オークション
その夜。
パーティ会場となったフェルグス伯爵邸のポーチには、馬車が列となって並んでいた。
どれもこれもが、黒塗りの車体に紋章をあしらった豪奢なもので、順番がまわり、いましも降り立った貴族たちの礼服にも、上等な布地とアクセサリが照り輝いている。
実はこれが、ハサンとユウであった。
ふたりは、玄関口からあふれ出す、柔らかく調整された光石灯の光と、優美な音楽に導かれるように歩を進め、
「どうぞ、お召し物を」
と、微笑むボーイが差し伸べた手に、ステッキとマントを預ける。
そのまま大ホールへと足を踏み入れると……。
そこは、別世界であった。
見上げるほどの彫像が幾体も立ち並び、壁には金糸銀糸のタペストリー。
聖画に彩られた天井には、当然のごとく、輝くシャンデリアがふさも重そうにたれ下がっている。
ホール中央ではオーケストラの演奏に合わせて、礼装姿の紳士淑女がダンスに興じ、そうでない者も談笑をかわしつつ、酒食を口に運んでいた。
ユウは以前にも、こうして何度かパーティにまぎれこんだことがあったが、今日の規模は群を抜いている。
「胸を張れ」
ユウの耳もとで、ハサンがささやいた。
「わかってる」
「そら、その口のききかただ。どこで誰が聞いているかもわからんぞ?」
「……はい、父上」
「いい子だ」
今日のふたりは、スペンサー侯爵とその子息、ということになっている。
「さぁて、例のオークションまで、まだ時間がある。目きき遊びでもして待つとしようか」
ボーイからシャンパングラスを受け取り、ハサンはさっさと奥へ進んでいってしまった。
……そう。
このパーティに参加している貴族全員が、これからおこなわれる競売を目当てにしているのだ。
かけられる品とは、まさに、完品のN・S一体である。
それは数年前、フェルグス伯爵が偶然手に入れたものらしいが、当人は先々月に亡くなっている。
そこで伯爵夫人が、このようなものはあるだけ面倒、と、手放すことにした。
……と、いうことなのだが。
実のところは伯爵夫人、音に聞こえた浪費家で、対外的には上手く装っているが内情は火の車。遊び金欲しさともっぱらの噂だ。
「でなければ、なぜオークションを選ぶ必要がある。国より好事家のが金を惜しまんからだろう?」
馬車の中で、ハサンは語っていた。
「まぁ、他人様の事情などどうでもいい。帝国の目が届かん場所で、N・Sが取引される。その事実さえあればな」
言うまでもなく、この大盗に正々堂々競り落とす気はない。
さて……。
それからは、目についた調度品や貴族の持ちものを値踏みしたり、ハサンの差し金で、ユウが、それぞれ違う娘と三曲もダンスを踊らされたりで、またたく間に時間がすぎていった。
そうして、一時間もたったころだろうか。
ようやく主催が会場に姿を現し、待ちに待ったオークションがはじまった。
「皆様、ようこそ、お越しくださいました」
フェルグス伯爵は七十の高齢だったというが、壇上に立つのは、いかにも金を食いそうな若き未亡人である。
「亡夫の遺品を処分させていただくにあたり、これほど多くの方々にお集まりいただきましたことは、心苦しくもあり、また、喜ばしくもありますわ。皆様のご温情をもって、どうか……」
伯爵夫人は、房毛のついた扇で口もとを隠し、
「高値を、お願いいたします」
ドッと、会場がわいた。
「では、とにもかくにも、現品をお見せいたしましょう」
全員が、別の場所へ移動するものと次の言葉を待った。
しかし、現れたのは執事の押すカート。
乗せられているのは白い敷布、そして、鈍色の指輪である。
ざわめきの中、ユウは左手を、さりげなくうしろにまわした。
同じものが中指にあることを、特に、隣の男にだけは知られたくなかったのだ。
ハサンの視線は幸い、カートにそそがれている。
ユウは指輪をはずして、上着のポケットへすべりこませた。
「お静かに! 承知しております。これはN・Sではない。ええ、ごもっとも」
気分は歌姫か、大女優か。
伯爵夫人は大仰に手を振り、芝居がかった声色で言った。
「ですが、これこそ魔人の技術!」
ボーイたちが、前列の客を下がらせる。
「では、ご覧いただきましょう! これが、N・S!」
観客の悲鳴とともに、一瞬の閃光が会場を包みこみ、どす黒い、凝固した血色のN・Sが現れた。
大ホールが、どよめきで揺れ、
「お静かに! お静かに!」
執事が両手を広げたが、収拾にはしばらくかかりそうだ。
「フフン、私のためにあるような……」
ハサンのつぶやきが、ユウの耳に入った。
確かに、腰に細剣を帯して、ツンと耳を立てたそのN・Sは、ハサンの好みを大いに満たすものに違いない。
首もとには、ファーを思わせる襟飾り。
L・Jでいうリアスカート・サイドスカートはひざ丈と長く、シルエットは、いまユウがまとっている礼服そのものである。
背からたれた翼とおぼしき膜はひじと手首で固定され、さながらマントか、女性のショールのようだった。
N・S、コウモリ。
「気に入った」
ハサンの右目が、針のように細く、光った。
獲物を見定めたときの癖だと、ユウは知っていた。
「お披露目はここまで!」
予想以上の反応に気をよくした伯爵夫人は、思わせぶりに、N・Sを指輪へ戻した。
ここからがオークションである。
「スタートは百万から」
と、伯爵夫人が指をかかげ、その場の全員が息を吸う。
緊張の糸が空間に張りめぐらされ……。
「待て!」
声を上げたのはホール入り口に立つ、熟年の、恰幅のいい騎士だった。
黒い胴鎧の上からでも十分にわかる。
歳に似合わぬ厚い胸筋は、かなり剣を使う証拠だ。
「どなた?」
「聖鉄機兵団、ジークベルト・ラッツィンガー」
「え、えぇっ?」
今日一番のどよめきが起こった。




