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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【終】 縁 ーユウの未来編ー
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飲ろうか(2)

「昔々、あるところに、『ア』という名の国があった」

 別に隠すことはねえのにな、と、アレサンドロはうなずいた。

「アは、海あり高原ありの非常に美しい国でな、有名なものといえばオーロラがある」

 季節になれば花の絨毯が広がり、清涼な風にさらさらと揺れる。

 空には白い太陽があり、クマが悠々と道を横切っていく。

 空と森とを映した湖に手こぎのボートを浮かべ、冬のスキーと薪割りを思う。

 そして、また冬が来る。

「……」

「そうした環境で育った民たちもまた美しい気性をしていてな、信心深く、情に厚く、血気は盛んだったが力を振りかざすこともなく、他国との間に、長くいさかいを起こさなかった。美点をあげればきりがないが、とにかく、いい国だった」

「……みてえだな」

「ところがそこに、一方的な大義を振りかざして攻め入ってきたやつらがいる」

「グの国」

「そのとおり。『グの国』だ」

 ハサンはボトルを引き寄せて、ぐ、と、栓に指をかけるところまでしたが、そのまま興がそがれたようにやめてしまった。

「はじめは……よくしのいでいたアの国だったが、長くは続かなかった。冬がくれば雪が守ってくれるという開国以来の常識も、グの軍には通用しなかった。陸路を断たれ、海路を断たれ、ついに、国は落ちた。多くの民が犠牲になってしまった」

「……」

「ところで、グの国の騎士たちは、首実検をしてはじめて失敗に気がついた。重要な首がひとつ、足りなかったのだ」

 それは……、

「アの国の王太子の首。実は彼は城が落ちる寸前、王によって逃がされていた」

 おお、と、アレサンドロは、身を乗り出すようにして続きをうながした。

「地下を抜け、川を越えて、王太子は逃げた。グの国に対して強く反感を持っている、西部『旧ロの国』を目指して進んでいった。そこで同志を集め、再起をはかり、再びアの国を興す。それが、王太子の口癖となった」

「グの国は……」

「もちろん追ってきたとも。追撃の手は厳しかった」

 ハサンの細く、姿のいい指が、平皿の干豆をかき混ぜた。

「屍山血河とはあのことだ。王太子には騎士の一隊が護衛としてついていたが、それが、相手に見つけられた当日には半分になり、三日後には惨憺たる有様となっていた。彼らがその身を切り刻み、尊い命を投げ出せば投げ出すほど、背後の猟犬どもは飢えていくようだった」

 皿のふちから、豆が、ひとつ飛ぶ。

「しかし、しかしついにあの日。王太子は旧ロの国の街並みを見たのだ。そして……」

 と、ハサンの目がふせられて、

「それと同じ日に、命を落とされた」

「なに?」

 アレサンドロは我ながらおかしな声を出してしまったので、無精ひげをこすってごまかした。

 ……死んだ?

 では、目の前の、この男は……。

 ハサンは、フフン、と、豆を拾い、その手で今度こそボトルの栓を抜いた。それをアレサンドロにもすすめた仕草は、いかにも平静そのものに見える。

「生き残ったのはひとりの騎士と、逃避行の途中で加わった女剣士だけだ」

「それが……」

「私と、カラス」

「……」

「カラスは、いい女だった。深手を負った仲間の手をな、こう、なぐさめるでも、はげますでもなく、ただしっかりと握ってくれるのだ。それだけで皆、おだやかな顔つきになって、先に国へ帰りますと、笑って旅立っていってくれた。私たちから死の恐怖を払ってくれた」

「……ああ」

 アレサンドロは自身の記憶にある光景を、そこに重ね合わせて見た。かつての戦の際にも、カラスは同じことをしていたのである。

 死にゆく戦士と見送るカラス。幼かった自分はそれをただ遠くからながめ、哀れがっていただけだったが。

「カラスは、いい女だったな」

「……そうか」

 アレサンドロは、物語の中でも、カラスが自分の知っているとおりの女であることがうれしかった。

 そして、志なかばで果てた王太子の無念と、ハサンの絶望を想った。

「それから……どうした?」

「どうもこうもない。殿下のご遺骸さえお守りできず、殉ずることもカラスが許さなかった。とにかくもう終わったのだから休めと言われてな、押しこめられたのが、上等な宿の一室だ。なさけないことにベッドを見たその瞬間、私は殿下のことも仲間たちのことも、すべて意識の彼方へ追いやってしまった。あとはもう、これだ」

 ハサンは手のひらを、くるりと回転させた。

「あれが、人生ではじめての復旧だった。三日三晩寝こけた。目覚めて、一番はじめに感じたのが空腹だ。カラスの用意してくれた食事をむさぼるように食った。そして、一度腹が満たされてしまうと、人間とは強く悲しいもので、もう死ねなくなっていた」

「……わかるぜ」

「わかるか。ああ、おまえも、似たようなものだったな」

「ああ」

「どう乗り越えた」

「ハ。別に乗り越えちゃいねえよ。オオカミの砦が落ちたとき、たまたま近くに来てた入れ墨の家族に助けられてよ、しばらくはそこにいた」

「ふむ」

「でもよ。聞いてくるんだ。砦でなにがあった。なんで落ちたんだってよ。それがつらくて逃げ出して、小銭拾いやカツアゲみてえなことをしながら転々として、酒を覚えて、喧嘩を覚えて、どっかの町の酒場でくだを巻いてたところで、先生に見つかってぶん殴られた。それが……二十二、三のときだったかな」

「フゥン」

「それからは医者の真似事をしたり、ヤマカガシのところへふらふら行ったりしてよ、それでもやっぱり砦が気になって……。あとは知ってのとおりさ。俺がなにか乗り越えたってんなら、そいつはきっと、最近のことだろうぜ」

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