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ランドスケープ・アゲート  作者: 紅亜真探
【終】 縁 ーユウの未来編ー
221/268

大事な日

 それから毎日毎日、ユウは調査のために出て行った。

 ときにはぬれねずみの姿で、またときには飲めないはずの酒のにおいをさせ、宿へ戻ってもわずかな食事ばかりを取って、すぐまた窓から出て行ってしまう。

 髪は灰色に薄よごれ、目は人生に疲れたようで、馬小屋にでも寝泊まりをしているのか、近づけば、すんと馬糞くさい。

 あまつさえ、

「お湯もらってこようか?」

「いや」

「着替えは?」

「いらない」

「……」

「ララ」

「なに?」

「いや、なんでもない」

 と、この調子なので、ララは、それ以上のことを言わなくなった。構って欲しいというもやもやは、いつ口から飛び出してもおかしくないほどふくらんでいたが、口をしっかり閉じることで我慢をした。

 そう、いまは待たなきゃ……。

 モチの言うとおり、ユウはいつかきっと、自分を必要としてくれる。

 ララは小さくなったままで、その日を待ち続けた。

 だが……。

 そうすると、つのってくるのが、例の仇に対する憎しみである。腹が立って仕方がない。

 大事なユウの心を独占しているというのが、やはりひとつ。

 ここで自分に、無駄とも言える時間をすごさせているというのがひとつ。

 考えれば考えるほど、つれなくされればされるほど、もやもやがイライラに変換されていく。

 そして、ユウの単独行動が十日にもなったとき、ララは拳を握りしめて、猛然と決意した。

 絶対に一発殴ってやる!

 もし、それがかなわなくても、ユウがとどめを刺す瞬間には絶対に立ち会ってやる!

 ユウより先に動くのでなければ、きっと問題ないはずだ!

 すると、『目標』の力は偉大なもので、その計画を練るようになってから、胸の内が、すうと、軽くなったのである。

 殊勝な顔をして階下の食堂へ行き、『病にふせる兄』のために食事を整えてもらうことも、日に一度は必ず戻ってきてくれるユウのために、鏡の前で笑顔の練習をすることも、日がな一日、鼻歌を歌いながら借り本を読んですごすことも、すべてその目標達成のため。

 そう思って行動すると、驚くほど自分が軽くなったのである。

 まるでお嫁さんみたい。

 そんな幼い空想まで、ララは思いつくようになった。

 ユウ、今日はいつ帰ってくるのかな。

 その夜も、そんなことを思って、早めにベッドに入った。

「……ララ」

「ん……」

「ララ」

「……う」

 鼻先に突きつけられた光石ランタンがまぶしくて、ララは強く目をつむった。

「あ、悪い」

「ううん、ごめんね。帰ってるの、気づかなくて」

「いや」

「ごはん?」

「いや」

「お金?」

「いや、違う」

 ぎし、と、ベッドが傾いた。

 ララが半身を起こすと、尻をベッドの端に乗せたユウが、いわく言いがたい顔で、こちら見つめ返してきた。

 あれ……?

 なんだか、すっきりとしている。

 田舎の若者が街へ出て行くときのような一張羅を着て、髪は黒々、顔には一片のよごれもついていない。

 熱に浮かされたようだった目には優しさが戻り、眉間のあたりに少しだけ、緊張の色を映していた。

「ユウ……」

 ララの予感を肯定して、ユウはうなずいた。

「これから行ってくる」

 ララは息が詰まりそうになった。

 とうとう来た!

