ハサンを探して(2)
奥方連中が、川のそばでひとかたまりになって、にぎやかに芋の皮をむいている。
男たちは畑に散らばってぽつぽつと作業をしているが、こちらはどうも、職人のように難しい顔だ。
少しばかり気分が重くなってしまったモチは、なにやらすぐにハサンを追いかける気にもなれず、日かげを選びながら、よちよちと農道を歩いていった。
俺たちはさ……おモチさん。
小石を踏んで、テリーの言葉が耳によみがえる。
鉄機兵団が来るまでに、いくつかのことを割り切らなきゃならないのかもね……。
「ホ……ウ」
モチは、ため息をつかずにはいられなかった。
ユウを割り切るとは、いったいどういうことだろう。具体的にはどのようにするのだろう。
確かにユウの行動理念は、ここにきて大きく変化してしまった。
ハサンが言うところの、『もうひとりのユウ』の影響と見ることもできるだろうし、自責の念に傷ついた若者が精神を病んでしまった結果、とも見えるが、とにかくいまは、ララ以外は眼中にない状態だ。
ユウの胸にあった正義感も義務感も、そもそもが、まやかしであったかのように消えてしまった。
「……しかし」
そう、だからといってだ。
だからといって……。
「オ、ホ、ホ……!」
次の瞬間、モチは足を踏みはずして、得体の知れない穴の中に、ころりと落ちこんでしまっていた。
「こ……これは?」
ぐるり見まわしてみる。
落とし穴?
子どもたちがいたずらに掘ったのだろうか。
いや、それにしては作りが緻密だ。一定の深さで、広く、くり抜かれている。
「モチ」
「ホ?」
声につられて見上げると、深緑色の瞳と目が合った。
「ジョーブレイカー」
今日は、青鼠色のつなぎ姿だった。
「ああ、ではこの穴は、あなたの仕事でしたか」
これはモチに限らず、コルベルカウダの誰もが知っている話だ。ジョーブレイカーは、この居住区のあちらこちらに植樹をしてまわっているのである。
植えられているのは虫や菌のたっぷり詰まった外界の自然木で、いまはモチも、その中の一本のうろの中で、寝起きをしているのであった。
「申し訳ありません。考えごとをしていたもので」
モチは、ひょいと飛び上がった。
どうしてこれが目に入らなかったのだろう。そう思うほどのプラタナスの巨木と、フクロウの身ではとても持ち上げられないサイズの堆肥袋が並べられていた。
「これで、何本目です」
「五十二」
「ホウ……さすが」
並の人間ならば、木を一本運ぶだけでもひと苦労のはずだ。
「モチ」
「あ、失礼」
ジョーブレイカーが堆肥袋の口を開けたので、モチは、これ以上の邪魔はすまいと翼を広げた。
……あ。
そういえば自分は、ハサンを探していたのだったか。
ユウのことを考えていたのだったか。
モチは、またなんとなく気重になってしまって、一メートルほど飛びのいた地面に腰を下ろした。
ジョーブレイカーは、これに対しては気にする素振りを見せず、黙ってショベルを拾い上げた。
ざく、ざく、ざく、ざく。
その作業ぶりを見ていると、こんなふうに思われる。
木というものは意外に軽く、意外にふんわりと立っているものだ。
「ジョー」
「……」
「その、ユウのことですが」
「わからん」
「ホ?」
「放っておけ」
「そ、それは」
「誰かが考えてやることでもない。あれがあれでいいと言うのならばいいのだろう」
「ム」
突き放すような態であったが、この言葉はモチに、なにか小さな、予感めいたものを感じさせた。
胸の表面をくすぐるような、これはきっといい予感だ。聞きたい言葉が聞けるような気がする。
「少なくとも、いまやつは……」
「なんです?」
モチは飛ぶように駆け寄った。
「ユウは、ユウはなんです。ジョー」
「……」
「幸せだと、そう言うのではありませんか?」
ジョーブレイカーの沈黙は、肯定を表していた。
「それです。私もそれが言いたかった……!」
思わずモチは万歳した。
そう、いまのユウは幸せなのだ。
好きな女のそばで、好きな女のことだけを考えている。ふたりで笑っている。それで満たされているのだ。
ユウはおかしくなってしまったのではない。
幸せになれたのだ。
「私にはわかります。私たちフクロウがそうです。歌を歌い、伴侶を見つけ、巣を作り、ヒナを育てる。一生はそのくり返し。世界のことなど知らぬ、ただそれだけの生活です。それが不幸でしょうか。むしろ自然ではありませんか。ええ。目を覚ませ、まわりを見ろなどと言われる筋合いはありません」
モチが、ハサンに伝えたかった言葉もそれだ。
いまのユウを見て欲しい。
ララを見て欲しい。
あのおだやかな恋人たちの胸を、わざわざ乱す必要があるだろうか。
人か魔人か、正体をあばき認めさせるのではなく、ユウという存在として温かく見守ることはできないのだろうか。
結果的にこれは、ユウを割り切ったテリーがこれから取る行動と同じかもしれないが、あきらめて無視をするのとはまったく違う。
「あなたの言うとおりです。彼らは、放っておくべきなのです」
すると、それまでしかつめらしく話を聞いていたジョーブレイカーが、そうか、と、プラタナスの新葉を見上げた。
「そろそろ、カラスが巣を作りはじめる」
「……ホ?」
「そういうことだな」
モチはそこまで考えていなかったので、少なからず驚いた。
ただ純粋な恋の一例として野生のフクロウを引き合いに出したのだが、
「伴侶を迎える季節であるために、いまララを求める気持ちが強く出ていると?」
「そうではないのか」
「さ、私は……」
なんとも言えない。
言われてみればそうなのかもしれない。
「しかし、だとすると、ユウは」
カラスになりつつある。
いや、カラスに戻りつつあるというのか。
「ム、ム……ですが」
ハサンは言っていた。ユウは心の深い部分で、自身がカラスである事実を隠匿しようとしているのだと。
ララ以外のものを遠ざけているのも、外的刺激によって記憶と本能が揺り動かされてしまうことをおそれているから。モチはそう思っていた。
それが……カラス本来の習性にそって、ララを求めている?
「ム、ム、ム」
「答えはない」
ジョーブレイカーは空になった堆肥袋をたたみはじめた。
「次の木を植えに行くのですか、ジョー」
「先遣隊の動きを探りに行く」
「それはもしや、ハサンから?」
「そうだ」
「彼はここを通ったのですね」
「水源地へ向かった」
「水源地……!」
それはララのお気に入りの場所で、ユウの姿も頻繁に見かけられる。
してみるとハサンは、ユウの様子を見に行ったらしい。
「では……私も行きます。ハサンを追って」
ジョーブレイカーはただうなずき、肩に、ショベルをかつぎ上げた。
「あ……ジョー!」
興味がうっかり、口をついて出た。
もしかすると、
「あなたも、聞かれたのではありませんか。戦が終わったらどうするのかと」
「シュナイデ次第だ」
「あ……」
「それ以外はない」
「……ホウ」
モチはただただ言葉もなく、静かに静かに遠ざかっていく背中を、新しく誕生したばかりの木かげの中から見送った。
ユウは幸せだと感じたというジョーブレイカーの心を、いまさらながら想わずにはいられない。
シュナイデ。その無事を、祈らずにはいられない。




