飲ろうか(4)
「あんたが捕まったのは、確か、帝都でだったな」
「そうだ。ユウに下ごしらえさせた盗みを、ふたりで成功させた、その翌朝だ。宿に鉄機兵団が押しかけてきた」
「ああ」
だが、実を言えば、
「あれは、私自身が仕組んだ、自作自演だ」
「な、なんだと?」
アレサンドロはグラスを取り落としかけた。
「なぜだ、と、おまえは思うだろうが、それだけあの子の下ごしらえが完璧だったということだ。この私に、引退を決意させるほどにな」
ハサンは指折り数えはじめた。
「ターゲットはよく選ばれていた。下見もよくされていた。そしてなにより、少しのスリルが混ぜこまれていた。これは非常に大切なところでな、ぬるい盗みほど失敗を犯しやすい。長生きをしたければ、常に、緊張をそばに置くことだ」
そして、大げさにため息をついて、
「だが、あの子自身に、私の地盤を継ぐ気がなかったのは誤算だったな。まさか盗掘稼業に転ぶとは」
と、笑った。
「まず吸血鬼のもとへでも転がりこんでいれば、上手く取りはからってくれただろうに」
「だがよ……」
「そう。『だがよ』だな、アレサンドロ。ただ地盤をゆずるだけならば、置き手紙をひとつ残せばすむことだ。しかし、そうせず私は捕まった。なぜか」
「……」
「ンン。ひとつめの理由は、ユウに私という男をあきらめさせるためだ。中途半端に距離をおくよりも、いっそ手の届かないところへ行ってしまったほうが踏ん切りがつく」
「ふたつめは」
「私の都合だ。ユウを育てきったことでカラスとの約束は果たされた。ならば、この世に残した未練はあとひとつ」
「それは?」
「よく考えろ」
ハサンは、にやりとした。
「私は入りたかったのだ。そう、塀の中に……」
「あ……!」
まさか。
いや、確かに、時期は一致する。
そのころにはまだ生きていたのだ。
病死したとされている……、
「先帝……ユルブレヒト、三世……!」
「そう、復讐だ」
陰々と放たれた恐るべき言葉に、アレサンドロは絶句した。
「私は言ったな、戦場でのあれやこれやは四の五の言わんのがルール、確かにそうだ。騎士の間ではそうだ。だが、私には妹がいた。騎士仲間のもとへ嫁に行き、腹には……子を宿していた」
回想するハサンの声が、じわり、うるむ。
「引退を決めた、その晩な、ユウの寝顔をつまみに一杯やっていると、ふと、彼女のことが思い出された。彼女の産むはずだった子も、何事もなければ、こうして一人前と認められる日を迎えていただろうか、と考えた。きっと私も両親も、それを大いに喜んだことだろう。男ならば剣を与え、酒の飲みかたを教え、鹿狩りにも連れていったことだろう。……と、そんなことを考えているうちに、泣けてきてな」
「……」
「それで私は彼らのために、アルデンの、親になれなかった親たちと、子になれなかった子たちのために、この命をかけようと決めたのだ」
そこでハサンは酒をあおって、大きく首を、ぶるんと振った。それはまるで、『当事者』から『語り部』へと戻ろうとしているかのようであった。
「もう一本開けるか。せっかく、持ってきたのだしな」
「ん……ああ」
「昔話にはやはり酒だ」
アレサンドロは黙って、その酒を受けた。
「おまえは、やつを見たことがあるか?」
「ユルブレヒト三世? ……いや、ねえな」
「ふぅん?」
「肖像画でならある」
「ああ、どこの町にも一枚はかかっているな。まったく、目障りなことに」
「ハ」
「だが私も、実はそうだった。あの日はじめて、やつの生身の顔を拝んだのだ」
「ふう……ん」
「業の深い顔をしていると、あのときは思ったな。息の根を止めてやることにも躊躇は感じなかった。枕を、こう、押し当てて……一分。そんなものだった」
実に簡単だった……と、ここでハサンは息を吸って、はいて、喉に刺さった小骨が、ようやっと落ちたような顔をした。
そして、
「まあ、そういうことだ」
と、ひどく雑な言いまわしで、この歴史的殺人事件をまとめたのだった。