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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【終】 縁 ーユウの未来編ー
236/268

紋章官(1)

 ……あー。

 ハサンは煙を含み、ぽかっと、はき出した。

 天井の光石シャンデリアがかすみ、また現れる。

 ハサンはもう一度葉巻をくわえ、ゆっくりと、同じ動作をくり返した。

「まだか」

 右のこめかみのあたりで動いていた刷毛が、急ぐどころか、今度は逆に、じらすようにして、真っ黒な毛染め液を塗りはじめる。

「バーングー」

「白髪が増えた」

「増えもする。今日はまた、十も歳を取った」

「エルンスト……コッセルか」

「おまえ好みの相手でもないぞ。腹は、多少黒いかもしれんが」

「ハア、ハア、ハア」

 笑った帝都の吸血鬼は、はみ出た液を指の腹でぬぐい取った。丁寧とはとても言えない仕事ぶりだが、本人はうっとりと犬歯をなめて、

「いい、色になった」

 と、ご満悦だ。

 ハサンは、ちらと手鏡をかざして、それをソファの端へ放り捨てた。

「酒は」

 バングが聞く。

「まだいい」

 泣く子も黙る裏社会の顔役のすすめを、ハサンは、にべもなくはねつける。

「スウィーティ」

「フン、なにがあったか聞きたいか。まあ……それもいい。おまえにも協力してもらったことだしな。と、その前に、灰皿を取ってくれ」

 すり落とすように灰を整え、ハサンはさらに二度、三度、煙をぽかぽかと吹き上げた。

「今日は、まったく、疲れたな」

 話は、数時間前にさかのぼる。

 場所は帝都ラッツィンガー邸。

 将軍の、言ってみれば上屋敷である。

 するり、隙間風のように入りこんで、

「さて……」

 というところから、ハサンの回想ははじまった。



「……さて」

 どこにいるのかな。

 このときハサンは、ギャラリーの真ん中で仁王立ちをしていた。

 実地試験、とでも言おうか。目当ての家屋敷に入ったハサンは、習慣として、まず真っ先に五感の感度確認をする。ここで自分の感覚にわずかにでも違和感があれば、即退散するのである。

