さらば、ジョーブレイカー(1)
少年皇帝の盆の窪の針は、爆発しなかった。
反逆者なり魔人なりに殺されたという形を作り、再び国家を戦国時代へと立ち返らせようとしていたというのだから、三世は第三者の目を意識したのだろう。
被害者・加害者がともに爆死したような格好になっては事実関係がわかりにくいし、
「レッドアンバーの一団は四世を助けるために動いていたはずだ。爆発物など持ちこむはずがない」
と、ラッツィンガーなどが主張すれば、冷静な真相究明がはじまってしまう。これでは戦争は起こらない。
戦争を起こすには、逆上からくる思いこみが必要なのだ。
四世の死因はあくまで、針を抜きそこなったがための、『レッドアンバーによる過失致死』でなければならなかったのである。
「まあ、なにはともあれ、重畳重畳」
カジャディールは大きく息をはき出したが、いまだに続く押し合いへし合いの中、顔を真っ赤にして飛びかかってきた豪傑、ゲネン大祭主を片腕一本でいなしてみせて、
「すまぬな、ゲネン。まだ陛下のおそばを離れるわけにはゆかぬのよ」
と、小さく両の手を合わせなければならなかった。
なにしろ、もう十分に戦い、心身ともに疲れはててはいたが、ここへきた目的は半分しか達成されていない。
必要なのは、とにもかくにも停戦宣言だ。
「して、陛下のご様子は」
「問題ない。すぐに目を覚ましてくれるだろう」
ぐったりと手足を伸ばした少年にひざ枕を貸しながら、ジャッカルは抜き取った針の赤い頭を奥歯で噛みつぶしていた。
「あ、そのようなことを……!」
「なに大丈夫だ。たとえこれになにが仕込まれていようと、あやまって、また誰かの肌に刺さってしまうことのほうが恐ろしい」
「そこから三世陛下を追えたやもしれぬ」
「いやいや、恐ろしい男だ。三世というのは」
足跡を多く残していったとしても、容易に足取りはつかませないだろう。
それもそうかと、カジャディールもすぐに納得し、
「せめてなんらかの手がかりが、スダレフのもとへ残っておればよいが……」
と、途次で別れたジョーブレイカーの、悲壮な姿を思い出した。
向こうは首尾よくいっているだろうか。
「よもや、あれになんぞあるとも思われぬが」
あのスダレフの手に残された最後の武器。シュナイデのありようによってはどうなるか……などと、いまさらながら不吉な想像も胸をよぎる。
ジョーブレイカーは、受け入れることに慣れすぎている。
……あきらめるなかれ、友よ。ジン・サラマール。
カジャディールは額と胸にふれて、それ以上考えるのをやめた。
「いまはただ、信ずるのみ」
今日はすべてが上手くいく。
ここ帝都でも。魔人城でも。
「……!」
はっと耳をそば立てて、獣道を走るジョーブレイカーの足の回転は一段と速くなった。
まさか、カジャディールの声を受けてのことではない。
いまのは……。
確かに叫び声。
それも、断末魔かと思えるほどの。
さっと閃いたエド・ジャハン刀が侵入者よけの仕掛けごと巨木を切り倒し、再び鞘に収まっている。陰鬱極まるこの帝城敷地内の森には、様々な種類のトラップが山のように存在していた。
黒装束は、さして強く踏み切ったわけでもないのに残りの距離をひと息に踊り越えて、宮廷博士、スダレフの研究所の扉へと取りついていた。
「……」
先ほどの絶叫を思い返してみる。
状況的に考えられる被害者はもちろんスダレフであり、声の質もそのようなものだったように思われる。
なるほど確かに、ここで息をひそめていても視線を感じない。
中にも、外にも、こちらを監視する気配が、なさすぎるようである。
ジョーブレイカーは眼光を鋭くして、退色した木の扉を一瞥した。
鍵穴はなく、いくつかの飾り鋲は抜け落ちていた。
そこには明らかに、主人の無頓着さ、あるいは、この先のトラップに対する主人の絶対の自信が表れていたが……。
予想外。
わずかにきしんだ扉の向こう側には、すでに何者かが熱線系トラップを作動させ、それを破壊していった痕跡が広がっていたのであった。
「……」
ジョーブレイカーの足は、迷うことなく屋敷の奥へと向かっていった。
幾度も偵察に入った城内はともかく、この研究所の間取りを知っているわけではなかったが、歩を進めるほどに強くなる、薬品由来と思われる酸性臭が目下の道しるべであった。
誰がこの研究所に押し入ったのか。
その目的とはいったいなにか。
脳裏に浮かぶ答えはひとつ。しかし、推測はいくら重ねても真実にはならない。
ジョーブレイカーはにおいを追って扉をいくつか抜け、やがて中心施設と思しき、大釜のすえつけられた研究室へと到達した。
パイプオルガンの管のように立ち並んだ試験管群や、雑に重ねられたケージ類。実験機器。
倒れた机に椅子、黒板。散らばったデータ紙。
闇の濃い室内は一見、荒らされていたが、格闘の痕跡などではなく、研究記録隠滅の跡のようだった。
火にかけられた大釜の中には鮮やかな緑色の液体が煮え立っており、その周囲には、棚という棚からかき集められたファイル類が、うず高く積み上げられていた。
「それはスダレフがやったことですよ、『お兄さん』」
ジョーブレイカーの手から、反射的に棒手裏剣が飛んだ。
それを、はっしとつかんだ声の主は、
「エディン・ナイデル」
「そのとおり、私です」
これが、本来ありえない出来事であることを、ジョーブレイカーは知らない。
エディン・ナイデルは、コルベルカウダにいたのではなかったか。




