。
「……申し訳、ありません」
その様子に、
「ふむ……」
カジャディールは、さてどうしたものかとひげをなでつけ、
「それを」
なにを思ったか、ユウの腰に下がった太刀を指さした。
もとはといえば、カジャディールの剣である。
ユウは剣帯から鞘ごと抜き、半身を起こしたカジャディールへ、それを差し出した。
「刃には、のう、カウフマン」
「は……」
身体が冷えぬよう、ユウはカジャディールの肩へ神官衣を着せかけた。
「刃には、あつかう者の心が映る」
「……心が?」
「すさめばすさむ。迷えば迷う。そなたの刃は……」
と、カジャディールの目が、抜き身にそって上下する。
生つばを飲みこむユウの目の前で、
「優しい」
「え……?」
カジャディールは、ふ、と、微笑んだ。
「そなた、うしろを見るにはまだ若い」
ユウの肩を、温かい手のひらが叩く。
「心おもむくまま、いまはゆけ、カウフマン」
そのとき、ユウは、はたと悟った。
大祭主様はすべてご存知だ……。
うつむいた胸の中で、つかえていたしこりが溶けていくようだった。