 今回はそれに問題がないと見て、すい、と、動き出した。

 こっ、こっ、こっ、こっ。

 灯火の消えた廊下を歩く。

 窓から差しこむ街路灯の明かりが、天井の吊り照明を灰褐色に浮かび上がらせている。

 こっ、こっ、こっ、こっ……。

 まさかそんな靴音を立てる素人ではないが、そう鳴っている感覚におちいるほど、静かな夜であった。

 ……ふむ、上だな。

 階段は……向こうか。

 昔気質のラッツィンガーは、聖鉄機兵団詰所に寝泊まりすることをむしろ好んでいるというが、今夜は、ここにいるらしい。

 そして主人がここにいるということは、目指す相手もいる道理であった。

「エルンスト・コッセル」

 恐ろしい老人。紋章官。そして……。

 ハサンは思いついた言葉を、ふ、と、鼻で笑い飛ばし、勝手知ったるなんとやら、階段ホールから、さらに上階へと上がっていった。

 しかし。それにしてもまた、筆頭将軍の肩書きに似合わぬ屋敷ではないか。

 手入れはさすがに行き届いているが、こじんまりとして装飾もなく、調度は実用性重視。壁紙も無地。気取りがないを通り越して、まるで神殿か、その宿坊だ。

 見ろ。

 ここにも神聖画がある。

 闇を払う天使の絵だ。

 悪いものではないが、やはり、神殿趣味と言わざるを得ない。

「そのようなものを盗まれるために来られたわけではないでしょう?」

「……フフン」

 ハサンは、にやりとしてみせて、

「北部の巨匠、ニッキの作だ。そのようなものあつかいしてはバチが当たるぞ、ご老体」

「これは、いかにも、そうでした」

 と、ここで顔を振り向けた。

 フン。

 外光を右半身に受けた執事姿のエルンスト・コッセルには、まさしく一分の隙もない。もう夜もふけているというのに、着替えて飛び出してきたふうでもないのだ。

 私が来ることを見越していたな……。

「なにか?」

「いや。おつとめご苦労なことだ」

 コッセルは柔和に微笑んで、いかにも、というわざとらしさでそでの埃を払い、襟元を整えるような仕草をした。

 同じことをオオカミやサリエリがやれば、嫌味か、キザに見えただろうに、それをキュートに見せてしまうのがこの人の力だな。

 ハサンはつい感心してしまった。

「さ、参りましょう」

「どこへ」

「さて、閣下のお部屋へ」

「いや、それにはおよばんな。私は、将軍殿に会いにきたわけではないのだ」

「しかし……」

「なら、あとで来たとだけ伝えていただこうか。裏で、こそこそとやるのがお好きだというならまた別だが……まあここは、あなたひとりに聞いていただくのがいいだろう」

「しかし、それでは、すじが通りません」

「ン?」

「ここはラッツィンガーの屋敷。この場での私の立場は、ラッツィンガーの紋章官です。勝手は互いに許されぬはず……いかが?」

 ふぅん……。

 と、ハサンは鼻を鳴らして、

「なら、仕方あるまいな紋章官殿。私たちを全軍で叩いてください、とは、皇帝陛下に直接申し上げることにしよう。失礼」

「待った」

「心配はご無用。このシャー・ハサン・アル・ファルド、どこだろうと入りこむ自信がある」

 ……ぷ。

 吹き出すように、コッセルは笑い出した。

「いえいえ、ハ、ハハ、これはこれは。そのようなことをされては一大事。私の負けです。私が、お話をうかがいましょう」

「はじめからそう言えばいいものを」

 そこで、ハサンは、知るかぎりのことを語った。

 例の『他人を注入する』針のこと。それが、皇帝の盆の窪にも刺さっていること。

「証拠はおありですか。それが刺さっているという確実な証拠は」

 と、コッセルが言うのももっともだ。ただの紋章官にすぎないコッセルには、それを確認するすべがない。確認できなければ、この話し合い自体意味がない。

 皇帝の身体にふれることができるのは、典医か、仕立て屋……、

「床屋」

「床屋……!」

 コッセルは、はたと手を打った。今朝、皇帝はまさに髪を整えたのだ。

 数ヶ月間、散髪を嫌がったために伸びきってしまった髪を、もとのとおりに肩先でそろえたのである。

「まさか」

「私の手下……ではないが、私の知人の手下を借りた。手探りだったが、確かにこの位置に、おかしな、いぼのようなものがあったそうだ」

 むうう……。

 コッセルは、腹の中でうなった。

 いまさらハサンの手ぎわに対してではない。盗人という存在に対してである。

 コッセルの記憶ではここ数年、少なくとも五年は、床屋は変わっていないはずであった。もちろん、弟子として連れてくる男たちもだ。

 つまり、

「盗人たちは五年以上も前から城に出入りしていた」

 ということになり、しかもそれは、

「盗み目的ではなく、ただ今回のような『なにか』のときのためであった」

 ということになる。

 城内にネズミが出たのはこれがはじめてではないが、多くは目的のわかりやすい連中ばかりで、まさか盗人がそこまで大胆に、そして不気味に食いこんでいたとは思いもしなかったコッセルであった。

 ……ふ、ふふ。しかし。

 捕らえるにしても、おそらく床屋は氷山の一角。城内の盗人はそれだけではないはず。

 もしかすると、数百人からの使用人がすべてそうであるということも……。

 コッセルは決して面倒くさがるたちではないが、さすがにこれからの作業を思うと、げんなり、であった。

「まあ、そうしたわけで、皇帝陛下ご乱心の原因は、その針にあると考えていただいていいだろう」

「はあ」

「その針を抜けば万事解決と言いたいが」

「脳を傷つけるおそれがある」

「そのとおり」

「腕のいい医者ならばいかがです」

「できんことはないだろうが、最高のそれをお貸ししようというのが今回の提案だ」

「なるほど、それで、全軍を出せ、と」

「そういうことだな」

「ひとつ、疑問が」

「うかがおう」

「帝国に恩を売りたいとおっしゃるのなら、いままでの出来事をすべて明るみにさらし、合法的に医者を差し出されればよろしいだけでは。それだけでクラウディウスを失脚に追いこみ、戦を回避することができる。そうは思われませんか?」

「一理ある。しかし、その道を選んで踏まねばならん手順のなんと多いことか。手間を惜しんでいるのではない。皇帝を握られているいまの段階で、合法などという言葉が現実的であるかどうかの話でもある」

「……」

「ご老体、我々の望みはクラウディウスの失脚でも、戦の回避でもない。いま戦後を終わらせることだ。目に見えるなにかを獲得することだ。そして、なによりもまず私の主人が、オオカミとの決着を望んでおられる」

「帝国側にメリットはありません」

「少なくとも、皇帝の命は保障される」

「では、あえてこう申しましょう。皇帝のかわりはまだおります、と」

「ご老体……!」

 なんと恐ろしい言葉を口にするのか。

「あなたは、国、というものを考えたことがおありですか。国とは君主を指す言葉ではありません。国民を指す言葉でも、領土を指す言葉でもありません」

「……」

「では、国とは」

「心の集まり」

「……ほう」

「心あるところに国がある。あなたはどうだ。この国にどのような想いを持っている。執着心か。愛国心か。それをふまえて、こちらからもひとつうかがおう」

「……どうぞ」

「私に先帝、ユルブレヒト三世を殺させたのは、あなたか」

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