飲ろうか(3)
「……さ」
アレサンドロは、一気にグラスを干して言った。
「あんたの話の続きを聞かせてくれよ」
「ン……続きか」
「それから、すぐ盗人に?」
「ああ、私は飯を食ったまさにその場で、悪党になってやろうと決めたのだ」
ハサンのほうは、酒をひとなめしただけだ。
「戦での勝ち負けは四の五の言わんのがルールだが、生かされたからには、相手に嫌がらせのひとつくらいしてもバチは当たるまい。そう打ち明けるとカラスは笑ってな」
『それは面白そうね』
「と、こうだ。これはもう、ただの悪党ではない、大悪党になってやろうと心に決め、我々は別れた。それからは一度も会っていない」
「一度も?」
「そうだ。さすがに先の戦では知らぬ顔でいられなかったが、オオカミの砦へ向かおうとして、ついに、たどり着けなかった」
「どうして」
「ユウを拾った」
「……ああ」
「それがなければ砦に着いていただろう。あるいは、おまえが魔術師の弟子になっていたのかもしれんな。……いや」
すぐに首を振って、ハサンは笑った。
「おまえには無理か」
「チッ」
「ンッフフフ。まぁ、神はよく見ておられたということだな」
アレサンドロは手をひらひらとさせて、この話題を切り上げた。
「さて、ユウといえばだが」
「ユウ?」
「そう、ユウだ。ユウといえば、アレサンドロ。私はカラスと別れるとき、彼女に、なにか礼をさせてもらえないかと伝えた。ただの『ありがとうさようなら』では、この胸に……そう、騎士の垢のようなものが残ってしまう気がしたのだ」
「ああ……?」
ユウと、カラスに関係が?
「彼女はなんと答えたと思う」
「知るか。じらすんじゃねえ」
『私を助けたつもりになって、他の誰かを助けなさい。それで結構』
「それが……ユウか」
ハサンはうなずいた。
「私は、あの子をひと目見て、それを直感した。あの日のことはとても忘れられん」
累々たる屍を前に座りこんでいた子ども。
血に染まった身体。
人形のような無表情。
乾いた目。
「あの子は私だった。すべてを失った日の私だった。そして思った。この子が、約束の子だ、と」
「……」
「あの子は、きょとんとしていたな」
ハサンが豆を噛んでいる間、アレサンドロも手持ち無沙汰で豆を噛んだ。
それから話は師弟時代の逸話が中心となったが、やはり、アレサンドロはただの聞き役にまわった。
あんな物を盗んだ、こんな手段を使った。
ユウはあんなことをした。こんな失敗をした。
こうしたことはすぐ覚え、逆にこれについてはいまでも不得意だ。
「まったく、人は私を、悪魔のように言うかもしれん。拾った子を悪の道へ進ませるとはなにごとか、とな。だが私は、あれのすべてに責任を持ってきた。衣食住を与え、外へ出ても恥をかかんだけの教養と常識を身につけさせた。なあ、どうだ、アレサンドロ。あの子は不幸だったか? あの子の人生はあやまりでできているか? いいや、そうではないはずだ。その証拠に、あれは准神官となった」
聞いているうち、アレサンドロはなにやらもやもやと、不安な心持ちになってきた。
人は死の足音を感じると、自分の人生を誰かに残していきたくなる。
こうして昔話を喜々として語って飽きないハサンもまた、それではないかと思えてきたのである。
先ほどは大丈夫だとうそぶいていたハサンだが、その実、帝国行きには、こちらの想像をはるかに越えた危険がひそんでいるのかもしれない。このまま話を続けるよりはその危険要素を聞き出して、行くなと足止めしたほうがいいのかもしれない。
あるいは、
「続きは帰ってきてからな」
と、言うか……。
「おお、アーレサンドロー。おまえの考えていることなどお見通しだぞ」
「あ?」
アレサンドロは、急に鼻先に顔を寄せられたので、どきりとした。
「なんだ?」
「おまえは私を、立つ鳥だと思っているだろう。人生の清算をしているのだと」
「……違うのか」
「違う。これはそう、儀式のようなものだ。宣誓の儀式」
「せん……?」
「私はおまえに聞かせたい。私という男を。これから私が、なにを糧として生きていこうとしているのかを。未来を語るために、まず過去を語るのだ」
「む……」
「まぁ、聞いてくれ」
ハサンはボトルの残りをふたりのグラスに分け、最後の一滴まで、たちたちと落とした。
そのかすかな音と波紋は、港のすみずみにまで広がっていくようだった。
「さて」
と、ハサンは背すじを伸ばして言う。
「次の章の見出しはこうだ。『シャー・ハサン・アル・ファルド、逮捕さる』」