飛翔
炎の大奔流がすべてを呑みこみ、押し流していく。
ユウとアレサンドロは、それを足の下に見ていた。
『飛ん、だ……!』
『飛んでる!』
オオカミをかかえたカラスの身体が、夜空に浮いている。
ユウが、なにかをしているわけではない。
ただカラスの翼だけが、自分の意志とは関係なしに大きく風をはらみ、力強く上下に動いている。
肩甲骨の内側で柔らかい棒を転がされているような、奇妙な感覚だった。
『ホウ、どうやら、上手くいったようです』
『モチ? モチなのか?』
しかし、その姿はどこにも見えない。
いや、その声が、N・Sカラスの喉を震わせて出たような気がしたのは、ユウの勘違いだろうか。
『まさか、モチが……!』
『そのとおり、乗っています。あなたとともに、カラスに』
モチが言葉を出すたびに、ユウの頭の中はムズムズとした。
『二人乗り……? マジかよ……』
『可能性はゼロではないと、ペルデンドス博士が。ですがいまは、それをくどくど説明している暇はありません』
『あ、ああ、そうだな。このまま逃げよう』
『ヤマカガシと、あいつは?』
『案内します。ユウはアレサンドロを離さないように。翼は引き受けました』
『わかった』
ふと顔を上げると、空が近い。星が近い。
ユウの心臓が高鳴った。
叫び出したい衝動が胸に詰まり、かえって言葉が出なかった。
そのころ。
地上ではギュンターが天を見上げ、
『しゃらくせぇ!』
わめいている。
しつこく右腕が持ち上がり、そこから何発、何十発と打ち出されたのは、手のひらにおさまるほどの火球だ。
『五感は共有です。目だけは開けておいてください』
と、モチが言うや否や、ユウの身体に、ぐ、と、重力がかかった。
右かと思えば左。左かと思えば右。
回転し、宙返りし、モチのあやつる翼はカラス本体やオオカミの重さなどものともせずに、次々と襲いくる火球の合間を、踊るように飛びまわる。
帝国L・J、トップクラスの性能を誇るオリジナル機、ミザールのセンサーでさえ、その動きに追いつくことはかなわない。
それでもギュンターは、
『くそっ! くそっ! ちくしょうっ!』
取りつかれたように、トリガーを押し続けた。
こうなると、タンクを失い、左ふたつの砲門が使いものにならなくなったのは痛い。
『それさえ、なけりゃあ……!』
そう思わされることが、より一層、ギュンターをいらだたせた。
自分より劣っているはずのN・Sに、いいようにあしらわれている。
それが許せず、ギュンターは躍起になった。
『チィッ!』
みるみる遠くなるカラスの背中。
こうなりゃあ……。
リミッターを解除するしかない。最後の手段だが、負けるよりはましだ。
苦い顔を作ったギュンターの指が、素早くパネル上を走る。
小さな警告音とともにリング状のピンが持ち上がり、
『ぶっ殺してやる!』
と、引き抜いた。
……いや、引き抜こうとした途端に、なんと、ひと足早く安全装置が働き、燃料の供給が止まってしまった。
なんという運のなさ。
『ッ! ……こ、の、野郎!』
ギュンターの叩きつけた拳によって、手もとのサブコントロールパネルが砕けて飛んだ。
そして……。
カラスとオオカミは無事、ミザールの射程を脱したのだった。
戦いの終結を見計らったように、空から、大量の散水がはじまった。
編隊を組み、飛ぶのは三〇三式。
どこにひそんでいたものか、地上でもL・J部隊による延焼防止措置、消火活動がはじまっている。
『くそ……』
シートに身を投げ出し、憔悴した様子で目蓋を閉じたギュンターの耳にも、ミザールの装甲が水を浴び、ジリジリ音立てるのが聞こえた。
そこへ現れたのは、錆鉄色のL・J、一〇〇二式改『アルコル』。
サリエリ用機であった。
『炎のご使用はおひかえくださいと、申し上げたはずです、ギュンター様』
『……へっ』
開口一番。大丈夫か、でも、気に病むな、でもない。
そこか、と、ギュンターは思わず口もとをゆるめた。
だが、心配も同情もなぐさめも毛嫌いするギュンターにとっては、これぐらいがちょうどいい。
むっくりと身を起こし、
『シュトラウスはどうした』
と、聞いた。
『申し訳ありません。取り逃がしました』
言いながらも、モニターに映るサリエリは特別あせっているようには見えない。
『いまの連中と行ったか』
『十中八九、まず間違いはないかと』
『……ならいい。テメェのことだ、どうせあとはつけさせてんだろ』
ギュンターは大きく息をはき、再び天を仰いだ。
『いいか、見てろよ……。次はあの鳥野郎、ただじゃおかねぇ。ただじゃあな……』
メインモニターのイエローサインが消えて、外気温、内部装甲温ともに、一定の値まで下がったことを知らせる表示が映し出された。
森は、夜の暗闇を取り戻しつつあった。