超人
ジョーブレイカーと名乗った男は、超人だった。
すさまじい刃風とともに、なぎ払われた刃を身を沈めてかわし、足もとを狙う剣戟を、刀で受け止める。
と、同時に、左手は、腿に幾本も差しこまれた小刀を抜き打ち、双剣を突き出しかけた三人目が、それを喉元寸前でかわしたところへ、我から飛びこむように前転、包囲をといた。
ここまでが、一瞬。
さらに斬り立てる六振りの切っ先を、するすると後退しつつ受けしたかと思うと、次の瞬間には懐へ入りこみ、ひとりの右太腿を斬り裂いている。
悲鳴こそ上げなかったものの、うずくまったその巨体を踏み台に、ジョーブレイカーは五メートル近くも飛び上がった。
「む……!」
残るふたりの頭上を飛び越えざま、腰に下がった長縄を走らせ、
「ガッ……!」
先端の分銅により、ひとりの鼻を痛打する。
押さえた指の隙間から、おびただしく血をまき散らしながら、ふたりめのバイパーもひざをついた。
残るは頭角らしい、ユウたちを襲った男だけとなった。
「……失せろ」
それでもなお、構えようとするバイパーへ、牧草の上に、ふわりと着地したジョーブレイカーが言う。
鉢金を当てた覆面からのぞく深緑の瞳は、静かだが、刃よりも鋭い。
バイパーは、ユウたちと忍者、交互に視線を走らせて舌を打った。
と、突然。
「……!」
バイパーの懐から、黒煙が噴き出した。
ジョーブレイカーは飛びのいたが、それは、ただの煙幕だったようだ。
風が吹き、すべてが押し流されたそこに、もはや、バイパーたちの姿はなかった。
「助かったぜ」
剣をおさめ、きびすを返した忍者に、アレサンドロが言った。
ジョーブレイカーは息も切らせていない。ちらりと視線をくれたのみで、アレサンドロのわきをすり抜け……、足を止めたのは、なぜか、ユウの前だった。
「な、なんだ……」
うろたえたのはユウである。
こちらを直視する、一点の曇りもない瞳。
よくよく見れば、右眉の上から左の頬へ、ななめに、古い刀痕が走っている。
ジョーブレイカーの手が伸び、とっさに身構えたユウの手から、どこをどうしたものか、太刀が奪われていた。
「あ……!」
詰め寄ったユウの前に手のひらが突きつけられたのは、黙って見ていろ、ということだろう。
ジョーブレイカーは、じっと刀身を見つめ、再び、ユウへ視線を戻した。
「……」
「え……?」
なにか、つぶやいたようだったが、聞き取れない。
そのまま太刀は、ユウの手もとへと戻された。
「……さらばだ」
「お、おい、ちょっと待てよ!」
つかみかけたアレサンドロの指が空を切り、ジョーブレイカーは、煙のごとく消え去った。
「……なんだったんだ? あいつは」
頭をかき、アレサンドロが苦笑した。
「それを詮索できる立場でもあるまい」
「そりゃあ、な」
ハサンの言うとおり、ジョーブレイカーがいなければ、どうなっていたかわからないのだ。
何者であろうと、感謝しなければ罰が当たる。
ただひとつ、アレサンドロの気にかかったことは……、
「おまえ、心あたりはねえのか?」
「……」
「おい、ユウ?」
「あ……す、すまない……なんだ?」
「……いや、なんでもねえ」
アレサンドロは肩をすくませた。
だが、聞こえていたところで、ユウにはなにも答えることはできなかっただろう。
ジョーブレイカーなどという人間も、忍者も、ユウは、まったくの初対面であった。
ユウは、いまごろになって震えはじめた指を、何度か握っては開き、いまだ座りこむララの前へ、ひざをついた。
「大丈夫か?」
うなずくララも、モチを固く抱き、震えている。
「ごめんね。立てなく、なっちゃって」