「ララ?」

「う、うん、そっか」

「……」

「なに?」

「なにも言わないんだな」

「え?」

「ララはなにも聞かない」

「そ、それは、ユウが、言わないから……」

 ララは自分で自分が恥ずかしくなるほど、うろたえてしまった。まさかこのような展開になるとは思ってもいなかったのである。

 たぶん出て行くときも、じゃあ……ぐらいの素っ気なさなのだろう。

 あとのことはモチにでも頼んでいくのだろうと、その程度に考えていたのである。

 ララの計画では、そのときはなに食わぬ顔をして別れ、その実、あとをつけていくつもりだった。

 押しかけ女房ならぬ、押しかけ見物人として。

「や、やめてよ、そんな、見ないで」

「ああ」

「早く行ってよ」

 すべてを見透かすような視線が嫌で、ララはユウの肩をぐいと押した。

 ユウは、ああ、と、煮え切らない返事をして、腰を上げた。

「ララ、もしかしたら、今日というわけにはいかないかもしれない。それでも、二、三日のことだと思う。あそこに金を出しておいた」

「持ってきたやつ?」

「ああ」

 使いやすいようにと、細かく崩した一万フォンス。

「行動を起こす前に、モチをここへよこす。そしたら、あれを、ここに置いたまま窓から逃げるんだ。できるか?」

「置いてくの?」

「宿代をまだ払ってない。大きなことをするときほど身のまわりはきれいにする。どうせいいだろうと、小さな罪まで重ねるのは駄目だ」

「って、ハサンが?」

「ああ。迷惑料を入れても、ちょうどいいくらいだと思う」

「わかった」

「……じゃあ」

「ねぇ、ユウ。一緒に行っちゃダメ?」

 あきらめかけていた言葉が、ついつい口をついて出た。

「あたし、行きたい。ユウのこと手伝いたい。ダメ?」

「ララ」

「お願い。連れてって」

 小さくすそを引かれたユウは、弱った顔をして首を振った。

「駄目だ。こっちの段取りもあるし、外は、寒いし」

「平気」

「平気じゃない。絶対に駄目だ」



 そうして、ララはまたひとり、寒い部屋に残された。

 いっつも置いていかれるなぁと、ひがんでしまうのは仕方ない。心のどこか奥底に、刺さって抜けない記憶がある。

 古い古い、捨てられた記憶が。

「……で、も!」

 今日は違う。

 追いかけていく自由がある。

 ララはベッドから飛び出して、準備に取りかかった。

 まずはとにかく着替えよう。

「あ……そういえば」

 先ほどユウは、ドアから出て行った。これは、いままでになかったことだ。

 計画どおりなのか、間違えたのか。

 まあいっか。

 ララは、ロンドランド刺繍の入った古着のワンピースを肌着の上から勢いよくかぶった。布地の色は紅茶色。好きな色。

 髪をおさげに結いなおし、

「ユウはどこまで行ったかな」

 と、思ったところで、ぎょっとなった。急にドアが開いたのだ。

「なぁんだ、びっくりした」

 それは、息を切らせたユウであった。

「あ、やっぱり窓から出てくつもりだったんでしょ」

 ララが笑うと、ユウは居心地悪そうに視線を泳がせた。

「あ、これは、ほら、あれだからね。は、早く準備しとこうと思って着替えてるだけだから」

「……」

「なに? ユウ、怖い顔……いたッ!」

 両肩を強烈につかまれ、ララは身をこわばらせた。

 このときのユウの、険しい目と熱い深呼吸を、ララは一生、忘れることはないだろう。

「だ、だって、ユウ、逃げろって……」

 と、伝えかけた言葉は、

 あっ!

 と言う間に、余裕のない、必死な唇によって吸い取られていた。

 あ、あ、ああ……ああ!

 躍り上がった心臓が、じんじん、じんじん熱くなる。

 これ、キス……キス、キス、キス……!

 ララの指はほとんど無意識的に、広い背中をつかみしめていた。

 たくましい腕はララの頭をかき抱き、ふたつの身体はぴたりと密着した。

 す、すごい……。

 ユウの唇の、しわの一本一本までもがはっきりとわかる。

 熱い。

 身体中が、熱い。

 頭……爆発しちゃう……。



「ララ、ララ!」

「……う、うん?」

 大きな手が、優しく頬を叩いていた。

 どうも地面に寝転がっているらしいという以外は、右も左もわからない。

 ただ、唇がさびしい。

「よかった、死んだかと思った。いきなり気絶するから」

「きぜつ?」

 ララは心配そうな、そして、ほっとしたような男の顔を見返した。

「……ユウ」

 ユウだ。

 ユウと……。

「あ」

 また心臓が炉のように燃えはじめた。

 またたく間に血が沸騰して、いま、自分の顔からは、その湯気がしゅうしゅうと上がっているのに違いない。

「あ、あの、えと」

 やだ、恥ずかしい……!

 キスのあとはこんな気持ちになるのかと、ララは床の上を転がって顔を覆った。

 おまけに気絶って、自分のバカ!

 そういえば、キスしてる間もずっと、目を開けたままだった、バカ!

「ララ」

 耳もとで聞こえたユウの声は、燃料に等しかった。

「悪かった」

「な、なにが、ていうか、こ、こっちこそ」

「もう、行かないと」

「う、うん、行って。大事な日だもんね」

「ララ」

「うん」

「好きだ」

「!」

「行く前に言いたかった。好きだ」

「……バカ」

 頭のうしろに、温かいなにかがふれた。

 またキスをされたのだな、と思うと、目から幸せがあふれ出た。

 あたしやっぱり、ユウが好き。

 大好き。

「帰ってきたら、全部教えてね。家族のこととか、いっぱい」

「ああ……行ってくる」

 ユウは応えてくれた。

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