先生
「ねえ、なんで鉄機兵団辞めたの?」
「そりゃあ、古今東西、男が身を持ち崩す理由はふたつっきゃない。女の子か、お金」
「わかった! 使いこみ!」
「あんねぇ、さすがにそれは退役じゃすまないでしょ。ていうか俺、そんなにモテなさそう?」
「少なくとも……モテそうには見えない」
「ひどい!」
そんな他愛もない話に花を咲かせ、一行は無事、ロストンに到着。関所をくぐった。
ここは、ウィンザー地方でも有数の田園都市である。
ことにワインは評判で、いくつものワイナリーが帝城への献納を許可されている。
近年は天候にも恵まれ、車窓から見える畑地や果樹園は、どこも、のどかを絵に描いたようだった。
「で? どちらまでお送りしましょうか、旦那様」
ララからもらったキャンディ・バーをくわえ、おどけ調子にテリーが聞いた。
「おまえさんは?」
「俺? 別に。今日はもう、酒飲んで寝るだけ」
ふうん、アレサンドロがあごをかく。
「確か、街道沿いに神殿があったな」
「ああ、風神様ね」
「そこでいい」
「あいよ。あ、この飴、美味いね。もう一本」
「だぁめ」
ララの手が、ぴしゃり、テリーの甲を打った。
さて、それからまた、しばらく道なりに走り……。
風神フーンの神殿は、収穫のはじまった、ぶどう園の一角にあった。
石造、レンガ造の多い神殿建築の中で、フーン神殿は唯一、木造が基本とされている。
ここもその例にもれず、ひとかかえもある木柱が、反り返った切妻屋根を支えていた。
「それじゃ、頑張ってちょうだい」
神門の前へユウたちを降ろし、テリーはキザに指を立てた。
「世話になったな」
「なぁに、これも先行投資、ってね」
「そういや、そうだったな」
なら貸し借りなしだ、と、アレサンドロは笑う。
土ぼこりを上げ、市街地へ向けて走りはじめたカーゴに、
「またね!」
ララが手を振ると、テリーの腕が、同じように窓から振り返されるのが見えた。
荷台を覆うシートの端も、まるで名残を惜しむかのように、いつまでもはためいていた。
「……あのL・Jも、銃とやらの威力も、結局見れずじまいになっちまったな」
「いいじゃない。きっとたいしたことないって。ね? ユウ」
「いちいち、くっつくな」
「い、いた、いたたたたッ!」
「!」
「……なんてね」
「行こう、アレサンドロ」
このときユウは、アレサンドロの様子に、ふと、かすかな違和感を覚えた。
どこか、考えこんでいるような目。
だがそれも、まばたきするほどの一瞬のことだ。
「ああ、そうだな。行こうぜ」
と、答えたときには、いつもと変わらぬ様子に戻っている。
アレサンドロは挙動不審なヤマカガシの肩を叩き、カーゴが向かったのと同じ方角へ歩きはじめた。
ユウは手を差し伸べたが、
「いや、もう、大丈夫だ」
確かにその足取りは、随分とはっきりしてきたように思える。
「俺より、あっちを頼むぜ、彼氏さん」
アレサンドロが指さしたのは、もちろんララだった。
「やめてくれ、あんたまで」
「ハ、まあ、とにかく頼む。怪我人がいたほうが、なにかと都合がいい」
「む……」
振り返ると、期待しきったララが、満面の笑みで両腕を伸ばし、抱き上げられるのを待っている。
ユウは、げっそりと肩を落とした。
「そういや、モチはどうした。随分静かだな」
見ると、ヤマカガシの腕の中で、
「寝てる」
「ハ、豪気なこった」
空は低くたれこめ、いまにもひと雨落ちてきそうな湿気が、先刻から肌を包んでいる。
家々も随分増えた街道すじを小川にそって南へ切れこむと、右手に見えてきたのは、椀型の盛土の上にもうけられた、祭壇ばかりの月神殿。
目指す場所は、その隣にあった。
背の低い柵にかこわれた、白壁に赤瓦の平屋家屋で、芝生に覆われた庭を抜けて玄関をくぐると、そこは椅子と机だけの簡素な部屋である。
長椅子に年寄りが三人腰かけ、油で揚げた餅菓子をつまみ、茶を飲んでいた。
「あらあ、怪我でもなすったの?」
ユウの背にかかえられたララを見て、三人はいっせいに立ち上がった。
「あらあら、かわいそうにねぇ」
「痛い? ここの先生は、いいお医者様だからね。ほら、ちょっと、先生ぇ! 先生ぇ!」
「先生ぇ! 患者さんですよぉ!」
「わかっている、わかっている。聞こえているとも」
五十がらみの、ひょろりと背の高い医者が、奥の部屋から苦笑まじりに現れた。
長い黒髪をすべてうしろへ流し、頬のこけた顔は土色に焼け、目は、見えているのが疑わしいほどに細い。
羽織っているのは、麻袋を継ぎ合わせたような、粗末なローブである。
医者はアレサンドロとヤマカガシの姿に、一瞬驚きの表情を見せたが、
「さあ、ジェンナさん、これがいつもの薬だ。気をつけてお帰り。雨が降りそうだ」
「はいはい、先生には本当、いつもお世話になって……」
「なあに、これが私の仕事だよ。さあ、私はまだ、この患者をみなくてはいけないからね」
そ知らぬ顔で優しく背をなで、手を振って、老婆たちを送り出した。
そして、ひと息つくと……、
「アレサンドロ……!」
「先生」
向き合ったふたりは、固く抱擁をかわしたのだった。
「ヤマカガシもひさしぶりだ。ああ、昔なじみがたずねてくれるというのは、なんともうれしい。さあ、なにもないが、まずは座ってくれ」
医者は、いそいそと机に残された湯飲みを盆に乗せはじめた。
「いや先生、その前に、こいつを見てやってくれねえか」
「ああ、そうか。ふふ、私としたことが、どうも浮かれているようだな」
はにかんだ医者はララを座らせ、どれ、と、左の足首を覆う包帯をはずした。
すでに乾ききっている膏薬のかけらを口に含み、
「キハダか。捻挫かな?」
「間違いねえ、と思う。そいつは、水で練った」
「うむ、それでいい。見立ても、間違いはない」
「そうか、よかった」
「薬をかえよう。準備を頼む」
「わかった」
アレサンドロは、奥の診察室へと向かった。
「さ、て……」
ひざまずいたままの医者の目が、ユウとララへ向けられた。
「いまさらだが、君たちは?」
問いかける柔らかな声色に警戒心など微塵もない。口もとには微笑みさえ浮かんでいる。
「あの子といる、ということは……魔人か?」
「冗ッ談!」
「では人間か。それはいい。それはいいな」
眉尻を下げ、笑みが、さらに深くなった。
「どういうことだ? あんたは、魔人じゃないのか」
「ふふ、魔人だとも。魔人だからこそ、人間のあの子が心配でならないのだ」