泣きはらした顔には、まだ涙の跡が残っていた。
「無理ないさ。俺だって、怖かった」
「ホント……?」
「ああ」
「そっかぁ……」
ララは深く息をはき、モチの頭に顔をうずめた。
「なんでだろ。L・Jに乗ってるときは、なにがあったって、こんなふうにならないのに……」
ユウはいろいろと言葉を探したが、結局、
「……なんで、だろうな」
こんな言葉しか、思いつかなかった。
「さて、どうする」
焼け落ちた馬車をながめ、誰に言うともなしに、アレサンドロが言った。
「まだ遠いのか?」
ハサンは、さぁて、と、パイプケースを取り出し、口にくわえて葉を詰める。
「男の足で三十分。死にかけの足で一時間」
「なら、一時間半を見て行くか」
「これは手厳しい」
笑いながら、ハサンは靴底でマッチを擦った。
だが、実際はアレサンドロの言うとおりになった。
いや。
アレサンドロがそのように調整していった、というのが正しい。
平坦な街道すじを西へ進んだ一行は、小さな無人の神殿を目印に北へ折れ、山すそを、さらに獣道へと分け入った。
ハサンとアレサンドロを先頭に、ララとモチ、少し間をおいて、ユウ。
アレサンドロはそこで、しつこいほど頻繁に、適当な場所を見つけては休憩をはさんでいったのである。
渋々、という態度をとりながらも、ハサンも、おとなしくそれに従った。
八分ほど紅葉した木々の間を太陽が見え隠れしていたが、この時間になってもまだ、空気は冷え冷えとしている。
そうして……。
ハサンの隠れ家に到着したのは、この日も昼近くになってのことだった。
かつて、北方諸国へ侵攻する際、帝国は奇襲路として、アシビエム山脈の南北を通すトンネルを掘り進めた。
当然、無謀を極めるその計画は頓挫したのだが、穴は残され、それをハサンが再利用したのだ。
しかし、ただのトンネルではない。
何百何千という騎馬を通行させるための道である。
敵軍への発覚を警戒し、間口は三メートルほどとせまく造られていたが、ひとたび、足を踏み入れると、
「うわぁ」
落ちこみ気味だったララさえも、歓声を上げる大空間が、そこには広がっていた。
幅は、実に、百メートル。壁に埋めこまれた光石が照らし出す荒削りの天井は、N・Sさえおさまる高さがある。
入り口付近から奥行きは確認できなかったが、それも、かなりの距離が想像できた。
だがそれ以上に驚くべきは、その空間へ積み上げられた、彫像、宝石、金塊、刀剣といった、宝物の量である。
それはもう、ひとりで集めたとは思えない数の品々が、無造作に放置されていた。
「す、ごぉぉ!」
ララは目をしばたたかせ、彫像の台座に置かれた、卵大の紅玉を手に取った。
「きれい……」
「持っていっても構わんぞ」
「え! ……う、ううん、いい」
「ほぅ、無欲だな」
「だって……あとが怖いし」
「ンッフフフフ、賢明な判断だ」
盗品のスペースを抜けると、屋内だというのに川が流れている。
大理石で道作られた川幅は、二メートル程度。水は澄み、豊かである。
ハサンが言うには、この湧き水こそがトンネル計画頓挫の元凶であったらしい。
さらに、この川を越えた先が、生活空間。
といっても、こちらも随分と手を抜いたもので、壁も目隠しもない中に、ただ雑然と家具が置かれていた。
「ほれ、あんたはこっちだ」
アレサンドロは、ベッドにかけられた埃よけの白布をはがし、ハサンを、そこへ放りこんだ。
「ここからは絶対安静だぜ」
「酒と煙草は?」
「……ほどほどにな」
「おお、アレサンドロ先生は話がわかる」
軽く笑ったアレサンドロが脈を取り、再び顔を上げると、ハサンはすでに、深い眠りに落ちていた。




